2019年12月17日火曜日

秘術の好投


 巨人打線を延長10回1点に抑え切った天保義夫のピッチングについて、「日本野球年鑑」に「秘術の好投」と書かれている。

 昭和17年から19年に合計24勝をあげた天保は、戦時中の勤労奉仕で右手中指を欠損したため、ナックルボールを習得して戦後のプロ野球界に復帰してきた。


 そのピッチングスタイルを、「日本野球年鑑」は「秘術」と表現しているのである。ここから今西錬太郎と共に、天保・今西時代を築いていくこととなる。


 阪急は伝統的に巨人に分が悪く、長期リーグ戦が始まった昭和12年以降の10シーズン(12年、13年は春秋2シーズン制)通算で31勝65敗と大きく負け越している。阪急が勝ち越したのは石田光彦が2勝をあげた13年春(4勝1敗)と笠松実が巨人キラーぶりを発揮して3勝をあげた19年(5勝1敗)の2度だけで、16年も笠松が4勝をマークして6勝6敗1分けの五分であった。その他のシーズンは巨人が圧勝、特にスタルヒンが阪急をカモにしており、14年は対阪急戦11勝1敗のうちスタルヒンは10勝0敗、戦前の巨人の65勝のうち41勝はスタルヒンがマークした。スタルヒンが300勝投手になれたのは阪急のお蔭であると言える。


 戦後阪急が巨人と対戦するのは1リーグ時代の4年間だけ(日本シリーズ、オープン戦等を除く)であるが、22年は今西が対巨人戦9勝をあげて9勝8敗、24年は天保が7勝をあげて11勝8敗と、2度勝ち越すことになる。4年間通算では28勝43敗と相変わらず分が悪いが、今西と天保が巨人キラーとして活躍する。



*「秘術の投球」を見せた天保義夫の直筆サイン入りカード。ユニフォームは21年、22年に使用されたもののようだ(綱島理友著「日本プロ野球ユニフォーム大図鑑」参照)。


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