2016年10月25日火曜日

18年 阪急vs阪神 6回戦


6月27日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 阪急 14勝20敗 0.412 笠松実
0 0 0 2 0 0 2 1 X 5 阪神 19勝14敗1分 0.576 中原宏

勝利投手 中原宏 1勝1敗
敗戦投手 笠松実 4勝3敗

二塁打 (急)三木 
三塁打 (急)下社 (神)門前2、塚本
本塁打 (神)景浦 1号

勝利打点 景浦将 1


景浦将、帰還後初本塁打

 阪急は3回まで1安打無得点、阪神は無安打無得点。

 阪急は4回、二死後下社邦男が右越えに三塁打、池田久之は歩かされて二死一三塁、松本利一は三振に倒れて無得点。


 阪神は4回裏、先頭の御園生崇男が四球を選んで出塁、玉置玉一がセンター右にヒットを放ち無死一二塁、カイザー田中義雄が左前打を放って無死満塁、若林忠志監督はここで大島武に代えて代打に景浦将を起用、景浦が二遊間にタイムリーを放ち三走御園生に続いて二走玉置もホームに還り2点を先制する。景浦は5回の守備からライトに入った。


 阪急は5回、先頭の三木久一がレフト線に二塁打、笠松実の遊ゴロの間に三木は三進、西村正夫監督はここで松本泰三に代えて昭和14年以来4年ぶりに戦場から戻ってきた高橋敏を代打に起用、高橋の遊ゴロの間に三走三木が還って1-2とする。


 阪神は7回、一死後塚本博睦が左中間に三塁打、門前真佐人も左中間に三塁打を放って3-1、門前は前の打席でも三塁打を放っており2打席連続三塁打、御園生はファーストライナーに倒れて二死三塁、ここで四番玉置に代わって野口昇が代打で登場、野口が左前にタイムリーを放って4-1と突き放す。


 阪神は8回、先頭の景浦がレフトスタンドに豪快にホームランを叩き込んで5-1として試合を決める。


 阪神先発の中原宏は4安打5四球6三振の完投でプロ入り初勝利を飾る。中原の戦前の勝利はこの1勝だけとなる。


 中原宏が本領を発揮するのは戦後になってからで、大日本土木では昭和21年の復活都市対抗で1回戦から決勝まで4試合連続完投勝利で優勝に貢献して橋戸賞を獲得、「都市対抗野球60年史」には「ピンチ救った中原ドロップ」の見出しが躍っている。翌22年の都市対抗二連覇にもエースとして貢献し、この大会から設けられた久慈賞を獲得した。橋戸賞は中原を大日本土木に誘った監督兼遊撃手の村瀬保夫であった。昭和23年に南海に入団すると、都市対抗でも有効であったドロップを武器に南海黄金時代の準エースとして活躍、引退後も長くピッチングコーチとして球界に貢献することとなる。


 景浦将がこの試合でも決勝打、本塁打の大活躍を見せた。この日は3打数2安打3打点、凡退した打席も遊失で塁に出ており、失策のため「出塁」は記録されないが、復帰後8打席全てで塁に出ている。



2 件のコメント:

  1. 宇佐美徹也が自著『プロ野球 記録・奇録・きろく』で「5年がかりの10打数連続安打」と紹介していますが、景浦は召集前の昭和14年に5打数連続安打(1四球を挟む)で閉幕していますから、この試合の四回の内野安打で計10打数連続安打となります。

    戦前阪神時代の中原宏はロイド眼鏡をかけた野暮ったい投手でした。

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    1. 宇佐美さんに続いて、当ブログも面白い記録を発見しましたので、別稿で特集します。

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