2014年11月9日日曜日

17年 巨人vs名古屋 4回戦


4月28日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 4 2 0 0 0 0 6 巨人   11勝6敗 0.647 須田博 多田文久三
0 0 0 0 0 0 0 0 2 2 名古屋 4勝13敗 0.235 松尾幸造 石丸進一

勝利投手 須田博     1勝0敗
敗戦投手 石丸進一 2勝3敗
セーブ     多田文久三 1

二塁打 (巨)伊藤 (名)飯塚
本塁打 (巨)川上 2号

勝利打点 川上哲治 1


須田博復活!!!

 翌日の読売新聞は「須田颯爽と登場」と限られた紙面においては最大限の大見出しで須田博の復活を伝えている。


 巨人は初回、先頭の白石敏男が四球で出塁するが水原茂は中飛、楠安夫の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 名古屋はその裏、球道の定まらない須田から先頭の木村進一がストレートの四球を選び、岩本章もワンスリーから四球を選んで無死一二塁、しかし古川清蔵が中飛に倒れ、飯塚誠の遊飛に一走岩本が飛び出し「6-3」と送球されてダブルプレー。

 巨人は2回、先頭の川上哲治が四球で出塁するが中島治康の二ゴロは「4-6-3」と転送されてダブルプレー。

 巨人は4回、先頭の水原茂が四球で出塁、名古屋ベンチはここで先発の松尾幸造から石丸進一にスイッチ、楠は三振に倒れるが、川上が逆風を突いてライトスタンドに特大のホームランを放ち2点を先制、中島が左前打、伊藤健太郎の左中間二塁打で中島が還って3-0、呉波の二ゴロの間に伊藤は三進、坂本茂が中前にタイムリーを放って4-0として須田を援護する。

 名古屋は4回、先頭の吉田猪佐喜が四球で出塁するが山下実の二直に飛び出しダブルプレー。

 巨人は5回、白石、水原が連続四球、楠の三ゴロをサード木村がエラーする間に二走白石が還って5-0、川上は三飛に倒れて一死一二塁、中島の左前打で一死満塁、伊藤の遊ゴロの間に三走水原が還って6-0とリードを広げる。

 名古屋は5回裏、先頭の石丸藤吉が中前打で出塁、しかし石丸進一は中飛、トップに返り木村進一の遊ゴロが「6-4-3」と転送されて3回目のダブルプレー。

 名古屋は6回、先頭の岩本が三塁に内野安打、しかし古川のファーストライナーに飛び出し川上が一塁ベースを踏んで3イニング連続4回目のダブルプレー。

 巨人は7回、一死後楠がストレートの四球を選ぶが川上の二ゴロが「4-6-3」と渡って巨人もこの試合3つ目のダブルプレー。

 病み上がりの須田博は6回で降板し、7回裏から多田文久三が二番手のマウンドに上がる。

 名古屋は7回裏、一死後山下実が右前打で出塁、しかし野口正明の三ゴロが「5-4-3」と渡って4イニング連続5回目のダブルプレー。

 名古屋は8回、先頭の石丸藤吉に代わる代打芳賀直一がストレートの四球で出塁、石丸進一もストレートの四球を選んで無死一二塁、しかしトップに返り木村は三振、岩本も三振に倒れて二死一二塁、古川の当りは一二塁間に飛ぶが一走石丸進一に当たって守備妨害、古川には内野安打が記録されるがスリーアウトチェンジ。

 名古屋は9回、先頭の飯塚がレフト線に二塁打、吉田に代わる代打本田親喜監督の中前打で無死一三塁、山下実は三振に倒れて一死一三塁、野口正明に代わる代打井上次平の打席でパスボール、三走飯塚が還り1点返して1-6、井上が四球を選んで一死一二塁、芳賀の遊ゴロで一走井上が二封されて二死一三塁、石丸進一に代わる代打河村章の左前タイムリーで2-6、しかしトップに返り木村が右飛に倒れて試合終了。


 須田博は6イニングを投げて3安打5四球1三振無失点で復活、今季初登板初勝利を記録する。しかし名古屋は5個の併殺と1個の守備妨害でことごとくチャンスを潰し須田を援護したのである。


 名古屋は4イニング連続を含む5個の併殺を喫し、巨人も3個の併殺を記録した。


 この日の後楽園球場は強い逆風であったが川上哲治が石丸進一からライトに大ホームランを放った。石丸進一はこれで森井茂と並び被本塁打3本でホームラン配球王となっている。森井が超スローボールの持主であることはよく知られている事実であり、狙い打たれるとホームランになることは容易に想像できる。石丸進一は球質が軽かったと考えざるを得ないでしょう。


 名古屋の少ない得点に寄与した井上次平はこれが4試合目の出場、5月1日の阪神戦で5試合目の出場を記録することになるがキャリアで出場試合は5試合だけで無安打である。この日記録した四球がプロでの唯一の出塁となった。出場した5試合全てが途中出場なので、スタメンアーカイブを探してもその名を見つけることはできない。「Wikipedia」によると井上は小鶴(飯塚)誠と同様八幡製鉄から名古屋に入団したとのこと。八幡製鉄は毎年都市対抗に出場しているが、「都市対抗野球60年史」に記載されているボックススコアには「井上」の名は認められない。当時は姓が変わることはよくあるので、井上次平が都市対抗に出場していないとは限りませんが。





*肋膜炎で休んでいた須田博が復活した。









*巨人5個、名古屋3個の併殺は守備サイドの数字である。












*この日は強い逆風であったが川上哲治は球質の軽い石丸進一からライトスタンドに大ホームランを放った。















 

2 件のコメント:

  1. 井上次平ですが、ベースボールニウス特別号『職業野球春の敢闘号』(昭和17年)の新人選手點描(大久保雅生)に短く紹介されています。

    …久留米商から八幡製鉄に進み、今春名軍へ参加した。捕手を勉めるべく張切っていると云う…

    又『ベースボールニウス3月1日号』(昭和17年)には、春季キャンプ中の石丸藤吉の寸評として、

    …九州で実業チームに居たから他の中学出と比べたら図々しさもあり、他の闘志も旺ん、背は小さい方だが、横幅が充分だから未来は大いに楽しめましょう…

    その他、名古屋軍の新人選手に、投手:上原稔(朝鮮総督府)、松崎喜義(岡谷工)、三塁手:岡本信雄(佐賀商)の名前がありますが、どうやら公式登録されなかったようですね。

    http://baseballgleaning.blog.fc2.com/

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  2. さすがにこの水準まで来ると返す言葉が見つかりませんね(笑)。

    昭和17年には1年だけ復活した都市対抗野球も昭和16年には中止となっていますので井上次平が八幡製鉄のレギュラーであった可能性は十分考えられます。16年都市対抗が中止となったことから社会人野球に見切りを付けてプロ入りした選手は広瀬習一等、何人か認められます。

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