2013年4月25日木曜日

女帝



 名牝エアグルーヴ号の訃報が伝えられています。


 いちょうSの画像はユーチューブで見ることができますので是非確認してみてください。武豊が立ちあがってずるずると後退していったところから差し返してきました。このレースを見てこれは強いと思ったものです。こんな勝ち方は、この時と日本短波賞のマルゼンスキー以外に見たことがありません。次走の阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)では何故か三番人気、ビワハイジには敗れましたが馬連2,790円は美味しかった。そのビワハイジを5馬身ちぎって雪辱したチューリップ賞も強かった。


 母親のダイナカールとは私の勝負人生でも因縁があります。1983年のオークスは1着~5着まで同タイムで着差はハナ、アタマ、ハナ、アタマという大激闘となりました。直線で先頭に立ったのはメジロハイネでした。社会人3年目の私はメジロハイネの単勝馬券3万円を握りしめていました。ゴール100メートル手前まで10番人気で単勝33倍のメジロハイネが先頭に立っていましたが、ゴール寸前でダイナカールが抜け出し、ハナ差の2着に20番人気のタイアオバ、アタマ差で3着に10番人気のメジロハイネ、ハナ差の4着に7番人気のジョーキジルクム、アタマ差の5着が11番人気のレインボーピットだったのです。あと100メートルで100万円となるはずであった私が握りしめていたメジロハイネの単勝3万円馬券は紙くずとなったのです。


 エアグルーヴの最初の娘でエリザベス女王杯を二連覇したアドマイヤグルーヴが12歳でこの世を去ったのは昨年10月のことです。ダイナカール、エアグルーヴ、アドマイヤグルーヴは三世代続けてG1レースを制した訳です。



 私が最初に勤めた会社が倒産したのはエアグルーヴがピルサドスキーの2着に敗れたジャパンカップの直前のことでした。その前走の天皇賞ではバブルガムフェローとの激闘を制して「女帝」と呼ばれました。「女帝」の名に相応しい名牝でした。










*1983年オークス、メジロハイネの単勝3万円馬券。10番人気でオッズは33倍でした。ゴール前100メートルまで先頭に立っていましたが、ダイナカール、タイアオバにかわされてハナ、アタマの3着でした。こういうものを保存しているのが当ブログらしいところではありますが(笑)。



















 

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