2013年5月12日日曜日

15年 ライオンvs金鯱 10回戦


10月13日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 1 0 0 0 0 3 ライオン 22勝61敗4分 0.265 近藤久 菊矢吉男 井筒研一
0 0 2 3 0 0 0 0 X 5 金鯱      24勝53敗7分 0.312 古谷倉之助 中山正嘉

勝利投手 古谷倉之助 7勝17敗
敗戦投手 近藤久        7勝18敗
セーブ    中山正嘉   7

二塁打 (ラ)鬼頭 (金)黒澤

勝利打点 五味芳夫 2


金鯱上昇気流

 ライオンは初回、一死後村上重夫が四球で出塁、戸川信夫が中前打を放って一死一二塁、鬼頭数雄の投ゴロで戸川が二封、鬼頭(兄)が二盗を決めて二死二三塁、玉腰年男の遊ゴロをショート濃人渉が一塁に悪送球する間に三走村上に続いて二走鬼頭(兄)も還って2点を先制する。

 金鯱は3回、先頭の松元三彦が四球を選んで出塁、漆原進が送って一死二塁、トップに返り五味芳夫は投ゴロ倒れるが、室脇正信が四球、濃人も四球を選んで二死満塁、ここで黒澤俊夫が左翼線に同点二塁打を放って2-2と追い付く。

 金鯱は4回、先頭の上野義秋が四球を選んで出塁、古谷倉之助が中前打を放って無死一二塁、上野はキャッチャー伊勢川眞澄からの牽制に刺されるが松元が四球を選んで一死一二塁、ライオンベンチはここで先発の近藤久から菊矢吉男にスイッチ、しかし菊矢はストライクが入らず漆原が四球を選んで一死満塁、五味が押出し四球を選んで3-2と勝ち越し、ライオンベンチは菊矢を下げて三番手井筒研一にスイッチ、室脇の遊ゴロ併殺崩れの間に三走松元が還って4-2、なお二死一三塁からダブルスチールを決めて漆原が生還し5-2と突き放す。

 ライオンは5回、一死後村上が四球を選んで出塁、戸川は右飛に倒れるが村上が二盗を決めて二死二塁、鬼頭(兄)が左越えに二塁打を放って3-5とする。

 ライオン7回の攻撃で金鯱先発の古谷が先頭の井筒に四球を与えると金鯱ベンチは古谷から中山正嘉にスイッチ、中山は村上に左前打、鬼頭(兄)に四球を許すが戸川と玉腰を三振に打ち取る。8回も先頭の鬼頭政一に四球、伊勢川に中前打を許すが前田諭治と井筒を三振に打ち取る。9回一死後鬼頭(兄)に左前打を許すが最後は玉腰を一ゴロ併殺に打ち取り金鯱が逃げ切る。


 古谷倉之助は6回3分の0を投げて5安打6四球無三振3失点、自責点は1のピッチングで7勝目をあげる。中山正嘉は3イニングを3安打3四球4三振で無失点に抑え、当ブログルールにより7セーブ目を記録する。中山はトップで並んでいた若林忠志を抑えて単独セーブ王に躍り出る。金鯱投手陣を支え続けてきた古谷-中山のリレーで金鯱は2連勝となり、南海、ライオンと繰り広げてきた最下位争いから抜け出してきた。






 

2013年5月11日土曜日

15年 セネタースvs名古屋 11回戦


10月13日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 セネタース 45勝31敗10分 0.592 三富恒雄 野口二郎
0 0 0 0 0 0 3 0 X 3 名古屋      47勝34敗5分 0.580 西沢道夫

勝利投手 西沢道夫 17勝8敗
敗戦投手 野口二郎 28勝10敗

本塁打 (名)中村三郎 2号

勝利打点 中村三郎 5


逆転スリーラン

 セネタースは初回、一死後織辺由三が四球を選んで出塁、高橋輝彦の遊ゴロの間に織部は二進、パスボールで三進、小林茂太が右前に先制タイムリーを放って1-0とする。この回パスボールを犯したのはキャッチャー芳賀直一でした。翌日の読売新聞によると「三浦、服部の故障から臨時登用の名軍捕手芳賀」とのことです。芳賀がこの日許した盗塁は横沢七郎の1個だけで、6回には織辺の二盗を刺しています。

 名古屋は1回裏、先頭の岩本章が捕失に生きるが二盗に失敗。2回、先頭の大沢清が四球で出塁、吉田猪佐喜の遊ゴロをショート柳鶴震がエラーする間に大沢が三塁に進んで無死一三塁、中村三郎は三振に倒れるがスリーストライク目に重盗を敢行、「2-4-2」と転送されて三走大沢は本塁寸前タッチアウト、中村の三振と大沢の本盗失敗の「変則ダブルプレー」が完成する。

 セネタースは3回から先発の三富恒雄に代えて野口二郎をマウンドに送る。

 名古屋は3回、先頭の木村進一が中前打、西沢道夫の三ゴロをサード横沢七郎がエラーして無死一二塁、しかしトップに返り岩本の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー、村瀬一三も遊ゴロに倒れる。5回も一死後芳賀直一が右前打で出塁するが木村の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。6回まで野口に無得点に抑えられる。

 名古屋は7回、先頭の桝嘉一が左前打で出塁、大沢は遊飛に倒れるが、吉田の遊ゴロをショート柳が逸らす間に桝は三塁、打者走者の吉田も二塁に進んで一死二三塁、野口はスクイズを警戒してボール2つを先行させワンツーからの4球目、中村が左翼スタンドに起死回生の逆転スリーランを叩き込んで3-1と逆転に成功する。

 西沢道夫は5安打2四球1三振の完投で17勝目をあげる。






                 *西沢道夫は5安打完投で17勝目をあげる。












     *中村三郎が決勝の逆転スリーランを放った名古屋打線。


















 

15年 黒鷲vs南海 11回戦


10月13日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 黒鷲 41勝41敗4分 0.500 亀田忠
2 0 0 0 0 0 0 0 X 2 南海 23勝59敗6分 0.280 清水秀雄

勝利投手 清水秀雄 11勝21敗
敗戦投手 亀田忠     22勝18敗

二塁打 (黒)木下
三塁打 (南)清水

勝利打点 清水秀雄 7


ワンマンショー

 南海は初回、先頭の国久松一が四球を選んで出塁、岩出清の投ゴロでランナーが入れ替わり、岩本義行は二飛に倒れて二死一塁、ここで清水秀雄が左中間奥深く三塁打を放ち1点を先制、亀田忠のワイルドピッチで清水が還り2-0とする。

 黒鷲は1回表、先頭の岡田福吉が中前打で出塁するが、岩垣二郎の遊ゴロは「6B-3」と渡ってダブルプレー、ショート加藤喜作の好プレーで清水は波に乗り、初回の先制三塁打で更に調子をあげていくこととなる。

 黒鷲打線は清水の前に沈黙して2回から6回まで無安打。6回は岡田、岩垣が連続四球を選び玉腰忠義が送りバントを決めて一死二三塁、亀田は三ゴロに倒れて二死二三塁、ここで清水は渾身のピッチングを見せて中河美芳を三球三振に打ち取る。

 黒鷲は7回、先頭の寺内一隆が三塁に内野安打、木下政文が右空間にタイムリー二塁打を放って1点を返し1-2とする。

 黒鷲は9回、一死後寺内が四球で出塁、木下の三ゴロでランナーが入れ替わり、清家忠太郎に代わる代打長谷川重一の三塁内野安打で二死一二塁とするが宗宮房之助に代わる代打サム高橋吉雄が三振に倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 清水秀雄は4安打6四球7三振の完投で11勝目をあげる。打っても決勝の三塁打を放つワンマンショーであった。


 2日連続で勝利打点の清水は、これで今季7個目の勝利打点を記録した。「勝利打点」は1981年から88年まで公式記録となり「最多勝利打点」は表彰の対象ともなりましが、必ずしも勝負強さの指標とはならないことから公式記録及び表彰対象から外されました。しかしこの8年間の「勝利打点王」には落合、ブーマー、バースと3人の三冠王が名前を連ねているほかにも、怪人ソレイタ、西武初優勝の立役者スティーブ・オンティベロス、2年連続の原、勝負強いと言われて数字で証明した古屋、若かりし頃の清原など、表彰対象としての価値は高かったと考えられます。


 勝利打点を調べるには公開されている数字をネットで検索するだけでは不可能であり、スコアカードを一枚ずつめくっていく以外に調べようがありません。したがって、投手のシーズン最多勝利打点記録を調べるのは極めて困難であると考えられますが、清水秀雄の可能性は十分あるのではないでしょうか。但し、今季の清水の7個の勝利打点には、ファーストで出場した試合が3個、ライトで出場した試合が1個含まれていますので、投手として出場して勝利打点&勝利投手を記録したのは3試合だけとなります。これは清水が優秀な「二刀流」であった証左でもあります。後に当ブログにも登場することとなる別所が更新する可能性があると考えられます。昭和14年にはスタルヒンが投手として4つのサヨナラ打を記録していますので、この年スタルヒンが勝利投手&勝利打点を4個以上記録していることは確定しています。昭和14年の記録はいつの日にか調べ直します。







                 *清水秀雄は4安打完投で11勝目をあげる。











*上が「野球界」昭和13年1月号に掲載されている明治大学時代、全盛期の清水秀雄。下は戦後昭和24年頃の中日時代のブロマイド。清水は今季限りで応召し、生き延びて戦後プロに復帰しますが体型は変わってしまいます。体型は変わっても、フォロースルーの型は変わりません。













     *清水秀雄が二試合連続、今季7個目の勝利打点を記録した南海打線。












*1985年パ・リーグ勝利打点王に輝いた古屋英夫。こちらはカルビーではなく79年山勝なので少しサイズが小さい。これだけ保存状態の良いものは貴重です。木更津中央高校時代は剛球投手としても鳴らしました。1973年に日米親善高校野球でハワイ選抜チームと対戦した千葉県選抜チームでは四番ライトでスタメン出場してクローザーも務めています。この時の三番は習志野高校の掛布でした。当時の千葉県高校野球関係者の間では、古屋の評価の方が掛布より高かったことの証左となります。因みにこの試合の先発投手だった小見川高校の黒須清志投手は、千葉県高校野球史上鈴木孝政に次ぐピッチャーです(当ブログ評価)。









 

2013年5月10日金曜日

15年 阪神vs阪急 11回戦


10月12日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪神 52勝31敗3分 0.627 三輪八郎 若林忠志
1 0 2 0 0 0 0 0 X  3 阪急 50勝30敗5分 0.625 浅野勝三郎

勝利投手 浅野勝三郎 8勝6敗
敗戦投手 三輪八郎  13勝4敗

二塁打 (神)田中 (急)田中

勝利打点 井野川利春 6


浅野勝三郎、投打に活躍!

 阪急は初回、一死後フランク山田伝が四球で出塁、山下実の二ゴロの間に山田は二進、浅野勝三郎が四球を選んで二死一二塁、井野川利春が左前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 阪急は3回、先頭の中島喬が左前打で出塁、タイガースベンチは早くも先発の三輪八郎をあきらめて若林忠志をマウンドに送る。山田が四球を選んで無死一二塁、山下実は三振に倒れるが、浅野が右中間を深々と破って二者を迎え入れ3-0とする。

 阪神は4回、一死後伊賀上良平が左前打、カイザー田中義雄が三塁に内野安打、ジミー堀尾文人は左飛に倒れるが山根実が四球を選んで二死満塁、しかし若林は三振に倒れる。この場面を翌日の読売新聞は「制球力の点で申分のない浅野の緩曲球は4回二死満塁時に若林との一騎打ちに凱歌を奏し・・・」と伝えている。

 阪神は6回、二死後田中が左中間に二塁打、堀尾が四球を選んで二死一二塁、しかし山根に代わる代打比留木虎雄が遊飛に倒れて無得点。8回も二死後伊賀上の三ゴロをサード黒田健吾がエラー、田中が左前打、堀尾も左翼線にヒットを連ねて二死満塁とするが、松尾五郎が中飛に倒れて又も無得点。

 浅野勝三郎は6安打2四球2三振で今季4度目の完封、8勝目をあげる。打っても四番で先発して3打数2安打2打点と相変わらずの「二刀流」ぶりを見せつける。


 本日の西宮球場では第一試合は内藤幸三と中尾輝三の両左腕が先発して内藤が1安打完封で巨人を破り、第二試合も浅野勝三郎と三輪八郎の両左腕が先発して浅野が6安打完封で阪神を破った。






              *浅野勝三郎は6安打で今季4度目の完封、8勝目をあげる。











     *浅野勝三郎が投打に活躍を見せた阪急打線。








 

2013年5月8日水曜日

15年 金鯱vs巨人 11回戦


10月12日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 0 2 0 0 4 金鯱 23勝53敗7分 0.303 内藤幸三
0 1 0 1 0 0 0 0 0 2 巨人 61勝25敗 0.709 中尾輝三

勝利投手 内藤幸三  3勝8敗
敗戦投手 中尾輝三 20勝10敗

二塁打 (金)漆原

勝利打点 黒澤俊夫 2


内藤幸三、快心のピッチング

 巨人は2回、一死後白石敏男が三塁に内野安打、白石が二盗を決めて、キャッチャー飯塚達雄の悪送球で三進、吉原正喜は三振に倒れるが林清一が四球を選んで二死一三塁、林が二盗に成功、飯塚の送球が又も悪送球となって三走白石が生還、1点を先制する。

 金鯱は3回、一死後室脇正信が左前打から二盗に成功、キャッチャー吉原正喜の悪送球で室脇は三進、濃人渉は三振に倒れるが黒澤俊夫が四球を選んで二死一三塁、森田実が中前にタイムリーを放って1-1の同点、上野義秋が右前にタイムリーで続いて2-1と逆転する。

 巨人は4回、一死後白石が四球で出塁、白石の二盗の際、飯塚が三度二塁に悪送球して白石は三進、吉原が四球を選んで一死一三塁、パスボールで白石が還って2-2の同点とする。

 金鯱は7回、先頭の室脇が四球を選んで出塁、濃人の三前バントが内野安打となって無死一二塁、室脇がディレードスチールを試みるが「2-6-5」と渡ってタッチアウト、この間に一走濃人は二進、黒澤が左前にタイムリーを放って3-2と勝ち越し、森田は二ゴロに倒れるが、上野が右前に貴重な追撃タイムリーを放って4-2と突き放す。

 内藤幸三は5回以降巨人打線を無安打に抑え、結局許したヒットは白石の内野安打1本という快投を見せ、1安打7四球1死球8三振2失点、自責点ゼロの完投で3勝目をあげる。かつてのジャイアンツキラー振りを発揮した。


 貴重な2打点を叩き出した上野義秋は福岡工業の出身、戦前のプロ野球での出場は昭和15年だけとなるが、10年後の昭和25年に西鉄クリッパースのメンバーに名を連ねており289打数70安打を記録する。空白の10年間の経歴の中ではっきりしているのは昭和23年、都市対抗野球に優勝した西日本鉄道の“不動の三番ファースト”(アルバート・プホルスと同じです)として出場していることです。昭和25年の二リーグ制の発足に伴い西日本鉄道はプロ野球に参入することとなって西鉄クリッパースとなり、西日本鉄道の主力選手は上野を始めとしてプロに転向しています。


 昭和16年4月3日付け読売新聞に掲載されている16年度のメンバー表には大洋軍の内野手背番号8(昭和15年は27)で名前を連ねていますが出場した記録はありません。応召の可能性もあるかもしれません。大洋は昭和18年に西日本鉄道に引き継がれ西鉄となります。上野の戦前の消息は不明なのでこの経緯で西日本鉄道野球部に在籍した可能性もありますが、兵役もあったでしょうから福岡工業出身の上野は地元ということで西日本鉄道野球部に参加したのでしょう。都市対抗野球60年史に掲載されている伴勇資のコメントによると西日本鉄道野球部は昭和22年に創部されたとのことなので昭和18年に大洋を西日本鉄道が引き継いだことと上野義秋の在籍は関係ないと考えられます。


 昭和26年に西鉄クリッパースは西日本パイレーツを吸収して西鉄ライオンズとなり、上野も初期のライオンズのメンバーとなりました。翌27年には広島に移籍し、この年限りで引退することとなります。波乱の人生を支えたのがそのバッティング技術であったことは容易に想像できます。その片鱗を見せたのが本日の試合だったのです。









      *内藤幸三は巨人打線を白石敏男の内野安打1本に押せる好投を見せる。













     *内藤幸三の前に1安打に抑えられた巨人打線。














     *上野義秋が2打点を記録した金鯱打線。









 

2013年5月6日月曜日

15年 黒鷲vsセネタース 11回戦


10月12日 (土) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計
1 0 0 1 0 0 0 0 0  0   0   2 黒鷲 41勝40敗4分 0.506 長谷川重一
0 0 1 0 0 1 0 0 0  0  1X  3 セネタース 45勝30敗10分 0.600 金子裕 石原繁三 野口二郎

勝利投手 野口二郎     28勝9敗
敗戦投手 長谷川重一 11勝9敗

本塁打 (黒)長谷川 1号

勝利打点 なし


黒鷲6失策

 黒鷲は初回、先頭の岡田福吉が四球で出塁、岩垣二郎が左翼線にヒットを放って無死一二塁、太田健一の送りバントはピッチャー金子裕が三塁に送球して岡田は三封、中河美芳の遊ゴロで太田が二封されて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて1点を先制する。

 セネタースは3回、一死後苅田久徳の遊ゴロをショート宗宮房之助が逸らし、カバーに入ったレフト岩垣の悪送球の間に苅田は三進、更にこぼれ球をキャチャー清家忠太郎がカバーに行くとホームががら空きとなり、その隙を突いて苅田が一気に生還して1-1の同点、苅田の本塁への進塁には本盗が記録されているが実質的にはトリプルエラーと言える。

 黒鷲は4回、先頭の太田が四球を選んで出塁、しかし中河の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー、ここで長谷川重一がレフトスタンドにホームランを叩き込んで2-1と再びリードする。

 セネタースは6回、一死後野口の三ゴロをサード木下政文がエラー、小林茂太の遊ゴロの間に野口は二進、山崎文一が右翼線に二塁打を放って2-2の同点とする。

 黒鷲は9回、一死後寺内一隆が四球で出塁するが木下の二ゴロは「4-6-3」と渡ってダブルプレー。更に11回、先頭の玉腰忠義が左前打で出塁するが一死後長谷川の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 セネタースは11回裏、先頭の山崎が遊撃に内野安打、更にショート宗宮の悪送球が重なり打者走者の山崎は二塁に進み、柳鶴震の遊ゴロの間に山崎は三進、高橋輝彦が四球を選び二盗に成功して一死二三塁、横沢七郎に代わる代打小島二男の二ゴロをセカンド岡田が逸らす間に三走山崎がホームに還って3対2でサヨナラ勝ちをおさめる。


 自らホームランを放った長谷川重一は11回裏まで投げ抜き3失点ながら自責点は0、6失策のバックに足を引っ張られた。終盤の2併殺でピンチの芽を摘み取ったセネタースとは対照的であった。黒鷲は4連敗で貯金が1つとなった。






 

2013年5月5日日曜日

15年 名古屋vs南海 12回戦


10月12日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋 46勝34敗5分 0.575 村松幸雄
0 0 0 0 0 0 2 0 X  2 南海    22勝59敗6分 0.272 政野岩夫

勝利投手 政野岩夫   8勝19敗
敗戦投手 村松幸雄 17勝11敗

二塁打 (名)吉田 (南)岩本、岡村、国久
本塁打 (南)清水 2号

勝利打点 清水秀雄 6


清水秀雄、決勝ホームラン

 名古屋は1回、2回と三者凡退。3回、一死後木村進一が右前打を放ち二盗を試みるがキャッチャー吉川義次からの送球にタッチアウト。

 南海は初回、二死後岩本義行の遊ゴロをファースト中村三郎が後逸する間に岩本は二塁に進むがピッチャー村松幸雄からの牽制球にタッチアウト。2回、3回は三者凡退で両チーム3回まで9人で攻撃を終る。

 名古屋は4回、岩本章と桝嘉一が四球を選ぶが無得点。5回は先頭の三浦敏一が右前打で出塁するが芳賀直一の投ゴロが「1-6-3」と渡ってダブルプレー。6回は三者凡退に終わる。

 南海は4回、二死後岩本が右中間に二塁打を放つが清水秀雄は三邪飛に倒れる。5回は三者凡退に終わるが6回、先頭の政野岩夫が左前打、加藤喜作の投ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り国久松一が中前打を放って一死一二塁、しかし木村勉、岩本は連続遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。南海打線が徐々に村松を捉え始めてきた。

 名古屋は7回、吉田猪佐喜と三浦が四球を選ぶがこの回も無得点。

 南海は7回、清水が右翼スタンドに先制の第2号ホームランを叩き込んで1-0、吉川が中前打、岡村俊昭の左中間二塁打で吉川が還って2-0とする。

 名古屋は8回、木村進一に代わる代打大沢清が左前打、村松が四球を選んで無死一二塁、しかしトップに返り岩本章の投ゴロで大沢は三封、村瀬一三は投ゴロ、桝は二飛に倒れて無得点。9回、先頭の吉田が右中間に二塁打を放つが、中村は左飛、三浦の遊ゴロの間に吉田が三進するが、芳賀が一ゴロに倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 政野岩夫は4安打5四球3三振で今季2度目の完封、8勝目をあげる。





                *政野岩夫は今季2度目の完封で8勝目をあげる。















     *清水秀雄が決勝ホームランを放った南海打線。