2012年11月24日土曜日

15年 タイガースvs名古屋 6回戦


6月29日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8  9   計
0 0 0 0 0 0 0 3  0   3 タイガース 25勝18敗2分 0.581 若林忠志 木下勇
0 0 0 2 0 0 0 0 2X  4 名古屋      25勝16敗4分 0.610 松尾幸造

勝利投手 松尾幸造 7勝5敗
敗戦投手 木下勇     9勝8敗

二塁打 (タ)皆川
三塁打 (名)中村、大沢、吉田
勝利打点 中村三郎 2


中村三郎乾坤一擲の一撃

 名古屋は4回、一死後村瀬一三が四球を選んで出塁、村瀬は盗塁に失敗するが桝嘉一が四球を選んで二死一塁、大沢清が左中間に三塁打を放って1点を先制、吉田猪佐喜が右翼線に三塁打を放って2-0とする。翌日の読売新聞によると右打ちの大沢にはタイガース外野陣は右寄りの守備態勢を敷いており、引っ張りの吉田には左よりの守備態勢を敷いていたところ逆を衝かれたとのことで、若林忠志の配球ミスであったようだ。

 タイガースは5回から先発の若林を下げて木下勇をリリーフに送る。

 名古屋先発の松尾幸造は7回までタイガース打線を4安打1四球1三振で無失点の好投を続ける。

 タイガースは8回、先頭の木下が四球を選んで出塁、宮崎剛の投前送りバントをピッチャー松尾が一塁に悪送球して無死一二塁、トップに返り松木謙治郎の投前バントは松尾が巧く処理して木下を三封、皆川定之の三ゴロが野選を誘い一死満塁、本堂保次の中犠飛で1-2、二走松木もタッチアップから三塁に進んで二死一三塁、ここで一走皆川が二盗を敢行、キャッチャー三浦からの送球をピッチャー松尾がカットして三塁に送球、これが悪送球となって白球がファウルグラウンドを転々とする間に三走松木に続いて盗塁で二塁に進んだ皆川も三塁ベースを蹴ってホームを駆け抜けこの回無安打で3-2と逆転に成功する。

 名古屋は9回裏、一死後桝が中前打を放って出塁、大沢の二ゴロの間に桝は二進、吉田猪佐喜が中前に同点タイムリーを放って3-3、バックホームの隙を衝いて吉田は二塁に進み、中村三郎が中前にサヨナラタイムリーを放って名古屋が劇的な逆転サヨナラ勝ちを演じる。

 松尾幸造は4安打2四球2三振で完投、3失点ではあるが自責点はゼロであった。尤も自らの2エラーで失点したものではありますが。ピッチャーのエラーでも自責点にはなりません。松尾は前回登板の22日のセネタース戦でも2安打2四球1三振の完封、かつては剛球とノーコンが特徴であったが成長が窺える。


 翌日の読売新聞には9回に同点タイムリーを放った吉田猪佐喜について「吉田三振目のファウルチップを田中が捕え損じて命を延ばした事が一番大きく」と書かれている。田中が捕球していればゲームセットとなっていた訳である。

 サヨナラヒットを放った中村三郎は2回にも右翼線に三塁打を放っているが「9-4-5-2」と渡ってタッチアウトになっている。ホームまで狙おうとしてオーバーランしたようだ。8回には逆転された後、田中の二ゴロをエラーしている。9回の打席は乾坤一擲の一撃であった。


 2012年1月12日付けブログと重複しますが、中村三郎は昭和14年8月18日の阪急戦でピッチャー松尾幸造が全くストライクが入らず「ストライクの出ないような投手は駄目だ、毎日同じような事をやってるなら練習なんか止めてしまえ。」と檄を飛ばし、当時の読売新聞誌上で鈴木惣太郎は「松尾は憤然としてベンチの後方に黙していた。こうした悲憤憤慨は決して人を憎む悪意を持つものではないし語気こそ粗暴であるがかくの如きこそ真実僚友を思いチームを思い、而して野球を思うあまりの発露であり松尾もこれによって大いに発奮すべきであるし名古屋全軍も心機を一転して将来懸命の努力をつくさねばならない。」と論評した。この檄に応えて松尾は昭和14年8月25日のライオン戦では7安打6四球4三振で完投し、この試合では中村三郎が逆転スリーランを放っている。当時の読売新聞に鈴木惣太郎は「中村は前日にも本塁打しているが彼は技量以上にものありとは思われない。併し彼には気概において著しく優れたものがあり、これが大事に際してかくの如き殊勲を樹てる動機となっている点は大いに敬服すべきものである。」と書いている。

 2011年11月23日付けブログ「投手・中村三郎」で「 昭和13年2月25日発行の聯盟ニュース第24号に掲載されている「戦線だより」に「大活躍!のラ軍中村上等兵」の見出しで「ライオン軍中村三郎選手は上等兵として・・・に属して目下北京の警備に任じているが、去る1月陣中徒然なるままに行われた対抗野球試合でプレートに返り咲き、四戦全勝の記録をもって見事優勝、・・・正月気分を高めたと、この程ライオン軍に便りがあった。」と記載されています。

 この中の「プレートに返り咲き」の部分は、諏訪蚕糸時代にピッチャーであった中村三郎がプロに入ってセカンドを中心に内野手に転じてから兵役に就き、戦地において久々にマウンドに上がったことからこのような記載になったのではないでしょうか。久々のプレートの感触に興奮した中村がその喜びを戦地からの手紙でライオン球団に伝えたものと考えられます。」と書かせていただきました。中村三郎が諏訪蚕糸時代に名投手として知られていたことは、窪田文明著「甲子園からの手紙 松商野球の源流」でも確認できます。






                *松尾幸造は4安打完投で7勝目をあげる。













     *中村三郎のサヨナラヒットで逆転サヨナラ勝ちした名古屋打線。















      *中村三郎のサヨナラヒットの場面。

















 

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