2025年11月19日水曜日

22年 阪急vs大阪 9回戦

8月1日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 0 0 2 0 4 阪急 31勝34敗2分 0.477 天保義夫 
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 大阪 44勝20敗2分 0.688 若林忠志

勝利投手 天保義夫   5勝9敗 
敗戦投手 若林忠志 13勝7敗

二塁打 (急)田中 (大)玉置

勝利打点 (急)青田昇 5

猛打賞 (急)青田昇 4


天保のナックルにダイナマイト打線沈黙

 第16節2日目、西宮の第1試合は天保義夫と若林忠志の先発で午後1時32分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は4回表、先頭の田中幸男がライト線に二塁打、田中は前節21打数7安打で敢闘賞を獲得したが好調を持続、一死後青田昇の右前タイムリーで1点を先制する。

 阪急は5回表、先頭の日比野武が三塁線にヒット、下社邦男が送りバントを決めて一死二塁、荒木茂の遊ゴロの間に二走下社は三進、天保のライト線タイムリーで2-0とリードを広げる。

 大阪は7回裏、先頭の金田正泰が四球を選んで出塁、一死後土井垣武の右前打で一死一三塁、土井垣が二盗を決め、武智修に代わる代打本堂保次の右前タイムリーで1-2と1点差、しかし玉置玉一に代わる代打富樫淳の当りは一塁ファウルグラウンドへの小フライ、エンドランが掛かっていたのか一走本堂は戻れずダブルプレーで同点のチャンスを逃す。

 天保義夫は6安打1四球1三振の完投で5勝目をマークする。天保は戦時中の勤労奉仕で工場勤務の際、右手に大けがを負ったが、独特のナックルボールを習得して戦後も活躍を続け、今西錬太郎と共に阪急投手陣を支えていくことになる。

 強打を誇るダイナマイト打線も天保のナックルに沈黙した。

 大阪7回の攻撃、代打本堂のタイムリーで1点差に迫った一死一三塁で玉置玉一に代えて富樫淳を代打に起用して併殺でチャンスを潰した。このところ当りの止まってきているダイナマイト打線に、テコ入れ策としてこの日は打順を大きく変えてきた。三番を打っていた富樫はベンチスタートとなり、勝負所で玉置の代打に起用したが、玉置はここまで2打数2安打と一番当たっていた。結果論ではあるが、当たっている玉置の代打に富樫を起用した策が裏目に出たのである。

 首位独走の大阪であるが、ここ10試合は4勝5敗1分と負け越している。原因は自慢のダイナマイト打線に当りが止まってきていることである。そこで若林監督は大幅に打順を変更して気分転換をはかったが機能しなかった。

 根本原因は長打力不足にある。確かに打線がつながっての波状攻撃で得点力が高かったことからこの時期に「ダイナマイト打線」と名付けられたのが歴史的事実であるが、長打力が見劣りするのも歴史的事実であることを当ブログは伝えている。例えば、前日の太陽戦は延長12回2対2の引分けであったが、太陽の得点は全て長打を絡めてのものであったのに対して、大阪は8本のヒットが全てシングルであった。ダイナマイト打線の長打力不足解消は、別当の加入とラビットボールの導入まで待たなければならないのである。

2025年11月18日火曜日

ピンポン外交

 高市総理の発言を巡って、日中関係が悪化している。今こそ先人の叡智を見習い対処すべき時であろう。

 1971年の卓球世界選手権は名古屋で開催された。世界最強の中国チームは文化大革命の影響で世界選手権には2大会連続で出場しておらず、6年ぶりの世界選手権復帰となった。

 この大会での偶然のハプニングが世界を動かした。某アメリカ人選手が誤って中国チームのバスに乗り込んでしまった。当時の中国選手団はアメリカ選手との接触を禁じられていたが、中国選手団のリーダーであった荘則棟はそのアメリカ選手を暖かく迎えたのである。このニュースがきっかけとなって大会後にアメリカ卓球チームが中国に招待され、キッシンジャーが中国を訪問するなど米中関係が急接近することになった。当時の中国は隣国のソ連(現ロシア)との関係が悪化しており、外交戦略の見直しを模索していた。

 1972年7月に総理大臣に就任した田名角栄は、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた行動力で電光石火の動きを見せ、同年9月に日中国交回復が実現した。更に中国は1か月後、日中親善の使者としてパンダのランランとカンカンを上野に派遣したのである。

 他の多くの方々の努力もあったが、偶然バスに乗り込んでしまったアメリカ選手に対する荘則棟の対応が世界を動かしたのである。なお、卓球に詳しくない方のために説明すると、卓球界における荘則棟の存在は、日本野球史における沢村栄治、長嶋茂雄、王貞治、大谷翔平に匹敵する歴史的名選手であった。

 筆者の父親は卓球でインターハイ優勝、国体出場のカットマンだった。小学校時代の筆者は、週末には市川市立真間小学校の体育館に連れて行かれてトップアマの下回転のカットボールを上回転のドライブで打ち返していた。1971年世界選手権は中学1年生の時で、中国の6年ぶり復帰で荘則棟が来日するというニュースはよく覚えている。中国チームは「友好第一」の態度で、どんな試合でも相手選手に1ゲームを与えるという試合運びであった。卓球では10対0の場合、スコンクゲームにしないように相手に1点与える慣習がある。近年では容赦なく11対0で勝つケースも出てきているが。

 なお、現在では「日中国交正常化」という表現が使われているが、NHKアーカイブで誰でも見ることのできる当時のニュースでも「国交回復」という表現が使われているように、当時は「日中国交回復」と呼ばれていたので本稿でもそれに従った。ご了承願いたい。


2025年11月16日日曜日

訂正のお知らせ

 昭和22年7月31日「太陽vs大阪6回戦」の両チームの勝敗と勝率が間違っていましたので修正しました。

 ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。

 

22年 7月 月間MVP

月間MVP

投手部門
 中日 藤本英雄 通算2度目 
 今月は9試合に登板して77回3分の1を投げて4勝3敗1セーブ、防御率0.93、WHIP0.74という安定した投球が光りました。

 別所昭は11試合に登板して93回3分の1を投げて7勝2敗、防御率1.25、WHIP0.90。勝星で藤本を上回りますが、投球内容で少し劣る。7月12日の大阪戦でリリーフに失敗して1回3分の0で自責点4。この試合が大きく響きました。仮にこのリリーフ失敗が無ければ防御率0.88、WHIP0.90になるので別所が受賞したでしょう。

 藤本と別所の対決は7日、25日、28日の3回で、対戦成績は1勝1敗1引分け。七夕決戦となった7月7日の延長12回0対0引分けの投げ合いは圧巻でした。

 大きく成長した今西錬太郎は8試合に登板して68回3分の1を投げて5勝2敗、防御率1.58、WHIP1.08。藤本と別所に肉薄してきました。

打撃部門
 太陽 森下重好 初受賞
 今月は75打数24安打、打率3割2分、13得点、14打点。二塁打3本、三塁打1本、本塁打は3打数連続を含む6本。文句なしの受賞と言えます。

 月間首位打者は金田正泰で打率3割6分。27安打と18得点もトップでした。
 打点は小松原博喜と平山菊二が18打点でトップ。二人とも打率は3割に届きませんでしたが勝負強さが際立ちました。

 大下弘が調子を上げてきて74打数25安打、打率3割3分8厘、10得点、13打点。二塁打4本、三塁打2本、本塁打3本。

 7月末時点での首位打者は3割2分1厘の川上哲治。1分差で金田正泰と大下弘が追う展開となっています。


2025年11月14日金曜日

22年 太陽vs大阪 6回戦

7月31日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 1 0 1 0 0 0 0  0   0   0  2 太陽 25勝37敗2分 0.403 真田重蔵 
0 0 0 0 0 0 0 2 0  0   0   0  2 大阪 44勝19敗2分 0.698 梶岡忠義

二塁打 (太)藤井
三塁打 (太)真田、荒川

勝利打点 なし


真田と梶岡の投げ合いで引き分く

 西宮の第2試合は真田重蔵と梶岡忠義の先発で午後3時23分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、二死後好調富樫淳が中前打で出塁、藤村富美男の遊ゴロをショート松井信勝が一塁に悪送球して二死二三塁、しかし当たっている土井垣武は中飛に倒れて無得点。

 太陽は3回表、一死後辻井弘が中前打で出塁、藤井勇が左中間にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。更に第一打席で連続打数本塁打記録が途切れた森下重好が左前打を放って一死一三塁とするが、森下の二盗を土井垣が刺してチャンスを潰す。

 太陽は5回表、先頭の松井が四球を選んで出塁、真田がセンター右奥にタイムリー三塁打を放ち2-0とリードを広げる。

 太陽は6回表、一死後荒川昇治が右中間に三塁打を放ってチャンス到来、しかし後続が倒れて追加点はならず。一死三塁で打席が回ってきた松井はワンボールから3球連続ファウル、2球目か3球目はスクイズ失敗だったのではないか。ここで追加点が取れなかったのは痛かった。

 太陽は8回表、先頭の中谷順次の当りは遊ゴロ、これを好守を誇るショート長谷川善三が一塁に悪送球、打者走者の中谷は二塁に進んで無死二塁、ここから梶岡が圧巻の投球を見せ、三者連続三振でピンチを凌ぐ。

 梶岡の力投に応えたい大阪は8回裏、先頭の呉昌征が中前打で出塁、金田正泰が四球を選んで無死一二塁、富樫淳の三塁線ヒットで無死満塁、一死後土井垣の二ゴロは「6-4-3」と転送されるが二塁はアウトで一塁はセーフ、併殺崩れの間に三走呉はホームイン、更に二走金田も三塁ベースを蹴ってホームに突っ込みセーフ、2-2の同点に追い付く。

 土井垣の二ゴロが併殺だったら大阪は無得点であったが、併殺崩れとなって2点が入った。この二ゴロで土井垣には2打点が記録された。土井垣はプロ通算654打点を記録することになるが、その中に金田の好走塁による1打点も含まれている。

 この後も真田と梶岡の力投は続き、2対2のまま延長12回引分け。

 真田重蔵は144球を投げて8安打5四球2三振。

 梶岡忠義は155球を投げて5安打6四球5三振。

 1時間44分の激闘であった。
 

2025年11月8日土曜日

午前3時

高市総理が午前3時に国会答弁に備えた勉強会を行ったことが物議を醸しているそうな。

野党の議員からの質問は鋭いところを突いてくるので、担当の官僚が慎重を期して徹夜で答弁書を作成するなんてのはざらにあります。

私はサラリーマンを20年やってから国家公務員を20数年やって定年退職しましたが、午前3時からの海外機関との電話会議に駆り出されたこともありました。

時代に逆行する?

公務なんだから当り前田のクラッカーですね(笑)。

みんな使命感で仕事してるんですよ。

誰かがやらなければ世の中回らない。ただそれだけのこと。

当ブログが書かなければ一リーグ時代の真実は伝わらない。ただそれだけのこと。


22年 南海vs阪急 8回戦

7月31日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 2 3 南海 33勝28敗3分 0.541 別所昭 
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 阪急 30勝34敗2分 0.469 今西錬太郎

勝利投手 別所昭        18勝10敗 
敗戦投手 今西錬太郎 14勝7敗

二塁打 (南)堀井、飯田 (急)日比野

勝利打点(南)坂田清春 2

猛打賞 (南)飯田徳治 4


別所が今西に投げ勝ちハーラートップ

 第16節初日、西宮の第1試合は別所昭と今西錬太郎の先発で午後1時33分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 今節から地方巡業が始まるが、南海と阪急は残留組で5試合を行うことになる。

 南海は2回表、一死後飯田徳治が左前打で出塁、堀井数男が三塁線を破る二塁打を放って一死二三塁、別所は四球で一死満塁、坂田清春の左犠飛で1点を先制する。

 阪急は4回裏、一死後坂元義一が左前打で出塁、日比野武のライト線タイムリー二塁打で1-1の同点に追い付く。

 中盤から後半は別所と今西の投げ合いが続いて試合は同点のまま最終回へ。

 南海は9回表、先頭の山本一人監督が中前打で出塁、一死後堀井の右前打で一三塁、堀井が二盗を決め、別所はこの試合3個目の四球で歩かされて一死満塁、ここで坂田が二前にプッシュバント、これがタイムリー内野安打となって2-1と勝越し、小林悟楼の一ゴロの間に三走堀井が還って3-1とする。

 別所昭は最終回も2三振を奪う力投、7安打1四球6三振の完投で17勝目をマークする。

 別所、今西の新時代エース同士の対決は別所が投げ勝ち、ハーラートップ独走態勢を築くことになった。

 坂田清春が先制の犠牲フライと決勝のスクイズバントを見せる活躍。

 坂田の決勝スクイズが何故プッシュバントだと分かるかについて解説しよう。プロ野球が採用している慶應式スコアカードには打球方向が記載される。坂田の記録は二塁へのゴロでバントを表す「BN」と内野安打を示す二重線が記されている。これは二塁前へのスクイズバントがタイムリー内野安打になったことを示しているため、二前プッシュバントと判断した。

*9回表、坂田清春が二前にプッシュバントスクイズを決めた場面。拡大鏡を使わないと見えないが、バントを表す「BN」と内野安打を示す二重線が記されている。