2015年7月26日日曜日

千葉県高校野球史を塗り替えた日



 2015年7月26日は千葉県高校野球史に永遠に記憶される日となるでしょう。専修大学松戸高等学校が悲願の甲子園初出場を決めました。おめでとう!


 名将・持丸修一監督を招聘してこの数年、それまでベスト8がいいとこという評価が定着していた専松が変わりました。県大会では優勝、関東大会への進出も数度となりますがどうしても甲子園への道は遠かった。


 当ブログでは「数年内に専松が甲子園に行く」と何度も書かせていただきました。その日が遂にやってきたのです。前半は習志野伝統の引きつけて叩くバッティングと「日本一」と言われる応援団に押されて7回表まで3点のビハインド。7回裏は先頭がヒットで出て、それまで決まらなかった送りバントを決めて、下位打線が粘りに粘って均衡を破り、昨年の四番・トップの渡邉がライトオーバーの同点三塁打、四番・原が決勝の満塁ランニングホームラン。7対3で習志野を降して学校創立56年にして初の甲子園出場を決めました。


 専大松戸野球部創設期の監督は畑福俊英です。昭和10年の東京巨人軍第1回アメリカ遠征に参加した畑福俊英は東都大学リーグ戦草創期に専修大学で活躍した剛球投手でした。巨人の公式戦最初の勝利投手は沢村栄治ではなく畑福です。イーグルスでも球団初の勝利投手となった畑福は戦争で肩を壊して帰ってきますが復帰後もナックルボールを駆使する技巧派として戦前の野球史にその名を残しています。


 専大松戸の監督に就任したのは専修大学の主戦投手だった関係であることは容易に想像できます。NHKのドキュメント番組「ある人生」は、1966年7月16日の放送で「老監督」のタイトルで畑福俊英を取り上げています。


 千葉県高校野球の全盛期であった70年代、銚子商業と習志野が両横綱、千葉商業、木更津中央、成東が続き、専大松戸はよくてベスト4、常にベスト8までという存在でした。古くからの千葉県高校野球ファンであれば、専大松戸が習志野に勝つなど考えられないことでした。持丸監督を招聘して、甲子園まであと一歩というところまで来てからも数年が経ちました。持丸監督は茨城県では、藤代、竜ケ崎一高、常総学院で甲子園に出場、4校目の甲子園となります。今度は千葉県代表として、念願の舞台で堂々と戦ってもらいたいものです。


 

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