Wikipediaの「近藤久」の項には「川上哲治に初ヒットを打たれた投手でもある」と書かれていますがこれは間違いです。川上の初ヒットは昭和13年5月14日のイーグルス戦で亀田忠から放った中前打です。同年5月29日のライオン戦で近藤から打った二塁内野安打は通算2本目のことです。間違いの元が「元ベースボールマガジン編集長・U氏」のブログだというのも唖然とさせられますね(2013年7月30日現在)。スコアブックを見なくても、ベースボール・マガジン社発行「日本プロ野球記録大全集」を見れば分かるのですが。
因みに、Wikipediaの「小田野柏」の項には「川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏である(結果はセンターフライ)」と書かれていますがこちらも間違いで、昭和13年5月1日の阪急戦で川上が小田野と対戦したプロ入り初打席は「ライトフライ」と記録されています。こちらはスコアカードを見ないと分からないでしょうが。小田野柏の母校である岩手県立福岡中学校(現・岩手県立福岡高等学校)の「野球部創部100周年誌」である「陣場台熱球録」では「プロに進んだ5人のサムライたち」として小田野柏が紹介されていますが、「後に打撃の神様と呼ばれる川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏であった。この時は、見事センターフライに打ち取っている。」と誤った記述が見られます。同誌は立派な出来であるだけに惜しいことです。
*昭和13年5月14日、川上哲治は3回の第一打席でプロ入り初ヒットとなる中前打を記録しましたが、この時の対戦相手はイーグルスの亀田忠でした。
*昭和13年5月29日、川上哲治は3回の第一打席でプロ入り2本目のヒットとなる二塁への内野安打を記録しましたが、この時の対戦相手がライオンの近藤久だったのです。
*昭和13年5月1日、川上哲治はプロ入り初打席でライトフライに倒れています。この時の対戦相手は小田野柏でした。当時の記録者の「9」と「8」は肉眼では判別し辛いのは事実ですが、拡大鏡で見れば確実に判別できますので川上のプロ入り初打席は「右飛」です。三原脩の第一打席「F-8」と見比べてみてください。筆者は全てのプレーを拡大鏡を使って確認しておりますのでご安心ください。