2025年9月2日火曜日

22年 中日vs大阪 11回戦

7月20日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 1 0 0 0 0 2 中日 33勝22敗1分 0.600 久野勝美 服部受弘 浜崎忠治 
2 1 0 0 5 1 0 0 X 9 大阪 41勝16敗1分 0.719 武智修

勝利投手 武智修     4勝2敗 
敗戦投手 久野勝美 1勝2敗

二塁打 (中)浜崎 (大)富樫、武智、長谷川
三塁打 (大)藤村

勝利打点(大)藤村富美男 5

猛打賞 (中)藤原鉄之助 2 (大)富樫淳 2、長谷川善三 2


もはや首位攻防戦ではない

 後楽園の第2試合は久野勝美と武智修の先発で午後3時12分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 中日は大阪に6ゲーム離されたがどこまで食い下がれるか。

 大阪は初回、一死後金田正泰がストレートの四球で出塁、二死後藤村富美男が右中間にタイムリー三塁打を放ち1点を先制、中日はセンター古川清蔵からの送球をライト加藤正二が中継するが、これが悪送球となる間に藤村は一気にホームまで還り2-0とする。

 中日は2回表、先頭の大沢清の右打ちは右飛、これをライト富樫淳が落球、続く小鶴誠は遊ゴロ、ショート長谷川善三の二塁送球をセカンド本堂保次が落球して無死一二塁、加藤が三塁線を破り二走大沢は三塁ベースを蹴ってホームに向かうが、レフト金田からの好返球にタッチアウト、一走小鶴は三塁に進んで一死一三塁、三村勲の投ゴロ併殺崩れの間に三走小鶴が還って1-2とする。

 大阪は2回裏、先頭の本堂が左前打で出塁、一死後本堂が二盗に成功、長谷川善三は走者を送るバッティングで二ゴロを打って二死三塁、武智の二ゴロをセカンド金山次郎が一塁に悪送球する間に三走本堂が還って3-1と突き放す。

 ここは長谷川の進塁打が効いた。

 中日は3回から先発の久野に代えて服部受弘をマウンドに送る。

 大阪は3回裏、先頭の富樫淳が右中間に二塁打、藤村は死球を受けて無死一二塁、土井垣武も走者を送る打撃を見せて二ゴロを打ち二者進塁して一死二三塁、本堂の中飛で三走富樫はタッチアップからホームに突入するが、センター古川からのダイレクト送球にタッチアウト。

 中日は5回表、先頭の三村の当りは遊ゴロ、これを守備の良いショート長谷川が一塁に悪送球、藤原鉄之助の右前打で無死一二塁、服部が送りバントを決めて一死二三塁、トップに返りこの日一番に起用された山本尚敏が左前にタイムリーを放ち2-3と1点差に詰め寄る。

 首位と二位の争いらしくミスもありながら好プレーの応酬で見応えのある一戦となったのだが・・・。

 大阪は5回裏、先頭の富樫が中前打で出塁、藤村は左前打、土井垣は四球で無死満塁、一死後玉置玉一の強いゴロはは中前に抜けるヒット、これをセンター古川が後逸する間に塁上の三人がホームに還って6-2、打者走者の玉置は三塁に進み、長谷川の三塁線タイムリーで7-2、武智も左前打、と呉昌征の遊ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、金田はストレートの四球で二死満塁、富樫のこの回2本目のヒットが左前タイムリーとなって一挙5点、8-2として試合を決める。

 中日ベンチは6回から浜崎忠治を三番手のマウンドに上げる。

 大阪は6回裏、先頭の土井垣が四球で出塁、本堂の三ゴロの間に土井垣は二進、玉置の二ゴロで土井垣は三進、長谷川のレフト線タイムリー二塁打で9-2とダメ押す。

 中日は反撃の気力が失せ、武智修は6安打6四球1三振の完投で4勝目をマークする。

 大阪は中日を7ゲーム差に引き離して独走態勢を固めた。

 昭和31年の経済白書は「もはや戦後ではない」と豪語することになる。

 昭和22年はまだ戦後の混乱期であるが、シーズン前半熾烈な首位争いを繰り広げた大阪と中日の一戦は、もはや首位攻防戦ではなくなった。