2017年12月24日日曜日

18年 阪神vs大和 12回戦


11月3日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 0 0 0 3 1  0   0  4 阪神 41勝34敗6分 0.547 三輪八郎 若林忠志
2 0 0 1 0 0 0 1 0  0 1X  5 大和 35勝42敗6分 0.455 石田光彦

勝利投手 石田光彦 11勝12敗
敗戦投手 若林忠志 24勝14敗

二塁打 (神)景浦
三塁打 (和)鈴木
本塁打 (和)高橋 1号

勝利打点 木村孝平 4

猛打賞 (和)小松原博喜 1


木村孝平、サヨナラスクイズタイムリー内野安打

 大和は初回、一死後岡田福吉が四球を選んで出塁、小島利男の左前打で一死一二塁、高橋吉雄の投ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、ここで小松原博喜が左前打、二者還るタイムリーとなって2点を先制する。

 大和は4回、一死後木下政文の当りは三ゴロ、これをサード玉置玉一が一塁に送球する間に打者走者の木下は二塁に進み、鈴木秀雄の一ゴロの間に木下は三進して二死三塁、石田光彦の中前タイムリーで3-0とリードを広げる。

 大和先発の石田光彦に7回まで内野安打1本の無得点に抑えられてきた阪神は8回、本日一番に入っている先頭の御園生崇男がショートに内野安打、金田正泰が四球を選んで無死一二塁、藤村冨美男が中前にタイムリーを放って1-3、景浦将のセンター左奥への二塁打で二者還り3-3の同点に追い付く。

 大和は8回裏、一死後高橋吉雄がレフトスタンドにライナーで本塁打を叩き込み4-3と勝ち越す。

 阪神は9回表、先頭の田中義雄が左前打で出塁、代走に上田正を起用、トップに返り御園生が送りバントを決めて一死二塁、金田は四球、藤村冨美男は三振に倒れるが、景浦がストレートの四球を選んで二死満塁、門前真佐人が押出しの同点四球を選んで4-4とする。

 大和は11回裏、先頭の鈴木秀雄が右中間に三塁打、石田は投ゴロに倒れるが、杉江文二がストレートの四球を選んで一死一三塁、トップに返り木村孝平がサヨナラスクイズバントを決めて大和がサヨナラ勝ち。木村の記録は内野安打である。したがって、サヨナラタイムリーと記録されるが、真相はサヨナラスクイズである。

 石田光彦は延長11回を6安打4三振、12四球を与えるが4失点の完投で11勝目をあげる。

 決勝点は鈴木秀雄の三塁打と木村孝平のサヨナラスクイズによるものであった。この二人は、昭和18年、6・7月の月間MVPに輝く活躍を見せたが、その実力はほとんど知られていない。戦前屈指の強打のショートストッパー木村孝平は戦死することとなる。鈴木秀雄は生き延びて昭和21年には中部日本に在籍するが、その後の消息は知られていない。


 

3 件のコメント:

  1. 鈴木秀雄は中部日本を辞めたあと、各地の実業団で野球を続けていたようです。
    昭和31年のオールスターゲームの前座として開催されたオールドスター戦に参加しましたが、この時はリッカーミシンに籍を置いていたため、社会人野球協会から「出場すべからず」とのお達しがあり、試合に出場することは叶いませんでした。大岡虎雄、楠安夫、古谷倉之助、山田伝らも、鈴木と同様の理由で試合に出られませんでした。

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    1. 当時は全国各地に倶楽部チームがあったようですが、そこまで社会人野球協会の管理下に置かれていたのでしょうか。山田伝は意外ですね。

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    2. その一方で早大の現役監督だった森茂雄は日本学生野球協会の特例で出場が認められています。当時のプロとアマの関係性は理解しかねますね。
      山田伝は府中で米軍関係の職に就いており、全府中(オール府中)の一員として都市対抗野球予選に出場しています。

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