2016年1月26日火曜日

江川に勝つと・・・



 昭和17年11月8日の朝日vs大和13回戦は決勝点が「三盗キャッチャー悪送球」であった旨お伝えしたところです。


 「決勝点が三盗キャッチャー悪送球」は、昭和48年センバツでの出来事が有名です。この年のセンバツの注目ポイントは「誰が江川の作新を倒すか」唯一点でした。その江川を倒した広島商業の決勝点こそが「三盗キャッチャー悪送球」でした。

 準決勝で作新学院と広島商業が激突、1対1の同点で迎えた8回裏広商の攻撃、金光の四球と楠原の内野安打で一二塁とするとダブルスチールを敢行、これがキャッチャー小倉の悪送球を誘い、金光が決勝のホームを踏みました。


 金光も楠原も江川も広商のエース佃も法大に進んで黄金時代を築くこととなります。佃はプロには行かず2007年に52歳で早逝、金光もプロには行かずアマ球界で指導者となり、楠原もアマ球界に進みました。広商では格下と見られていた達川が東洋大から広島東洋カープに入って監督にまでなるのですから人生分かりません。因みに「Wikipedia」には「3年生時のエースである佃正樹と不仲であったため、春センバツは外野手として出場していたが夏の甲子園では捕手に戻り全国優勝に導いた」と書かれていますが、「選抜高等学校野球大会50年史」に掲載されているテーブルスコアで確認すると、全試合で佃とバッテリーを組んでいます。1年下のセカンド川本は広商の監督としても全国制覇(1988年)しましたが、2010年に53歳で早逝しました。


 甲子園で江川を破ったチームは不思議とその大会では優勝していません。1973年センバツの準決勝で江川を破った広島商業は決勝で永川を擁する横浜高校に敗れ、夏の大会で優勝します。その夏の甲子園で江川を破った銚子商業も優勝できず、翌74年、悲願の全国制覇を成し遂げることとなるのです。すなわち、江川を破ったチームはその時点で精魂尽き果ててその大会では優勝できませんが、次の大会で優勝するのです。


*1973年センバツで江川を破って準優勝、同年夏の大会で優勝した広島商業。迫田監督以下、金光主将、主砲楠原、エース佃、この時点では誰も注目していなかった達川、1年下の名セカンド川本等のサイン色紙。





*法大黄金時代のチームサイン色紙。江川、金光、楠本、徳永、植松、島本、鎗田、中林、佃など、二度とこんなチームが出現することはあり得ません!








*1973年夏の甲子園で宿敵江川を倒し、翌74年夏の甲子園で悲願の全国制覇を果たした銚子商業。宮内主将、エース土屋、1年下の篠塚と次期主将の前嶋など、「黒潮打線」が最後の輝きを見せた時代です。





 何でも揃うのが、当ブログの特徴です(笑)。





 

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