2025年11月28日金曜日

22年 巨人vs金星 12回戦

8月2日 (土) 桐生新川

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 0 1 0 2 0 5 巨人 32勝32敗1分 0.500 川崎徳次
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金星 24勝40敗1分 0.375 内藤幸三 三富恒雄

勝利投手 川崎徳次 11勝8敗 
敗戦投手 内藤幸三   7勝9敗

二塁打 (巨)呉、川上 (金)内藤

勝利打点(巨)呉新亨 2

猛打賞 (巨)田中資昭 2


巨人、桐生で勝率5割復帰

 本日より地方遠征がスタート。

 当ブログの実況中継クルーが桐生に遠征するのは昭和20年11月24日の東西対抗第2戦と翌日の東軍vs全桐生戦以来のことになる(2019年7月15日及び19日の実況中継参照)。

 第16節3日目、桐生新川球場の第1試合は川崎徳次と内藤幸三の先発で午後0時56分、西垣球審の右手が上がりプレイボール。7月24日の後楽園で審判デビューした円城寺満審判員も桐生遠征に帯同して三塁塁審を務める。

 巨人は2回表、一死後中島治康が四球を選んで出塁、呉新亨が右中間にタイムリー二塁打を放ち1点を先制、武宮敏明の左前打で一死一三塁、川崎の左前タイムリーで2-0とする。

 巨人は6回表、先頭の平山菊二が中前打で出塁、中島の左前打で無死一二塁、ワンストライクからの2球目がワイルドピッチで二者進塁、カウントワンボールワンストライクの場面で金星ベンチは先発の内藤に代えて三富恒雄をマウンドに送り、呉は四球を選んで無死満塁、この場合の与四球は三富に記録され、武宮の左犠飛で1点追加、3-0とリードを広げる。

 巨人は8回表、一死後呉新亨、武宮、川崎が3連続四球で満塁、トップに返り山川喜作が三塁にタイムリー内野安打を放ち4-0、なおも続く一死満塁から田中資昭の遊ゴロ併殺崩れの間に三走武宮が還って5-0とダメ押す。

 川崎徳次は4安打1四球1三振で今季6度目の完封、11勝目をマークする。

 川崎の力投に応えて先制、中押し、ダメ押しと着々と加点、巨人は5割に復帰した。

 昨年は北陸、北海道、九州に遠征したが、今年は桐生、徳島、長野に遠征することになる。

 戦前はシーズン中にもオープン戦が行われており、桐生新川球場でも何回かプロ野球の試合が行われた。

 終戦直後に行われた東西対抗第2戦と東軍vs全桐生の2試合は、プロ野球復活の象徴として歴史に名を刻んでいる。

2025年11月24日月曜日

代走の代走

 昭和22年8月1日、太陽ロビンスの藤本定義監督は、1点ビハインドの9回裏の攻撃で、四球で出塁した佐竹一雄に代走として石田良雄を送り、石田が三塁に進んだ時点で蔵本光夫を代走に起用してダブルスチールを狙うという奇策を講じて同点に追い付いた。 

 佐竹一雄は捕手と一塁手を兼務する選手で足は速くない。9回裏に同点のランナーが出れば足の速い選手を代走に送るのはセオリーである。石田良雄は城東商業の出身でこの日がプロ入り初出場。藤本監督は同点を狙って佐竹に代えて若手の石田を代走に起用した。そして石田が三塁に進む展開となり、ダブルスチールを狙うために石田よりも経験豊富の蔵本光夫を「代走の代走」として起用してダブルスチールを敢行、これがショート小林悟楼の悪送球を誘って同点に追い付いたのである。

 確認できる範囲ではあるが、これがプロ野球史上初の「代走の代走」であった。

 「代走の代走」はこの後も2事例が確認されている。

 2003年頃に横浜の山下大輔監督は、一塁に出塁したタイロン・ウッズに代えて代走に河野友軌を起用、河野が二塁に進むと「代走の代走」に田中一徳を起用した。強打のウッズは「通算2940打数で三塁打0本」の日本記録保持者であることから分かるように足は遅かった。山下監督はまず若手の河野を代走に出して様子を見てから、スコアリングポジションに進んだ場面で「足のスペシャリスト」であった田中一徳を「代走の代走」に起用したのである。PL学園時代の田中一徳は1998年夏の甲子園で歴史的名勝負となった横浜高校戦で松坂大輔から4安打を放ってドラ一でプロ入りした。165cmと小柄ながら俊足好打を評価されてプロの世界に飛び込んだのである。

 2011年には阪神の真弓明信監督が一塁に出塁した桧山進次郎に代えて代走に野原将志を起用し、野原が二塁に進んだ場面で「走の切り札」であった大和を「代走の代走」に起用したのである。この頃の桧山は「代打の切り札」として活躍しており走力は衰えていたので若手の野原を代走に起用し、スコアリングポジションに進んだところで大和を「代走の代走」に起用した。

 プロ野球史上で確認できる「代走の代走」は上記の3つの事例だけであるが、共通点は多い。

①足の遅い選手が一塁に出塁する。

②足の速い若手を代走に起用する。

③スコアリングポジションに進んで勝負の場面となったところで経験豊富なスペシャリストを「代走の代走」として起用する。

 そして、この策を選んだ監督が藤本定義、山下大輔、真弓明信だった点にも注目したい。

 藤本監督は自伝のタイトルが「覇者の謀略」だったように知略に長けた監督として知られており、山下大輔と真弓明信は現役時代は「名遊撃手」であった。「遊撃手」が最も広い視野で野球を見るポジションであることは言うまでもなく、監督としても広い視野で野球を見ていたことが分かる。

 なお、石田良雄はこの試合がプロでの唯一の試合出場であった。通算1試合で0打数0安打であったことはネット上でも確認できるが、その1試合の出場が「代走で出て代走を送られて引っ込んだ」という事実は、当ブログの読者以外で知る者はいない。真実は当ブログにある。


2025年11月23日日曜日

22年 南海vs太陽 12回戦

8月1日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 2 0 0 0 0 0  1  3 南海 34勝28敗3分 0.548 中谷信夫 
0 0 0 1 0 0 0 0 1  0  2 太陽 25勝38敗2分 0.397 井筒研一

勝利投手 中谷信夫 7勝9敗 
敗戦投手 井筒研一 5勝6敗

二塁打 (南)堀井 (太)藤井

勝利打点(南)田川豊 5


田川豊が延長10回決勝打

 西宮の第2試合は中谷信夫と井筒研一の先発で午後3時25分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 南海は4回表、先頭の河西俊雄が三塁線にヒット、田川豊が送りバントを決めて一死二塁、井筒の牽制悪送球で一死三塁、山本一人監督が四球を選んで二盗を決め一死二三塁、飯田徳治が中前に先制の2点タイムリーを放ち2-0とリードする。

 太陽は4回裏、先頭の辻井弘が四球で出塁、藤井勇の一ゴロの間に辻井は二進、森下重好の中飛で二走辻井がタッチアップから三進、中谷順次は四球を選んで二死一三塁、伊勢川真澄の中前タイムリーで1点返して1-2とする。

 南海は9回表、一死後飯田が中前打で出塁、飯田は二盗を試みるがキャッチャー伊勢川の強肩に刺されて二死無走者、堀井数男の遊ゴロをショート松井がエラー、筒井敬三に代わる代打別所昭が左前打を放って二死一二塁、しかし中谷は遊飛に倒れて無得点。

 太陽は9回裏、先頭の佐竹一雄が四球を選んで出塁、代走に石田良雄を起用、荒川昇治は右飛に倒れ、松井信勝に代わる代打湯浅芳彰が四球を選んで一死一二塁、湯浅はこの回から代打を出されて引っ込んで筒井に代わってマスクを被る坂田清春からの一塁牽制に刺されて二死二塁、井筒の三塁内野安打で二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行、井筒は二塁に達して盗塁が記録され、ショート小林悟楼からの本塁送球が逸れて2-2の同点とする。

 この時ホームに滑り込んだのは石田良雄の代走に起用された蔵本光夫であった。もう一度整理すると、四球で出塁した佐竹に代わって代走として石田良雄が起用され、二塁に進んだ時点か三塁に進んだ時点かは不明であるが代走石田の代走に蔵本光夫が起用されてダブルスチールを敢行し、ホームはタイミングアウトであったが悪送球でセーフとなって最終回で2-2の同点となった。一走井筒には盗塁が記録されたが、三走蔵本の生還は悪送球によるもので本盗は記録されていない。

 太陽は10回表の守備から、代打を出されて引っ込んだショート松井に代わってファースト佐竹の代走に出た石田の代走に出た蔵本がショートに入り、松井の代打に出た湯浅に代わって藤村隆男が入ってライト、ライトの辻井弘がファーストに回った。この守備変更が試合に大きく影響を与えることになる。

 南海は10回表、二死後河西が中前打で出塁、井筒からの一塁牽制をこの回ライトからファーストに回った辻井が後逸、この間に河西は二塁に進み、田川豊が左前にタイムリーを放ち3-2と勝ち越す。

 太陽は10回裏、先頭の藤井が右越えに二塁打を放って無死二塁と同点のチャンス、しかし期待の主砲森下は力が入ったか捕邪飛、四番中谷も捕邪飛に倒れ、最後は伊勢川も二ゴロに倒れて万事休す。

 中谷信夫は5安打6四球3三振の完投で7勝目をマークする。

 両チーム終盤の選手起用が微妙に試合結果に影響したゲームであった。

 田川豊が延長10回表に決勝打を放った。田川は6月2日の金星戦でも延長10回表に決勝打を放ち、近畿グレートリングから南海ホークスに球団名を変更してからの初勝利に貢献した。

2025年11月19日水曜日

22年 阪急vs大阪 9回戦

8月1日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 0 0 2 0 4 阪急 31勝34敗2分 0.477 天保義夫 
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 大阪 44勝20敗2分 0.688 若林忠志

勝利投手 天保義夫   5勝9敗 
敗戦投手 若林忠志 13勝7敗

二塁打 (急)田中 (大)玉置

勝利打点 (急)青田昇 5

猛打賞 (急)青田昇 4


天保のナックルにダイナマイト打線沈黙

 第16節2日目、西宮の第1試合は天保義夫と若林忠志の先発で午後1時32分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は4回表、先頭の田中幸男がライト線に二塁打、田中は前節21打数7安打で敢闘賞を獲得したが好調を持続、一死後青田昇の右前タイムリーで1点を先制する。

 阪急は5回表、先頭の日比野武が三塁線にヒット、下社邦男が送りバントを決めて一死二塁、荒木茂の遊ゴロの間に二走下社は三進、天保のライト線タイムリーで2-0とリードを広げる。

 大阪は7回裏、先頭の金田正泰が四球を選んで出塁、一死後土井垣武の右前打で一死一三塁、土井垣が二盗を決め、武智修に代わる代打本堂保次の右前タイムリーで1-2と1点差、しかし玉置玉一に代わる代打富樫淳の当りは一塁ファウルグラウンドへの小フライ、エンドランが掛かっていたのか一走本堂は戻れずダブルプレーで同点のチャンスを逃す。

 天保義夫は6安打1四球1三振の完投で5勝目をマークする。天保は戦時中の勤労奉仕で工場勤務の際、右手に大けがを負ったが、独特のナックルボールを習得して戦後も活躍を続け、今西錬太郎と共に阪急投手陣を支えていくことになる。

 強打を誇るダイナマイト打線も天保のナックルに沈黙した。

 大阪7回の攻撃、代打本堂のタイムリーで1点差に迫った一死一三塁で玉置玉一に代えて富樫淳を代打に起用して併殺でチャンスを潰した。このところ当りの止まってきているダイナマイト打線に、テコ入れ策としてこの日は打順を大きく変えてきた。三番を打っていた富樫はベンチスタートとなり、勝負所で玉置の代打に起用したが、玉置はここまで2打数2安打と一番当たっていた。結果論ではあるが、当たっている玉置の代打に富樫を起用した策が裏目に出たのである。

 首位独走の大阪であるが、ここ10試合は4勝5敗1分と負け越している。原因は自慢のダイナマイト打線に当りが止まってきていることである。そこで若林監督は大幅に打順を変更して気分転換をはかったが機能しなかった。

 根本原因は長打力不足にある。確かに打線がつながっての波状攻撃で得点力が高かったことからこの時期に「ダイナマイト打線」と名付けられたのが歴史的事実であるが、長打力が見劣りするのも歴史的事実であることを当ブログは伝えている。例えば、前日の太陽戦は延長12回2対2の引分けであったが、太陽の得点は全て長打を絡めてのものであったのに対して、大阪は8本のヒットが全てシングルであった。ダイナマイト打線の長打力不足解消は、別当の加入とラビットボールの導入まで待たなければならないのである。

2025年11月18日火曜日

ピンポン外交

 高市総理の発言を巡って、日中関係が悪化している。今こそ先人の叡智を見習い対処すべき時であろう。

 1971年の卓球世界選手権は名古屋で開催された。世界最強の中国チームは文化大革命の影響で世界選手権には2大会連続で出場しておらず、6年ぶりの世界選手権復帰となった。

 この大会での偶然のハプニングが世界を動かした。某アメリカ人選手が誤って中国チームのバスに乗り込んでしまった。当時の中国選手団はアメリカ選手との接触を禁じられていたが、中国選手団のリーダーであった荘則棟はそのアメリカ選手を暖かく迎えたのである。このニュースがきっかけとなって大会後にアメリカ卓球チームが中国に招待され、キッシンジャーが中国を訪問するなど米中関係が急接近することになった。当時の中国は隣国のソ連(現ロシア)との関係が悪化しており、外交戦略の見直しを模索していた。

 1972年7月に総理大臣に就任した田名角栄は、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた行動力で電光石火の動きを見せ、同年9月に日中国交回復が実現した。更に中国は1か月後、日中親善の使者としてパンダのランランとカンカンを上野に派遣したのである。

 他の多くの方々の努力もあったが、偶然バスに乗り込んでしまったアメリカ選手に対する荘則棟の対応が世界を動かしたのである。なお、卓球に詳しくない方のために説明すると、卓球界における荘則棟の存在は、日本野球史における沢村栄治、長嶋茂雄、王貞治、大谷翔平に匹敵する歴史的名選手であった。

 筆者の父親は卓球でインターハイ優勝、国体出場のカットマンだった。小学校時代の筆者は、週末には市川市立真間小学校の体育館に連れて行かれてトップアマの下回転のカットボールを上回転のドライブで打ち返していた。1971年世界選手権は中学1年生の時で、中国の6年ぶり復帰で荘則棟が来日するというニュースはよく覚えている。中国チームは「友好第一」の態度で、どんな試合でも相手選手に1ゲームを与えるという試合運びであった。卓球では10対0の場合、スコンクゲームにしないように相手に1点与える慣習がある。近年では容赦なく11対0で勝つケースも出てきているが。

 なお、現在では「日中国交正常化」という表現が使われているが、NHKアーカイブで誰でも見ることのできる当時のニュースでも「国交回復」という表現が使われているように、当時は「日中国交回復」と呼ばれていたので本稿でもそれに従った。ご了承願いたい。


2025年11月16日日曜日

訂正のお知らせ

 昭和22年7月31日「太陽vs大阪6回戦」の両チームの勝敗と勝率が間違っていましたので修正しました。

 ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。

 

22年 7月 月間MVP

月間MVP

投手部門
 中日 藤本英雄 通算2度目 
 今月は9試合に登板して77回3分の1を投げて4勝3敗1セーブ、防御率0.93、WHIP0.74という安定した投球が光りました。

 別所昭は11試合に登板して93回3分の1を投げて7勝2敗、防御率1.25、WHIP0.90。勝星で藤本を上回りますが、投球内容で少し劣る。7月12日の大阪戦でリリーフに失敗して1回3分の0で自責点4。この試合が大きく響きました。仮にこのリリーフ失敗が無ければ防御率0.88、WHIP0.90になるので別所が受賞したでしょう。

 藤本と別所の対決は7日、25日、28日の3回で、対戦成績は1勝1敗1引分け。七夕決戦となった7月7日の延長12回0対0引分けの投げ合いは圧巻でした。

 大きく成長した今西錬太郎は8試合に登板して68回3分の1を投げて5勝2敗、防御率1.58、WHIP1.08。藤本と別所に肉薄してきました。

打撃部門
 太陽 森下重好 初受賞
 今月は75打数24安打、打率3割2分、13得点、14打点。二塁打3本、三塁打1本、本塁打は3打数連続を含む6本。文句なしの受賞と言えます。

 月間首位打者は金田正泰で打率3割6分。27安打と18得点もトップでした。
 打点は小松原博喜と平山菊二が18打点でトップ。二人とも打率は3割に届きませんでしたが勝負強さが際立ちました。

 大下弘が調子を上げてきて74打数25安打、打率3割3分8厘、10得点、13打点。二塁打4本、三塁打2本、本塁打3本。

 7月末時点での首位打者は3割2分1厘の川上哲治。1分差で金田正泰と大下弘が追う展開となっています。


2025年11月14日金曜日

22年 太陽vs大阪 6回戦

7月31日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 1 0 1 0 0 0 0  0   0   0  2 太陽 25勝37敗2分 0.403 真田重蔵 
0 0 0 0 0 0 0 2 0  0   0   0  2 大阪 44勝19敗2分 0.698 梶岡忠義

二塁打 (太)藤井
三塁打 (太)真田、荒川

勝利打点 なし


真田と梶岡の投げ合いで引き分く

 西宮の第2試合は真田重蔵と梶岡忠義の先発で午後3時23分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、二死後好調富樫淳が中前打で出塁、藤村富美男の遊ゴロをショート松井信勝が一塁に悪送球して二死二三塁、しかし当たっている土井垣武は中飛に倒れて無得点。

 太陽は3回表、一死後辻井弘が中前打で出塁、藤井勇が左中間にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。更に第一打席で連続打数本塁打記録が途切れた森下重好が左前打を放って一死一三塁とするが、森下の二盗を土井垣が刺してチャンスを潰す。

 太陽は5回表、先頭の松井が四球を選んで出塁、真田がセンター右奥にタイムリー三塁打を放ち2-0とリードを広げる。

 太陽は6回表、一死後荒川昇治が右中間に三塁打を放ってチャンス到来、しかし後続が倒れて追加点はならず。一死三塁で打席が回ってきた松井はワンボールから3球連続ファウル、2球目か3球目はスクイズ失敗だったのではないか。ここで追加点が取れなかったのは痛かった。

 太陽は8回表、先頭の中谷順次の当りは遊ゴロ、これを好守を誇るショート長谷川善三が一塁に悪送球、打者走者の中谷は二塁に進んで無死二塁、ここから梶岡が圧巻の投球を見せ、三者連続三振でピンチを凌ぐ。

 梶岡の力投に応えたい大阪は8回裏、先頭の呉昌征が中前打で出塁、金田正泰が四球を選んで無死一二塁、富樫淳の三塁線ヒットで無死満塁、一死後土井垣の二ゴロは「6-4-3」と転送されるが二塁はアウトで一塁はセーフ、併殺崩れの間に三走呉はホームイン、更に二走金田も三塁ベースを蹴ってホームに突っ込みセーフ、2-2の同点に追い付く。

 土井垣の二ゴロが併殺だったら大阪は無得点であったが、併殺崩れとなって2点が入った。この二ゴロで土井垣には2打点が記録された。土井垣はプロ通算654打点を記録することになるが、その中に金田の好走塁による1打点も含まれている。

 この後も真田と梶岡の力投は続き、2対2のまま延長12回引分け。

 真田重蔵は144球を投げて8安打5四球2三振。

 梶岡忠義は155球を投げて5安打6四球5三振。

 1時間44分の激闘であった。
 

2025年11月8日土曜日

午前3時

高市総理が午前3時に国会答弁に備えた勉強会を行ったことが物議を醸しているそうな。

野党の議員からの質問は鋭いところを突いてくるので、担当の官僚が慎重を期して徹夜で答弁書を作成するなんてのはざらにあります。

私はサラリーマンを20年やってから国家公務員を20数年やって定年退職しましたが、午前3時からの海外機関との電話会議に駆り出されたこともありました。

時代に逆行する?

公務なんだから当り前田のクラッカーですね(笑)。

みんな使命感で仕事してるんですよ。

誰かがやらなければ世の中回らない。ただそれだけのこと。

当ブログが書かなければ一リーグ時代の真実は伝わらない。ただそれだけのこと。


22年 南海vs阪急 8回戦

7月31日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 2 3 南海 33勝28敗3分 0.541 別所昭 
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 阪急 30勝34敗2分 0.469 今西錬太郎

勝利投手 別所昭        18勝10敗 
敗戦投手 今西錬太郎 14勝7敗

二塁打 (南)堀井、飯田 (急)日比野

勝利打点(南)坂田清春 2

猛打賞 (南)飯田徳治 4


別所が今西に投げ勝ちハーラートップ

 第16節初日、西宮の第1試合は別所昭と今西錬太郎の先発で午後1時33分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 今節から地方巡業が始まるが、南海と阪急は残留組で5試合を行うことになる。

 南海は2回表、一死後飯田徳治が左前打で出塁、堀井数男が三塁線を破る二塁打を放って一死二三塁、別所は四球で一死満塁、坂田清春の左犠飛で1点を先制する。

 阪急は4回裏、一死後坂元義一が左前打で出塁、日比野武のライト線タイムリー二塁打で1-1の同点に追い付く。

 中盤から後半は別所と今西の投げ合いが続いて試合は同点のまま最終回へ。

 南海は9回表、先頭の山本一人監督が中前打で出塁、一死後堀井の右前打で一三塁、堀井が二盗を決め、別所はこの試合3個目の四球で歩かされて一死満塁、ここで坂田が二前にプッシュバント、これがタイムリー内野安打となって2-1と勝越し、小林悟楼の一ゴロの間に三走堀井が還って3-1とする。

 別所昭は最終回も2三振を奪う力投、7安打1四球6三振の完投で17勝目をマークする。

 別所、今西の新時代エース同士の対決は別所が投げ勝ち、ハーラートップ独走態勢を築くことになった。

 坂田清春が先制の犠牲フライと決勝のスクイズバントを見せる活躍。

 坂田の決勝スクイズが何故プッシュバントだと分かるかについて解説しよう。プロ野球が採用している慶應式スコアカードには打球方向が記載される。坂田の記録は二塁へのゴロでバントを表す「BN」と内野安打を示す二重線が記されている。これは二塁前へのスクイズバントがタイムリー内野安打になったことを示しているため、二前プッシュバントと判断した。

*9回表、坂田清春が二前にプッシュバントスクイズを決めた場面。拡大鏡を使わないと見えないが、バントを表す「BN」と内野安打を示す二重線が記されている。

2025年11月6日木曜日

地方遠征

 第16節、第17節、第18節では地方遠征が行われる変則開催となります。

 各節とも、西宮と後楽園残留組は5試合、地方遠征組は2試合を行うことになりますので、各節毎の週間MVPの選出は困難となります。

 したがって、週間MVPの選出は、16節、17節、18節をまとめて行います。

 この間、42試合が行われますが、各チームの試合数は、

 南海、阪急、太陽、大阪が12試合。

 中日、東急、金星、巨人が9試合。

となりますのでご了承ください。


2025年11月5日水曜日

22年 第15節 週間MVP

週間MVP
投手部門
 阪急 今西錬太郎 2勝1完封。 ハーラー争いでは雲の上の存在だった別所と藤本に迫ってきた。

打撃部門
 太陽 森下重好 18打数9安打8得点6打点、4本塁打。 27日の阪急戦最終打席から28日の巨人戦にかけて、3四球を挟んで4打数連続本塁打を記録する。

殊勲賞
 中日 加藤正二 19打数6安打1得点4打点。V打2個で「加藤の乱 」。
 太陽 中谷順次 22打数6安打3得点7打点、2本塁打。 MVPの森下より打点が多い。
 大阪 金田正泰 23打数7安打。28日の東急戦で10回裏サヨナラ二塁打。 
 東急 黒尾重明 25日の大阪戦でダイナマイト打線を完封。 
 金星 大友一明 27日の阪急戦で決勝本塁打。今季4本のホームランは全て決勝本塁打。 

敢闘賞
 太陽 藤井勇  23打数8安打3得点2打点。 
 大阪 土井垣武 18打数7安打4得点5打点。 
 阪急 田中幸男 21打数7安打2得点1打点。 
 中日 三村勲  12打数6安打。 
 金星 酒沢政夫 18打数6安打2得点2打点。 

技能賞
 太陽 伊勢川真澄 25日の巨人戦で初回に2補殺。 
 中日 清水秀雄  27日の東急戦でゴロアウト18個。 
 金星 小前博文  18打数6安打。無安打が3試合と猛打賞が2試合。

2025年11月3日月曜日

22年 太陽vs巨人 11回戦

7月28日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 1 3 2 0 0 1 1 9 太陽 25勝37敗1分 0.403 真田重蔵
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 巨人 31勝32敗1分 0.492 中尾輝三 諏訪裕良

勝利投手 真田重蔵 9勝12敗 
敗戦投手 中尾輝三 8勝7敗

本塁打 (太)森下重好 7号、8号、9号 中谷順次 4号

勝利打点(太)荒川昇治 4 

猛打賞 (太)森下重好 3


森下重好、4打数連続本塁打

 第15節最終戦。甲子園の第2試合は真田重蔵と中尾輝三の先発で午後3時20分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、二死後森下重好がレフトスタンドに第7号先制ホームラン。前日最終打席から2打席連続本塁打となった。更に中谷順次、伊勢川真澄の連打で二死一二塁とするが後続なくこの回は1点止まり。

 巨人は1回裏、一死後田中資昭がセンター右にヒット、この日三番に入った多田文久三の右前打で一死一二塁、川上哲治の投ゴロで多田が二封されて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて1-1の同点に追い付く。

 巨人は今季初の重盗で田中資昭が本盗を記録。これでチーム重盗なしは阪急だけとなった。

 太陽は3回表、先頭の森下が四球を選んで出塁すると二盗に成功、一死後伊勢川真澄の遊ゴロで二走森下は三塁に向かい、ショート田中が三塁に送球するがセーフ、野選が記録されて一死一三塁、佐竹一雄が四球を選んで一死満塁、荒川昇治の右前タイムリーで2-1と勝ち越す。

 太陽は4回表、先頭の真田が中前打で出塁、二死後森下の打席でカウントツーボールツーストライクとなったところでワイルドピッチで真田は二進、一塁が空いたので森下は歩かされて二死一二塁、ここで中谷順次がレフトスタンドに第4号スリーランを叩き込んで5-1とリードを広げる。巨人ベンチはここで先発の中尾から諏訪裕良にスイッチ。

 大洋は5回表、先頭の佐竹が左前打で出塁、荒川も右前打で無死一二塁、松井信勝がセオリー通り三前に送りバントを決めて一死二三塁、真田のピッチャー強襲ヒットが2点タイムリーとなって7-0、トップに返り辻井弘がレフト線にヒット、レフト平山菊二がファンブルする間に二者進塁して一死二三塁、藤井勇は浅い左飛に倒れて二死二三塁、森下は敬遠気味に歩かされて3打席連続四球、中谷は遊ゴロに倒れて追加点はならず。

 太陽は8回表、先頭の森下がレフトスタンドに第8号を叩き込んで8-0とリードを広げる。一死後伊勢川、佐竹が右に連打、荒川昇治化も四球を選んで一死満塁とするが後続なくこの回は1点止まり。この粘りの攻撃が大記録に結び付く。

 太陽は9回表、二死後8回に続いて打席が回ってきた森下がレフトスタンドにこの日3本目となる第9号を叩き込んで9-0として試合を決める。

 真田重蔵は3安打3四球3三振の完投で9勝目をマークする。調子が上がらなかった真田もこのところ状態は上がってきている。

 巨人は千葉茂に続いて好調小松原博喜も欠場となって元気なく4回以降はノーヒット。

 森下重好は前日最終打席で第6号本塁打。本日は第1打席で第7号。そこから3打席連続四球が続いて8回に第8号。味方打線の頑張りで9回二死後に打席が回って来て9号本塁打。大谷翔平並みの活躍を見せた。

 一試合3本塁打は岩本義行以来の記録でタイ記録。前日からの4打数連続本塁打は空前絶後の大記録となった。

 「4打数連続本塁打」を検索してみると、ネット上には数多くの達成者リストが掲載されているが、どのサイトを見ても森下重好の記録は抜けている。当ブログが調べ切れていないだけかもしれないが、誰かの間違った記述がコピペされて出回っているだけのようだ。

 こう書くと、「二リーグ分裂後じゃぁ~~」という間抜けな言い訳をする輩が登場する。更に、「分裂」と書くと「分立じゃぁ~~」と駄々をこねる輩が登場するのも常である。

 当ブログからは、「真実は当ブログにある」という当り前田のクラッカーな事実をお伝えするだけである。