2012年10月7日日曜日

ボルチモアムクドリモドキ 前編



 初の試みとなったワイルドカード・ゲームはアメリカン・リーグはボルチモア・オリオールズがテキサス・レンジャーズを降し、ナショナル・リーグはセントルイス・カージナルスがアトランタ・ブレーブスを降してディビジョン・シリーズに進出しました。カージナルスはシリーズでお届けしたことがありますので、オリオールズ特集といきましょう。このシリーズのタイトルはオリオールズの象徴でもあるメリーランド州の州鳥「ボルチモアムクドリモドキ」とさせていただきます。


 1901年にミルウォーキー・ブルワーズとして誕生したオリオールズは1902年からセントルイス・ブラウンズとなって苦悩の歴史を歩みます。1954年にボルチモアに移転するまでの間、1944年に戦時下の隙を突いてワールドシリーズに1回だけ出場しましたがこの時もセントルイス対決となったカージナルスに敗れました。1915年~27年にジョージ・シスラーが在籍していたことで知られています。シスラーは1920年に257安打を記録してイチローに破られるまで年間最多安打記録を保持していました。2009年のオールスターゲームがセントルイスのブッシュ・スタジアムで行われた際、イチローはジョージ・シスラーの墓参をしています。これはイチローがシスラーの記録を破った試合にシスラーの遺族が球場に足を運んでくれたことへの返礼でした。


 人気球団カージナルスの影に隠れて不人気だったブラウンズは、隻椀のピート・グレイを起用したり、「背番号8分の1」を付けた身長109センチのエディ・ゲーデルを代打で出場させたりしましたが1954年にボルチモアに移転します。エディ・ゲーデルについては、水島新司も水原勇気登場後の「野球狂の詩」で描いています。ジョージ・シスラー以外では1928年~30年にヘイニー・マナシュが在籍しました。「Heinie Manush」の日本語表記はハイニー・マナッシュ、ヘイニー・マヌースなども見られます。常にMVP候補にあげられながら受賞の機会を逃したことから日本での知名度は低いかもしれませんが、デトロイト・タイガース時代はハリー・ハイルマンと共にタイ・カッブの後継者でした。




 タイガース時代の1926年、ヘイニー・マナシュは3割7分8厘で首位打者となりますがMVPは本塁打・打点二冠のベーブ・ルースでもなく67本の二塁打を放ったジョージ・バーンズでした。マーダラーズロウの全盛期となる1927年はルー・ゲーリッグ、28年は史上最高のキャッチャーと言われるミッキー・カクレーンがMVPに輝いてマナシュの受賞を阻みました。29年と30年はリーグ表彰がなく、全米記者投票に変わった31年は31勝4敗のレフティー・グローブ、32年は58本塁打のジミー・フォックスが受賞します。


 ヘイニー・マナシュは1933年、17本の三塁打を放って221安打で28年に続いて二度目のリーグ最多安打を記録し、ワシントン・セネタースをワールドシリーズに導く活躍を見せますが、この年はジミー・フォックスが三冠王に輝いて二年連続MVPに輝き、又もマナシュの受賞を阻みました。34年は再びミッキー・カクレーン、35年はハンク・グリーンバーグが170打点を記録してMVPになっています。ヘイニー・マナシュは全盛期に同じアメリカン・リーグでとんでもない連中とMVP争いを繰り広げてきましたが受賞のチャンスは回ってきませんでした。33年が一番のチャンスでしたがジミー・フォックスの三冠王にぶつかってしまいました。32歳のシーズンですから全盛期であったと考えられます。因みにこの年の安打数ランキングはマナシュが221安打で一位、ジミー・フォックスとチャーリー・ゲーリンジャーが204本で二位タイ、アル・シモンズが200本で四位、ルー・ゲーリッグが198本で五位、ルーク・アプリングが197本で六位となっています。







*ジョージ・シスラーのインデックスカードはよく流通しています。これにイチローのサインを加えたものもよく見かけます。もちろん価格は跳ね上がりますが。













*ヘイニー・マナシュの直筆サインカードはまず日本ではお目にかかれません。こちらは海外のオークションで入手したものです。非常に貴重なもので厳重にロックされています。














*1926年のMVPに輝いたジョージ・バーンズのインデックスカード。サインと共に「アメリカンリーグ 1914-1929」と書かれています。バーンズは1914年~29年にデトロイト・タイガース、フィラデルフィア・アスレチックス、クリーブランド・インディアンズ、ボストン・レッドソックス、ニューヨーク・ヤンキースとアメリカンリーグのチームに所属しました。















*1934年に来日した際、日本に残したルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックス、ベーブ・ルースの直筆サイン入り写真。鳴海球場で撮影されたと考えられる報道用写真にサインを入れたものです。彼らもヘイニー・マナシュのライバルでした。

















    *1928年と34年にMVPに輝いた史上最高のキャッチャーと言われるミッキー・カクレーン。
















       *ミッキー・カクレーンとバッテリーを組んだ1931年MVPのレフティー・グローブ。












               *1935年のMVPに輝いたハンク・グリーンバーグ。



 

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