今季岐阜商業から阪神入りした高山泰夫が延長17回裏、一死満塁の場面で代打に起用されてサヨナラの押出し四球を選びました。
高山は岐阜商業時代、昭和15年の第17回センバツでは控えながら代打で3試合に起用されて3打数3安打を記録して「美技賞」に輝いています。準々決勝の島田商業戦では一言多十からヒットを放ち、準決勝の福岡工業戦でもヒットを放ちました。
決勝の相手は平安の神田武夫です。試合は7回まで岐阜商業・大島信雄と平安中学・神田武夫の投げ合いが続き0対0。岐阜商業8回の攻撃で一死後大島信雄が左中間に二塁打、更に満塁とチャンスを広げた岐阜商業・鶴田源吉監督はこの大会代打で2打数2安打と勝負強さを発揮している高山泰夫を起用、高山は期待に応えてスリーボールワンストライクからのアウドロを右中間に弾き返し岐阜商業が優勝を飾ることとなりました。
選抜高等学校野球大会50年史にはこの大会全試合完封勝利を記録した大島信雄のインタビュー記事が掲載されており、「高山君がこの大会に代打三打席三安打の大偉業を立ててとうとう優勝に導いてくれた。・・・鶴田源吉監督(故人・明大出)の手腕と、高山君の勝負度胸を特筆せねばなるまい。」
この活躍で高山泰夫は第17回センバツ表彰選手に選ばれ、「美技賞」を授与されました。論評には「とくにとっておきの代打者として高山が3打席3安打の10割の打率をみせたのは驚異だった。ボックスに三回立っただけで今大会の優秀選手の列にはいったのはまったく珍しいとせねばなるまい。しかしその果たした役割はまことに貴重であり、表彰は当然といってよかろう。」と書かれています。
翌年レギュラーになった高山は、昭和16年の第18回センバツに出場して準決勝で一宮中学の林安夫と対戦して敗れました。センバツで神田武夫、林安夫と対戦した高山泰夫が、昭和17年4月29日の甲子園球場第一試合で神田と林が白眉の投手戦を演じた後の第二試合に出場して代打サヨナラ押出し四球を選んだ事実は、これまで報じられることはありませんでした。
*昭和15年第17回センバツで岐阜商業の高山泰夫は「美技賞」に輝いた。画像は毎日新聞社編集・発行「選抜高等学校野球大会50年史」より。
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