2013年12月31日火曜日

大戦前夜のベーブ・ルース (五)



 「大戦前夜のベーブ・ルース」(以下「同著」)の213ページに「ビング・ミラー・チーム対ベーブ・ルース・チームの試合が行われた」と書かれており、394ページの第18章「日本は素晴らしい国です」の注13)に「さほど人気選手でもないビング・ミラーがチームの名前に使われた経緯は不明である。」との記述が見られます。



 この点に関しては物的証拠を提示するまでもなく、同著の中に答えがあります。50ページに「マナシュの代わりには、生涯打率3割を誇る打者だがもはや引退間近のビング・ミラーが選ばれた。」と書かれているように、ベーブ・ルースと並ぶ最年長の39歳であったことが理由です。


 同著とほぼ同時期に刊行された波多野勝著「日米野球の架け橋 鈴木惣太郎の人生と正力松太郎」の7ページに「鈴木家に保管されている昭和9年メジャーリーグオールスター来日アルバムには日米両チームのサインが入っている」として全米チームの寄せ書きサインと日本チームの寄せ書きサインの一部の写真が掲載されています。全米チームのサインは上からベーブ・ルース、コニー・マック、フランク・オドールときて四番目にビング・ミラーのサインが書かれています。このサインの順番はそのままこのチームの序列を表しているのです。ベーブ・ルースがコニー・マックの上というのも凄い話ですが(笑)。


 因みにビング・ミラーの下は若手のレフティ・ゴーメッツ、エリック・マクネアと続きますので上から下まで全て序列通りではありません。「Gomez」は最近は「ゴメス」と表記されることが多くなっていますが筆者が覚えた頃は「レフティ・ゴーメッツ」でした。


 また、「日米野球の架け橋」に掲載されている日本チームの寄せ書きサインは二枚に分かれているうちの一枚だけが掲載されていますのでご注意ください。日本チームは人数が多すぎで二枚に分けています。掲載されている方には澤村栄治のサインはありませんので探しても無駄です。この点に関しては、(三)で証拠品として提出させていただいた当ブログ所有の「昭和9年メジャーリーグオールスター来日アルバム」にて確認できます。















 

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