2025年10月31日金曜日

22年 南海vs中日 11回戦

7月28日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 0 0 0 0 0 0  0  0 南海 32勝28敗3分 0.533 別所昭 
0 0 0 0 0 0 0 0 1X 1 中日 37勝24敗1分 0.607 藤本英雄

勝利投手 藤本英雄 16勝10敗 
敗戦投手 別所昭     17勝10敗

三塁打 (中)加藤

勝利打点(中)加藤正二 4


藤本が完封、加藤がサヨナラ三塁打

 後楽園の第2試合は別所昭と藤本英雄の先発で午後3時7分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 25日の10回戦に続いて両エースの対決となった。

 南海は初回、先頭の安井亀和がライト線にヒットから二盗を決めるが、二死後藤本の二塁牽制にタッチアウト。

 中日は1回裏、先頭の古川清蔵の当りは遊ゴロ、これをショート小林悟楼がエラー、金山次郎の投前送りバントは別所が二塁に送球して古川は二封で失敗、続く大沢清の右打ちはファーストライナー、一走金山は戻れず飯田徳治がベースを踏んでゲッツー。

 2回、3回と南海は三者凡退。

 中日は2回裏、先頭の加藤正二がストレートの四球で出塁、小鶴誠の中前打で無死一二塁、杉浦清監督が送りバントを決めて一死二三塁と先制のチャンス、しかし藤本は力んだか二飛に倒れ、藤原鉄之助は遊ゴロで無得点。

 中日は3回裏、先頭の三村勲が中前打で出塁、トップに返り古川が送って一死二塁、金山の左前打で一死一三塁と再び先制のチャンンス、ここでダブルスチールを試みるが、キャッチャー坂田清春からの送球をキャッチしたショート小林がホームに好返球して三走三村の本盗は失敗、大沢の右打ちも一ゴロに終わって無得点。

 序盤戦は中日が押し気味だったが中盤戦は南海が反撃した。

 南海は6回表、先頭の別所がレフト線にヒット、坂田が送りバントを決めて一死二塁、しかし後続が倒れて無得点。

 南海は7回表、先頭の河西俊雄が中前打で出塁、二死後飯田が四球を選んで一二塁とするが、堀井数男は一ゴロに倒れて無得点。

 中日は4回以降ノーヒット。

 南海も8回、9回と三者凡退。

 中日は9回裏、先頭の大沢が四球を選んで出塁すると代走に杉江文二を起用、ここで加藤正二が左中間を破り、快足杉江は二塁、三塁を回ってホームに還り、加藤のサヨナラ三塁打で中日が接戦を制す。

 加藤正二は26日の決勝本塁打に続く勝利打点を記録。「加藤の乱」は続いている。

 藤本英雄は4安打1四球3三振で今季4度目の完封、16勝目をマークしてハーラートップの別所に1勝差と迫った。

 藤本と別所の対決は今季5度目。

 4月29日の2回戦は別所が4対1で完投勝ち。6月1日の5回戦は藤本が2対0で完封勝ち。7月7日の7回戦七夕決戦は延長12回0対0の引分け。7月25日の10回戦は延長11回2対1で別所が完投勝ち。そして、本日の11回戦は1対0で藤本が完封勝ち。

 5度の対決は全て両投手が完投している。

2025年10月29日水曜日

WS 1試合長打4本

 2025年ワールドシリーズ第3戦は延長18回にドジャースが6対5でサヨナラ勝ちする歴史的な激闘となりました。

 ドジャースの大谷翔平は第4打席までに本塁打2本、二塁打2本を記録。第5打席以降は4連続申告敬遠と四球で9打席連続出塁、「長打4本」を記録しました。

 ワールドシリーズでの「1試合長打4本」は、1906年にシカゴ・ホワイトソックスのフランク・イズベル(Frank Isbell)が記録してから118年間誰も達成していませんでしたが、119年目に大谷翔平が記録したのです。

 フランク・イズベルは1901年にアメリカン・リーグが創設された初年度に、ア・リーグ最初の盗塁王になった好選手でした。

 以降の記述は「Baseball Reference」より。

 フランク・イズベルは1875年ニューヨークに産まれ、身長は5フィート11インチ(約180cm)、体重は190LBS(ポンド:約86kg)、一塁・二塁・外野を守っていました。ニックネームは「Bald Eagle」(ハクトウワシ=白頭鷲)。

 「Bald Eagle」は日本では「ハゲタカ」とされているようですが、アメリカの「国鳥」ですから正確に訳さないとトランプ大統領に怒られちゃいますよ(笑)。「ハゲタカ」の一般的な英訳は「vulture」とされています。

*フランク・イズベルが1試合4長打を記録した証拠書類。洋書「The World Series」(筆者蔵)より。「2B」の項に「Isbell 4」の記述が見られます。1906年ワールドシリーズ第5戦で二塁打4本を記録しました。


*この試合の勝利投手は「大」エド・ウォルシュ。1908年には40勝を記録することとなり、通算防御率「1.82」」は歴代No1とされています。

写真は「大」エド・ウォルシュのベースボールカード(筆者蔵:無断転載を禁ず)



2025年10月27日月曜日

22年 金星vs阪急 12回戦

7月28日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 金星 24勝39敗1分 0.381 重松通雄 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 30勝33敗2分 0.476 野口二郎

勝利投手 重松通雄   9勝7敗 
敗戦投手 野口二郎 10勝11敗

二塁打 (金)中村
本塁打 (金)大友一明 4号

勝利打点(金)大友一明 4


大友一明、今季4本目の決勝本塁打

 甲子園の第1試合は重松通雄と野口二郎の先発で午後1時35分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は6回まで1安打無得点。阪急は6回まで2安打無得点。

 重松と野口二郎の投げ合いで試合は0対0のまま終盤へと向かう。

 金星は7回表、先頭の大友一明がワンストライクからの2球目をレフトスタンドに第4号ホームラン、1点を先制する。

 重松通雄はこの1点を守り切り、3安打4四球1三振で今季5度目の完封、9勝目をマークする。完封数では、現在17勝でハーラートップ別所昭の6度に次ぐ二位である。

 大友一明が、この試合両軍唯一の得点となる決勝本塁打を放った。大友は6月1日の阪急戦でもこの日と同様、野口二郎から決勝の逆転ツーランを放った。この時の勝利投手も重松だった。

 大友は4個目の勝利打点を記録したが、全て決勝ホームランである。

 今季、ここまでリーグ全体で133本の本塁打が記録され、その内決勝本塁打は14本であるが、複数の決勝本塁打を打っているのは大友一明の4本だけで、残りの10本は10人が1本ずつを打っている。

 大友は昭和11年のプロ野球初年度から在籍しているが、昨年までの通算本塁打数は3本だけで、今季の4本塁打が全て決勝本塁打という神懸かり的な活躍を見せている事実は、当ブログが発掘するまで語られたことはない。

2025年10月26日日曜日

22年 東急vs大阪 11回戦

7月28日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 1 0 0 1 1  0  3 東急 24勝35敗2分 0.407 一言多十 白木義一郎 
0 0 0 0 1 0 0 0 2 1X 4 大阪 44勝19敗1分 0.698 御園生崇男

勝利投手 御園生崇男 13勝0敗 
敗戦投手 白木義一郎 12勝13敗

二塁打 (東)熊耳 (大)金田
本塁打 (東)熊耳武彦 4号、大下弘 5号

勝利打点(大)金田正泰 5 

猛打賞 (東)熊耳武彦 2 (大)土井垣武 4


御園生崇男、開幕13連勝

 第15節最終日、後楽園の第1試合は一言多十と御園生崇男の先発で午後1時6分、西垣球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は5回表、先頭の熊耳武彦がレフトスタンドに第4号ホームランを叩き込んで1点を先制する。

 大阪は5回裏、先頭の土井垣武が右前打で出塁、本堂保次の二ゴロをセカンド苅田久徳監督がエラーして無死一二塁、山口政信の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー、二死三塁から長谷川善三が中前に同点タイムリーを放ち1-1と追い付く。

 東急は8回表、一死後大沢喜好が左前打で出塁、二死後鈴木清一の右前打で二死一三塁、飯島滋弥の打席でダブルスチールを決めて2-1と勝ち越す。

 東急は9回表、先頭の大下弘が右越えに第5号ホームランを叩き込んで3-1とリードを広げる。

 東急が終盤に大技小技でリードを取って試合は決したかに見えたのだが・・・。

 大阪は9回裏、先頭の藤村富美男が四球を選んで出塁、東急ベンチはここで一言をセンターに回して白木義一郎がマウンドに上がり、土井垣の右前打で無死一二塁、武智修の二前プッシュバントが内野安打となって無死満塁、玉置玉一に代わる代打若林忠志がスクイズを決めて2-3と1点差として一死二三塁、キャッチャー熊耳からの三塁牽制が悪送球となる間に三走土井垣が還って3-3の同点、一死三塁から長谷川の右飛で三走武智がタッチアップからサヨナラのホームを狙うが、ライト長持栄吉からの好返球にタッチアウト、試合は延長戦に突入する。

 東急が白木をリリーフに送った際、先発の一言がセンターに入ってセンター長持はライトに回っていた。この布陣がサヨナラ負けを回避したのである。

 東急は10回表、先頭の大沢喜好の当りは二ゴロ、これをセカンド武智が一塁に悪送球、トップに返り苅田が送りバントを決めて一死二塁とするが、後続が倒れて無得点。

 大阪は10回裏、ここまで投げ続けている先頭の御園生が四球を選んで出塁、一死後御園生が二盗に成功、ここで金田正泰がレフト線にサヨナラ二塁打を放ち大阪が激戦を制す。

 御園生崇男は9安打無四球1三振で10回を完投、開幕13連勝を飾る。

 大下弘の今季の打撃は流し打ちが多いことを当ブログは伝えている。先日の第4号ホームランも左中間を抜くランニングホームランであった。この日は久々に右越えの一発だった。ホームランダービーは青田昇が8本で突っ走っているが、この一発で大下の打撃が変わってくると面白い展開になるかもしれない。

2025年10月24日金曜日

訂正のお知らせ

 集計ミスにより、青田昇の本塁打数が間違っていました。

 6月22日の太陽戦で放った第6号が抜けており、7月20日の巨人戦での6号→7号と、7月27日の太陽戦での7号→8号を訂正しました。

 その他、本塁打数に関する記述を訂正しました。

 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。


2025年10月23日木曜日

22年 阪急vs太陽 10回戦

7月27日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 0 1 0 1 4 阪急 30勝32敗2分 0.484 天保義夫 森弘太郎 
0 0 1 2 0 0 0 4 X 7 太陽 24勝37敗1分 0.393 井筒研一

勝利投手 井筒研一 5勝5敗 
敗戦投手 天保義夫 4勝9敗

二塁打 (太)森下
三塁打 (太)藤井
本塁打 (急)青田昇 8号、田中幸男 2号 (太)森下重好 6号

勝利打点(太)藤井勇 5

猛打賞 (急)田中幸男 2


藤井勇、決勝三塁打

 甲子園の第2試合は天保義夫と井筒研一の先発で午後3時30分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は2回表、先頭の野口明の当りは遊ゴロ、これをショート蔵本光夫がエラー、続く楠安夫も遊ゴロ、今度は蔵本が巧みに捌いて「6-4-3」のゲッツー。

 太陽は3回裏、先頭の荒川昇治が右前打で出塁、一死後井筒が三遊間を破り一死一二塁、トップに返り辻井弘の二ゴロは「4-6-3」と渡るが一塁セーフ、この簡に二走荒川が三塁ベースを蹴ってホームイン、荒川の好走塁で1点を先制する。

 阪急は4回表、先頭の上田藤夫が中前打で出塁、青田が左中間スタンドに第8号逆転ツーランを叩き込んで2-1と試合をひっくり返す。

 太陽は4回裏、先頭の森下重好が左越えに二塁打、続く中谷順次の中前タイムリーで2-2の同点、センター青田がこの当りを後逸する間に打者走者の中谷は三塁に進み、一死後佐竹一雄の右犠飛で3-2と再逆転。

 阪急は5回表、先頭の荒川が三塁に内野安打、天保の二ゴロでランナーが入れ替わり、山田伝の右前打で一死一二塁、トップに返り田中の三ゴロが「5-4-3」と渡ってゲッツー。

 阪急は7回表、二死後田中がレフトスタンドに第2号同点ホームランを叩き込んで3-3と追い付くシーソーゲーム。

 阪急は8回表、先頭の青田が三塁に内野安打、野口明も一塁内野安打で無死一二塁、続く日比野武の遊ゴロで三塁に走った二走青田が三塁ベースをオーバーラン、7回の守備から蔵本に代わってショートに入っていた松井信勝は一塁に送球せず青田の動きを見て三塁に送球、青田は三本間に挟まれ、サード中谷が追いかけてキャッチャー伊勢川真澄に送球し、伊勢川が青田を追いかけてタッチアウト、この間に一走野口明は二塁から三塁に向かっていたが、これを伊勢川が追いかけてタッチアウト、「6-5-2・2」のダブルプレーとなった。伊勢川には2刺殺が記録される。

 太陽は8回裏、先頭の辻井が中前打で出塁、藤井勇が左中間に勝越しのタイムリー三塁打を放ち4-3とリード、続く森下がセンター左奥に第6号ツーランを叩き込んで6-3とリードを広げ、一死後伊勢川が中前打で出塁、二死後荒川が四球を選び、松井の左前タイムリーで7-3と突き放す。

 阪急は9回表、一死後山田の当りは遊ゴロ、これをショート松井が一塁に悪送球、トップに返り田中の三塁内野安打で一死一二塁、上田の二ゴロが野選を誘って一死満塁、青田の遊ゴロを松井は二塁に送球してまずツーアウト、セカンド荒川が一塁に転送するがセーフ、併殺崩れとなって三走山田が還り4-7、二走田中は三塁ベースを蹴ってホームを狙うがファースト佐竹がキャッチャー伊勢川に送球、三本間に挟まれた田中が三塁に戻ると伊勢川はサード中谷に送球、田中は再びホームに向かうがカバーに入ったピッチャー井筒に転送されてタッチアウト、「6-4-3-2-5-1」の併殺でゲームセット。

 井筒研一は9安打4四球4三振の完投で5勝目をマークする。4奪三振は7回と8回に奪ったものであった。

 太陽は藤井と森下の長打攻勢で快勝した。実況のとおり2つの変則併殺を含む4併殺で阪急を抑え込んだ。

 伊勢川真澄は8回の併殺で2個の刺殺を記録した。

 色々あった試合で目立たないが、3回裏に荒川昇治が見せた好走塁も勝因の一つであった。荒川は後にキャッチャーに転向して、昭和27年には捕手としてプロ野球記録として現在でも残る35盗塁を記録することになる。その俊足ぶりは、プロ入り初年度から当ブログの実況中継で数多く伝えている。

2025年10月22日水曜日

22年 南海vs大阪 8回戦

7月27日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 1 0 0 0 0  1  南海 32勝27敗3分 0.542 丸山二三雄 松川博爾 山本一人 中谷信夫 
4 3 3 0 0 5 0 0 X 15 大阪 43勝19敗1分 0.694 若林忠志 野崎泰一

勝利投手 若林忠志   13勝6敗 
敗戦投手 丸山二三雄 8勝7敗

二塁打 (南)飯田2 (大)藤村、富樫2、土井垣
三塁打 (大)呉、本堂
本塁打 (大)土井垣武 1号

勝利打点(大)藤村富美男 7

猛打賞 (大)呉昌征 6、富樫淳 3、本堂保次 3 


山本一人、プロ入り初登板

 後楽園の第2試合は丸山二三雄と若林忠志の先発で午後3時14分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、先頭の呉昌征が右中間に三塁打を放って口火を切り、金田正泰と富樫淳は連続ストレートの四球で無死満塁、藤村富美男がライトに2点タイムリー二塁打を放ち2-0、土井垣武の遊ゴロの間に三走富樫が還って3-0、本堂保次が中前にタイムリーを放ち4-0とする。南海ベンチは早くも先発の丸山から松川博爾にスイッチ。

 大阪は2回裏、先頭の呉昌征が中前打で出塁、金田も中前打で続いて無死一二塁、富樫がレフト線にタイムリー二塁打を放ち5-0、南海はここで松川を下げてサードの山本一人監督がマウンドに上がり、藤村の強烈な当りはサードライナーとなって山本に代わってサードに入った朝井昇がキャッチしてからベースを踏んでダブルプレー、二死二塁となって土井垣が左中間スタンドに第1号ツーランを叩き込んで7-0、続く本堂も右中間に三塁打、玉置玉一は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 南海は3回から山本がサードに戻って中谷信夫がマウンドに上がる。山本は1イニングだけの登板だった。

 大阪は3回裏、先頭の長谷川善三が四球で出塁、若林は左前打、トップに返り呉は三前にバントヒットで無死満塁、金田の一塁線ドラッグバントがタイムリー内野安打になって8-0、富樫が左前に2点タイムリーを放ち3回で10対0と大きくリードする。

 南海は5回表、先頭の飯田徳治が遊失で出塁、一死後中谷の右前打で一三塁、坂田清春の中犠飛で1点を返す。

 大阪は6回裏、先頭の藤村が三遊間にヒット、土井垣が左中間にタイムリー二塁打を放ち11-1、本堂のライト線ヒットで無死一三塁、玉置玉一の中犠飛で12-1、一走本堂もタッチアップから二塁に進み、長谷川の二ゴロの間に本堂は三進、若林の左前タイムリーで13-1、トップに返り呉は四球で二死一二塁、金田の二ゴロをセカンド安井亀和が失して二死満塁、富樫のライト線2点タイムリー二塁打で15-1とする。富樫はこれで5打点。

 若林忠志は7回で降板するが4安打2四球2三振1失点、自責点ゼロの余裕の投球で13勝目をマーク、リリーフの野崎泰一が2イニングを無失点に抑えた。

 山本一人監督が鶴岡時代を含めてプロでは唯一となる登板となった。1イニングを投げて2安打、被本塁打1本、無四球無三振、失点1、自責点1の成績で、生涯通産防御率は9.00となった。

 土井垣武は鶴岡から本塁打を打った唯一の打者となり、本堂保次は鶴岡から三塁打を打った唯一の打者となったのである。