2022年2月23日水曜日

21年 ゴールドスターvsタイガース 11回戦

9月28日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 ゴ軍 33勝49敗1分 0.402 清原初男 
0 0 0 0 1 0 0 1 0 2 タ軍 50勝34敗 0.595 御園生崇男

勝利投手 清原初男     1勝0敗 
敗戦投手 御園生崇男 9勝7敗

二塁打 (ゴ)清原2、西沢、坪内 (タ)呉昌征

勝利打点 (ゴ)西沢道夫 2


清原初男、初ヒットから3打席連続二塁打

 第23節3日目は西宮の2試合のみ。

 気象庁のデータによると昭和21年9月28日の東京地方は14.2㎜の降雨を観測しており、後楽園は雨天中止となった模様。

 西宮の第1試合はプロ入り初登板の清原初男と御園生崇男の先発で午後1時5分、関西出張が続く国友球審の右手が上がりプレイボール。

 タ軍は初回、先頭の金田正泰がいきなり死球を受けて出塁、プロ入り初先発の清原は動揺せずに土井垣武を二ゴロに打ち取り、「4-6-3」と転送されてダブルプレーで切り抜ける。

 タ軍は2回裏、先頭の宮崎剛が二遊間にヒット、しかし一死後山口政信の三ゴロが「5-4-3」と渡ってここもゲッツー。

 ゴ軍は4回表、先頭の大友一明が二遊間にヒット、一死後坪内道則監督が4球ファウルで粘って中前打を放つと大友は三塁に進み、西沢道夫が三塁線を破るタイムリー二塁打を放ち1点を先制、続く一死二三塁から清原が中越えに2点タイムリー二塁打を放ち3-0とリードする。

 タ軍は4回裏、一死後本堂保次が左前打で出塁、藤村富美男監督の左前打で本堂は三塁に進んで一死一三塁、しかし宮崎のピッチャーライナーに三走本堂が飛び出しており、清原がサード中村信一に送球して3つ目のダブルプレー。

 タ軍は5回裏、二死後御園生が左前打で出塁、呉昌征がライト線にタイムリー二塁打を放ち1-3と追い上げる。

 タ軍は8回裏、先頭の呉昌征が一塁に内野安打、トップに返り金田正泰の二ゴロの間に呉は二進、二死後本堂が右前にタイムリーを放ち2-3と1点差に追い上げるが、本堂が二塁に走り、ライト小前博文から、セオリー通り二塁に向かう本堂を追ったファースト西沢道夫に送球されてタッチアウト、ゴ軍が逃げ切る。

 清原初男は新人らしからぬ堂々たる投球で再三のピンチを切り抜け、9安打1四球1死球3三振の完投でプ色入り初登板初完投初勝利を飾る。

 清原は打撃でも非凡なところを見せ、26日の最終打席で放ったプロ入り初ヒットが二塁打、27日はコールドゲームで打席なし、この日は第1打席と第2打席で二塁打を放ち、プロ入り初安打から3打席連続二塁打を記録した。

 ゴ軍は8月16日に熊本水前寺球場で試合を行っており、この時坪内監督が済々黌のコーチをやっていた清原初男をスカウトしてゴ軍に入団させたとされている。

 西沢道夫も坪内に誘われて中部からゴ軍に移籍してきたが、この日の勝利打点は今季2個目であるがゴ軍では初の勝利打点となった。ファーストの守備でもセオリー通りにバッターランナーを二塁まで追いかけて刺殺を記録する活躍を見せたのである。

 坪内道則に引っ張られてゴ軍にやってきた清原と西沢がこの試合の投打のヒーローであった。

 熊本にこんな凄い選手が眠っていたのであれば、巨人も川上哲治を介して清原を獲得するチャンスがあったはずであるが、巨人はチームを捨てた憎き藤本定義を攻撃することに躍起になっており、パ軍の4試合を没収試合にすることには成功したが清原を取り逃がした。しかもパ軍の没収試合によりグ軍の勝利が1つ増え、結果的に1勝差で優勝を逃すこととなる。

3 件のコメント:

  1. 「プロ野球史再発掘」に記載されている坪内道則の証言によれば清原初男は自ら入団を志願したようですね。ゴールドスターの九州遠征の折に獲ったそうです。
    清原は熊本出身ですが、外地の台南一中を経て立大卒業後に再び台湾へ戻り、大正興業という会社に入りましたので内地では馴染みの薄い選手だったのでしょう。

    昭和15年には全高雄(大正興業と日東商船組の社員で構成された)のエース投手として都市対抗野球に出場、元慶大主将の桜井寅二捕手とのバッテリーで挑みましたが、1回戦で全京城に敗れてしまいます。勝った全京城はその年の都市対抗を制覇し、橋戸賞には清原と投げ合った野村清(のち武史と改名)が選ばれました。

    ちなみにですが、清原の勤務先だった大正興業には「ミス高雄」と呼ばれた前原涼子という女性事務員がいて、終戦後は同じく熊本に引揚げたのち大映に入社し及川千代の芸名でスクリーンデビュー。デビュー作の「二死満塁」でいきなりヒロイン役に抜擢されました。
    この「二死満塁」で及川千代は後楽園球場に於るロケーションのさい、台湾時代の懐かしい人物と再会します。かつて大正興業へ実習にきていた高雄商の大下弘、もといセネタースの青バット大下弘でした。

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    1. 大下と及川千代の記事は昭和22年当時の「日刊スポーツ」にも掲載されたようですが、野球殿堂博物館に残されているでしょうか。

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  2. 8月16日に熊本に遠征したのは阪急、グ軍、中部、ゴ軍の4球団。
    阪急とグ軍は上位を争うチーム、中部は強打者揃いということで、ゴ軍なら出番があると考えて売り込んだのかもしれませんね。

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