2025年12月31日水曜日

20th Century Boy

 2025年12月31日、NHK-BSで熱談プレイバック「ミスタープロ野球・長嶋茂雄のドラマチック人生」が再放送された。

 佐倉一高時代の大ホームラン、天覧ホームラン、引退試合での通算444号ホームランを講談師神田春陽が語るという内容だったが、最後の引退式でのシーンで流れてきたのがT.レックスの「20th Century Boy」であった。

 1973年の楽曲「20th Century Boy」は、後に唐沢寿明主演で映画化された「20世紀少年」の主題歌に使われたのでその時知った方も多いのではないか。

 現役時代の長嶋にはあまり興味は無かったが、中学時代にT.レックスは聞きまくっていたのでイントロが流れてきた瞬間理解できた。長嶋引退の前年にヒットしたことから引退シーンに使われたのだろう。

T. Rex - 20th Century Boy (1973)


2025年12月27日土曜日

22年 太陽vs大阪 8回戦

8月4日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 0 0 2 0 4 太陽 27勝38敗3分 0.415 真田重蔵 
1 0 0 0 0 1 0 1 0 3 大阪 45勝21敗3分 0.682 若林忠志

勝利投手 真田重蔵 10勝12敗 
敗戦投手 若林忠志 13勝8敗

二塁打 (大)藤村2

勝利打点(太)辻井弘 2

猛打賞 (大)藤村富美男 8


好調真田が完投で10勝目

 西宮の第2試合は真田重蔵と若林忠志の先発で午後3時25分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、先頭の呉昌征が右前打で出塁、一死後富樫淳が四球を選び、藤村富美男が中越えに先制の二塁打を放ち二走呉が還って1点を先制、一走富樫も三塁ベースを蹴ってホームを狙うが、センター森下重好からの返球を中継したセカンド荒川昇治の本塁送球でタッチアウト、打者走者の藤村も二塁から三塁を狙ったが、キャッチャー伊勢川真澄からの送球にタッチアウト。

 太陽は5回表、一死後伊勢川が左前打で出塁、荒川も左前打で続いて一死一二塁、二死後真田の中前タイムリーで1-1の同点、一走荒川は三塁に進んで二死一三塁、ここで真田がディレードスチール、真田は一二塁間でタッチアウトとなるが、その前に三走荒川がホームに還り2-1と逆転に成功する。真田には盗塁死が記録されたので、ダブルスチールの片割れアウトとなり荒川には本盗は記録されない。

 大阪は6回裏、先頭の金田正泰が四球を選んで出塁、一死後藤村の右超えタイムリー二塁打で2-2の同点に追い付く。

 太陽は8回表、先頭の佐竹一雄が三塁にヒット、真田の一塁線送りバントをファースト玉置玉一が一塁に悪送球、犠打とエラーが記録されて無死一二塁、松井信勝の投ゴロを若林は三塁に送球して二走佐竹は三封、トップに返り辻井弘のライト線タイムリーで3-2と勝越し、一走松井は三塁に進んで一死一三塁、二死後辻井が二盗に成功、この時キャッチャー土井垣武は二塁に投げず三塁に送球、これが悪送球となる間に三走松井が還って4-2とする。

 大阪は8回裏、先頭の呉昌征が三遊間に内野安打、ショート松井の悪送球もあって打者走者の呉は二塁に進み、金田は四球で無死一二塁、富樫の三ゴロはサード中谷順次が三塁ベースを踏んで一死一二塁、一走富樫に代走御園生崇男を起用、藤村の中前タイムリーで3-4と1点差、一死一三塁と同点のチャンスが続くが後続なく1点止まり。

 大阪は最終回、一死後武智修が右前打で出塁、若林の痛烈なセンター返しはピッチャーライナーとなり、武智は戻れずゲッツーとなって試合終了。

 真田重蔵は9安打4四球2三振の完投で10勝目をマークする。真田の好調は本格化してきた。

 8回に決勝打を放った辻井弘は昨日の阪急戦でも決勝三塁打を放っており2試合連続の勝利打点を記録した。

 藤村富美男が2試合連続の猛打賞で大阪の全得点を叩き出した。昨日は三塁打2本であったがこの日は二塁打が2本。藤村の打撃スタイルが変わってきた。

2025年12月25日木曜日

22年 南海vs阪急 10回戦

8月4日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 1 0 2 0 0 0 0 0 4 南海 35勝30敗3分 0.538 中谷信夫
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 阪急 32勝36敗2分 0.471 天保義夫 溝部武夫

勝利投手 中谷信夫 8勝9敗 
敗戦投手 天保義夫 5勝10敗

二塁打 (南)堀井
三塁打 (南)堀井

勝利打点(南)山本一人 1

猛打賞 (南)堀井数男 3


月曜日でも1万人越えの観衆

 第16節最終日、西宮の第1試合は中谷信夫と天保義夫の先発で午後1時33分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 南海は初回、先頭の安井亀和が中前打で出塁、河西俊雄が送りバントを決めて一死二塁、田川豊の遊ゴロの間に安井は三進、山本一人監督が右前にタイムリーを放ち1点を先制する。

 南海は2回表、先頭の堀井数男が右中間に三塁打、朝井昇の右犠飛で2-0とする。

 阪急は2回裏、一死後坂元義一が右前打で出塁、日比野武が左中間にヒット、荒木茂は四球を選んで一死満塁、天保の中犠飛で1点返して1-2とする。

 南海は4回表、一死後飯田徳治が左前打で出塁、堀井がセンター右奥にタイムリー二塁打を放ち3-1、朝井の三塁内野安打で一死一三塁、坂田清春の投ゴロを天保は一塁に送球してアウト、二塁に進んだ朝井のオーバーランを見てファースト野口明が二塁に送球するが悪送球となる間に三走堀井が還って4-1と突き放す。

 南海は6回表、二死後堀井が3打席連続ヒットとなる中前打で出塁、朝井の右前打で二死一二塁と追加点のチャンスを迎え、坂田の一二塁間へのゴロをファースト野口明が捕球、ピッチャー天保が一塁ベースカバーに入って「3-1A」の一ゴロでスリーアウトチェンジ。

 阪急は7回から溝部武夫がリリーフのマウンドに上がる。

 南海は9回表、先頭の堀井はここまで3打席で三塁打、二塁打、シングルヒットを放っており、ホームランが出れば史上初の「サイクルヒット」であったが、溝部の下手からの食い込んでくる球を引っ掛けて三ゴロに倒れる。

 中谷信夫は8安打3四球2三振の完投で8勝目をマームする。

 山本一人監督が今季初の勝利打点を記録した。この22年後、1969年紅白歌合戦の審査員で登場した際に司会の宮田輝アナから「つるたかずんど」と呼ばれてしまうことになるのは既報のとおり。

 阪急6回の守備、ピッチャー天保義夫は坂田清春の一二塁間のゴロにファースト野口明が飛び付くのを見て一塁ベースカバーに走って野口明からのトスを受け、「3-1A」でアウトにした。右方向への打球でのピッチャーによる一塁ベースカバーは、後に巨人がベロビーチキャンプでドジャースに教えてもらって日本に導入したとする説もあるが、スコアカードを見ると戦前の試合でも見られており、かなり前から行われていたことが分かる。

 阪急二番手の溝部武夫が3イニングを9人で抑えるパーフェクトリリーフ。溝部は4月20日の大阪戦で「4連続押出し四球」の不名誉な日本記録を樹立してしまったが、この日は見事なリリーフを見せた。特に、史上初の「サイクルヒット」が懸かった堀井数男を三ゴロに打ち取った場面はあっぱれであった。

 随所に好プレーが見られた試合となり、月曜日にも拘らず集まった1万人を超える観衆の期待に応えた。

2025年12月22日月曜日

つるたかずんど

 先日、BSNHKで1969年紅白歌合戦のノーカット版が放映された。

 この年の目玉は、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」と弘田三枝子の「人形の家」だった。

 カルメン・マキの「時には母のない子のように」も圧巻である。「Wikipedia」には「ステージに裸足で登場して非難を浴びた」と書かれているが、画像を確認すると靴下を履いている。

 これだけだと単なる芸能ネタで終わってしまうので本題に入ろう。

 この年の審査員の一人には現在当ブログで活躍している山本一人が選ばれていた。当時は「鶴岡一人」である。ところが、司会の宮田輝アナは、冒頭の紹介で「つるたかずんど」さんと呼んでしまった。

 紅白歌合戦史上有名な言い間違い事件と言えば、加山雄三がやらかした「仮面ライダー」が圧倒的知名度を誇っているが、「つるたかずんど」も事件としてとらえて良いのではないか。

 なお、「一人」の呼び方は「かずと」と思われがちであるが、当時は「かずんど」と呼ばれることも多く、こちらは問題ない。


2025年12月21日日曜日

22年 大阪vs南海 9回戦

8月3日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 0 0 0 0 0 2 5 大阪 45勝20敗3分 0.692 渡辺誠太郎 
0 0 0 0 0 1 0 1 1 3 南海 34勝30敗3分 0.531 別所昭

勝利投手 渡辺誠太郎 3勝3敗 
敗戦投手 別所昭      18勝11敗

二塁打 (南)小林、安井
三塁打 (大)藤村2
本塁打 (大)山本一人 6号

勝利打点(大)富樫淳 6

猛打賞 (大)藤村富美男 7 (南)河西俊雄 3


藤村が2本の適時三塁打

 西宮の第2試合は渡辺誠太郎と別所昭の先発で午後3時32分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、先頭の呉昌征が中前打で出塁、金田正泰のライト線ヒットで無死一三塁、金田がディレードスチールを仕掛けるが「2-6-3」と送球されてタッチアウト、三走呉は動けず一死三塁、富樫淳の二ゴロで三走呉がホームを狙い、セカンド安井亀和からの本塁送球はセーフ、野選が記録されて1点を先制、藤村富美男が中越えにタイムリー三塁打を放ち2-0、土井垣武の左犠飛で3-0とリードする。

 大阪先発の渡辺は前半好投を見せて5回まで無失点。

 南海は6回裏、先頭の小林悟楼が左中間に二塁打、トップに返り安井の遊ゴロの間に小林は三進、河西俊雄の中前タイムリーで1点返して1-3と追い上げ開始。

 南海は8回裏、先頭の坂田清春に代わる代打丸山二三雄が左前打で出塁すると代走に筒井敬三を起用、一死後トップに返り安井の当りは右中間に落ちる二塁打、一走筒井は三塁ベースで一旦止まるがホームに向かい、それを見たセンター呉昌征は直接本塁に送球する強肩を見せ、筒井は本塁寸前タッチアウト、二死二塁となって河西の三塁線内野安打で二死一三塁、河西が二盗を決めて二死二三塁、田川豊の一二塁間内野安打がタイムリーとなって2-3と1点差、三塁に河西、一塁に田川と俊足の走者を置くと、山本一人監督の打席で予想どおり田川が同点を狙うディレードスチールを仕掛け、キャッチャー土井垣はセカンド本堂保次に送球、一二塁間で挟殺プレーとなって本堂はファースト玉置玉一に送球、その瞬間三走河西がホームに突っ込み、この動きを読んでいた玉置が本塁送球、河西は本塁寸前タッチアウトとなって同点を狙ったダブルスチールは失敗。

 8回の守備を凌ぎ切った大阪は9回表、先頭の渡辺が左前打で出塁、トップに返り呉が送りバントを決めて一死二塁、金田の左前打で一死一三塁、今度は大阪がディレードスチールを仕掛けて一走金田がスタートを切り、キャッチャー筒井はセカンド安井に送球、一二塁間で挟殺プレーとなって安井はファースト飯田徳治に送球、その瞬間三走渡辺がホームに突っ込み、この動きを読んでいた飯田が本塁送球、渡辺は本塁寸前タッチアウトとなって二死二塁、富樫が四球を選んで二死一二塁、ここで藤村が試合を決める2点タイムリー三塁打を右越えに放ち5-2とする。

 南海は最終回、先頭の山本がレフトスタンドに第6号ホームランを放ち3-5と2点差に迫るが追い上げもここまで。

 渡辺誠太郎は13安打を浴びるが無四球4三振の完投で3勝目をマークする。

 お互いディレードスチールを仕掛けてダブルスチールを狙うケースが3回あったが、全て走者をアウトにする内野陣の好守が見られた。

 藤村富美男の2本のタイムリー三塁打が勝負を決めた。長打力不足が目立つ大阪であるが、打撃方法の転換期に来ている。

2025年12月14日日曜日

22年 中日vs巨人 9回戦

8月3日 (日) 桐生新川

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 3 3 中日 39勝24敗1分 0.619 清水秀雄
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 巨人 32勝33敗1分 0.492 長原孝治 多田文久三

勝利投手 清水秀雄     9勝5敗 
敗戦投手 多田文久三 7勝5敗

二塁打 (中)藤原、大沢 (巨)呉新亨、中島

勝利打点(中)藤原鉄之助 2

猛打賞 (中)藤原鉄之助 3


藤原鉄之助が土壇場で決勝打

 桐生新川の第2試合は清水秀雄と長原孝治の先発で午後2時10分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 巨人先発の初登板ルーキーサウスポー長原は、先頭の杉江文二を三振に打ち取り順調な立ち上がりかと見えたが、二死後大沢清、加藤正二、小鶴誠のクリーンナップトリオに3連続四球、続く杉浦清監督のカウントもスリーボールワンストライク、ここで巨人ベンチは長原に代えて多田文久三をマウンドに送り、杉浦を三振に打ち取ってピンチを防ぐ。

 中日先発清水の軟投を打ちあぐねていた巨人は6回裏、先頭の多田が一塁線に内野安打、トップに返り山川喜作の送りバントは清水が二塁に送球して多田は二封、田中資昭の右前打で一死一三塁、千葉茂の左前タイムリーで1点を先制する。続く川上哲治は二ゴロ併殺に終わる。

 8回まで無得点の中日は9回表、一死後大沢がレフト線に二塁打、代走に山本尚敏を起用、加藤の左前打で一死一三塁、小鶴は四球で一死満塁、杉浦が右前に同点タイムリーを放ち1-1、同点の一死満塁と言う場面で巨人内野陣は当然前進守備、二遊間は併殺も狙える中間守備でショート田中はほぼ二三塁間の走塁線場に構えていたところ、清水の当りは遊ゴロ、この時真っ直ぐ走ってきた二走小鶴がショート田中に衝突、この場合は守備が優先されるため守備妨害のインターフェアが宣告されて小鶴はアウト、ホームに駆け込んだ三走山本は三塁に戻されて二死満塁、ここで藤原鉄之助が左前に2点タイムリーを放ち3-1と勝ち越す。

 清水秀雄は9回裏巨人の反撃を三者凡退に退け、9安打無四球4三振の完投で9勝目をマークする。

 殊勲の決勝打を放った藤原鉄之助は猛打賞の活躍であった。

 桐生新川球場での2日間4試合で、7人が猛打賞を記録した。ホームランは大下弘の2本だけなので特に球場が狭かった訳ではない。グラウンド状態からイレギュラーヒットが多かったのかもしれない。

 巨人投手陣で左腕は中尾輝三だけなので、この日先発のサウスポー長原孝治が使えれば貴重な戦力となるところであったがちょっと厳しいようだ。実際、長原は巨人ではこの日の登板だけで、翌年は大阪タイガースに放出されることになる。

 スポーツ報知のXの配信(2020年11月30日付け)によると、巨人と阪神間のトレードは非常に珍しいそうで、交換トレードは1979年江川卓と小林繁、84年鈴木弘規と太田幸司、91年鶴見信彦と石井雅博の3事例だけで、巨人から阪神への直接移籍も呉昌征、長原孝治、広沢克実の3人だけ(2020年現在)とのことである。

 小林と江川のトレードは説明するまでもなく特殊なケース。太田幸司は近鉄から巨人に移籍したが一軍では出番が無く、関西に戻る形で阪神に移籍。石井雅博も簑島高校の出身で関西に戻ったもの。呉昌征の場合は台湾に帰るために巨人を退団したが特殊事情で阪神に移籍。広沢克実はヤクルトから巨人に移籍したが巨人の水が合わず、ヤクルト時代の恩師野村克也が阪神に呼び寄せたものだった。長原孝治は呉港中学の出身なので、藤村富美男の線で大阪タイガースに呼ばれたのかもしれない。

2025年12月13日土曜日

続・代走の代走

  昭和22年8月3日の太陽vs阪急11回戦において、太陽の藤本定義監督が8月1日の南海戦に続いて「代走の代走」を起用したことをお伝えしました。

 先日お伝えした3事例に加えて4事例目が判明しましたが、更にもう一つ「代走の代走」が起用された事例がありました。

 昭和15年10月7日、西宮球場で行われた阪急vs金鯱11回戦において、金鯱の石本秀一監督が「代走の代走」を起用していました。詳しくは2013年4月27日付け記事をご参照ください。

 当ブログも更新が5,000回を超え、筆者もいつどこに何を書いたかを忘れています。当ブログは検索機能が充実しており、左上の検索用タブに検索ワードを入力すると過去記事を検索することができます。「代走の代走」を入力してヒットしました。自分で書いておいて自分で単語検索するのもおかしな話ですが、15年間続けていますので悪しからず。

 さて、昭和15年10月7日の阪急vs金鯱11回戦、0対2と2点のビハインドで迎えた9回裏金鯱の攻撃、先頭のピッチャー中山正嘉がレフト線ヒットで出塁すると、石本秀一監督は代走に山本次郎を起用、一死後飯塚達雄に代わる代打古谷倉之助が中前打で一死一二塁、トップに返り五味芳夫が四球を選んで一死満塁となります。山本が二塁に進んだときか三塁に進んだときかは分かりませんが、石本監督は代走山本に代えて「代走の代走」として新井一を起用、二死後農人渉が左前に同点の2点タイムリーを放って追い付き、その後2四球を得てサヨナラ勝ちしました。

 石本秀一監督も藤本定義監督と並んで「策士」として知られています。矢張り、「代走の代走」は深い作戦であることは間違いないでしょう。

 なお、新井一はプロ野球に在籍したのはこの年だけ(戦後は国民野球連盟の大塚アスレチックスに在籍した模様)で、通算成績は17打数2安打1得点1打点。この試合で「代走の代走」に起用されてホームに還ったのがプロ野球で記録した唯一の得点でした。

 当ブログは今後も、世界で唯一の「代走の代走」研究機関として邁進していく所存です(笑)。