2019年1月13日日曜日

追記


 お伝えしましたように、昭和19年7月23日「近畿vs阪急6回戦」、1回表近畿の攻撃一死二塁走者松川博爾の場面で堀井数男は三ゴロ、サード坂井豊司からセカンド上田藤夫に転送されたプレーは「5・4・4」で上田が松川をタッチアウトにし、このプレーでサード坂井に補殺が1個と、セカンド上田に補殺と刺殺が1個ずつ記録されました。

 挟殺プレーで二塁手に連続して補殺と刺殺が記録されるとは考えにくく、サード坂井からの二塁送球から上田が松川にタッチするまでプレーが切れていないということは、「隠し玉」の可能性が考えられますが、「隠し玉」は昭和18年に禁止されており、昭和17年以前に雑記欄や新聞記事から「隠し玉」と確認できるプレーでは「×4」などと記録されていますので本件とは異なります。もちろん「雑記欄」には何も書かれていません。

 したがって、この挟殺プレーは「5・4・4」ではなく、「5・4・5・4」の記載ミスであったと考えられます。この場合はセカンド上田に補殺と刺殺が1個ずつ記録され、サード坂井に補殺が1個記録されることとなりますので、この試合で記録された上田と坂井の補殺数と刺殺数にも整合します。サード坂井は2度ボールに触れていますが、1つのプレーで記録される補殺は1個だけとなります。

 

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