2025年9月15日月曜日
22年 第14節 週間MVP
2025年9月14日日曜日
人生初のエンタイトルツーベース
22年 金星vs南海 7回戦
2025年9月11日木曜日
22年 大阪vs巨人 10回戦
2025年9月10日水曜日
22年 東急vs太陽 8回戦
2025年9月6日土曜日
22年 阪急vs中日 9回戦
2025年9月5日金曜日
22年 太陽vs南海 11回戦
2025年9月2日火曜日
22年 中日vs大阪 11回戦
2025年8月31日日曜日
22年 東急vs金星 8回戦
2025年8月30日土曜日
22年 巨人vs阪急 11回戦
2025年8月28日木曜日
邪飛と砂塵
さて、昭和22年7月19日後楽園球場、第1試合では「三者連続邪飛」を、第2試合では後楽園名物の「砂塵」についてお伝えしたところですが、2025年夏の甲子園でも「邪飛と砂塵」が話題になりました。
歴史的名勝負となった準々決勝横浜vs県岐阜商戦、延長10回裏に3点取り返して同点に追い付いた岐阜商業は一死一三塁で1年生代打がライト線にライナー、横浜のライトがダイビングで飛び付きましたがグラウンドに落ちて「ファウル」の判定となりました。
ネット上では「白い粉」が上がったからライン上に落ちたんだからフェアで「岐阜商業の逆転サヨナラ勝ちじゃぁ~~」の絶叫が湧き上がっています。
結論から言うとありゃ「ファウル」でした。夏は湿度が高いので外野のラインは湿気を含んでライン上に飛んでも「白い粉」は上がりません。ネット上にはスタンドから撮影した画像があふれかえっていますが、明らかにラインの外に打球が落ちて砂塵が舞っただけでした。
筆者はこの試合をテレビでリアルタイムで見ていました。NHKの画像ではフェアグラウンドでライトのグラブに触れたように見えたので、瞬間的に岐阜商のサヨナラと思ったのは事実です。筆者はグラブに当たったと見ましたので、打球がどこに落ちようが問題ではなく、グラブに当たったのがフェアゾーンであったかファウルゾーンであったが問題なのです。
本来であればグラブに当たったか当たらなかったか、当たったならばそれがフェアゾーンであったかファウルゾーンであったかで炎上すべきところ、「白い粉が上がった~~」と素人さんが喚き散らしている点ばかりが話題となっているのがちゃんちゃらおかしい(笑)。
本件の本質は、あの打球に飛び付くかどうかにあります。あの体勢で捕球すれば間違いなくサヨナラ犠飛になっていましたのでライトは「ファウルに賭けて捕球せずに見送る」が「正解」です。見送ってフェアグラウンドに落ちようがダイビングキャッチしようがサヨナラ負けには変わりはありませんのでファウルに賭けて見送るべきなのです。ライトはアウトカウントをツーアウトと勘違いしていたのかもしれません。ダイブした瞬間にファウルと判断して捕球しなかったとしたら、ライトの超ファインプレーだったと言えます。明らかにフェアであればダイブしてでも捕球しに行くでしょうね。この暑さですから、三走がタッチアップしてから肉離れで走れなくなる可能性もゼロではありませんので。
ネットの人達も、「白い粉が上がった~~」で炎上するのではなく、「あの打球を捕球すべきだったか見送るべきだったか」で議論を戦わせるレベルに成長していただきたいものですね(笑)。
22年 巨人vs大阪 9回戦
2025年8月27日水曜日
22年 中日vs阪急 8回戦
2025年8月26日火曜日
22年 南海vs太陽 10回戦
2025年8月25日月曜日
22年 大阪vs阪急 8回戦
2025年8月24日日曜日
最後のストライク
故・津田恒実の妻晃代著「最後のストライク」がドラマ化されてフジテレビで放映されたのは2000年7月28日のこと。
主役の岸谷五朗は病身の津田を演じるため1週間で8キロの減量を行って迫真の演技を見せた。津田と同時に殿堂入りした北別府を演じた寺脇康文は無名時代から岸谷とは盟友だったと言う。
球界等からも多くの出演者が見られた。ドラマ冒頭のシーンでホテルのマネージャー役を演じたのは山本浩二。共に広島出身のフジテレビ福井アナと神田アナがドラマでも実況中継を担当した。
リリーフ専門の清川栄治の初勝利がかかった試合でリリーフに出た津田が滅多打ちに合って清川の勝利をフイにした晩、何度も清川の部屋を訪れて謝る津田を清川が「もういい!」と怒鳴りつけるシーンは実話に基づくものだった。津田の親友だった清川栄治本人も観客役で出演している。
最も印象に残る配役は安仁屋コーチを演じた宇崎竜童だった。酒豪で知られる安仁屋が病床の津田を訪れた際、「安仁屋さん、飲み過ぎんように」と津田が呟いたシーンも実話に基づくもの。津田の訃報を聞いた安仁屋コーチが屋台で酔いつぶれて「津田~」と叫ぶシーンはこのドラマのハイライトだった。
安仁屋宗八は沖縄高校時代、1962年夏は沖縄予選を勝ち抜き南九州大会も制して夏の甲子園に出場した。沖縄代表は1958年にも首里高校が夏の甲子園に出場していたが、この年は記念大会で沖縄代表として出場したもので、南九州大会を勝ち抜いて夏の甲子園に出場したのは安仁屋がエースだった1962年の沖縄高校が初めてのことだった。
「沖縄高校」は1983年に「沖縄尚学」と改称されて、1999年センバツでは沖縄県勢としては春夏通じて初めての甲子園制覇を達成、2008年のセンバツでは2度目の優勝、そして2025年には夏の甲子園も制覇した。
*テレビドラマ「最後のストライク」はDVD等の映像化はされておらず、本稿の記述は当時テレビで見た時の記憶に基づくもので、事実関係が相違している可能性がある点ご留意ください。
*津田の親友清川栄治の直筆サイン入りカード。
*沖縄高校出身安仁屋宗八の直筆サイン入りカード。
2025年8月22日金曜日
22年 金星vs東急 7回戦
2025年8月21日木曜日
顔上げろー
試合終了後のスタンドへの挨拶、県立岐阜商業のアルプスから「ありがとう」の声が飛んだとNHKのアナウンサーは伝えました。
当ブログが最も印象に残っているアルプスからの掛け声は、昭和49年夏の甲子園で悲願の全国制覇を達成した銚子商業のメンバーが試合終了後の挨拶でアルプススタンド前に整列した際、今では優勝チームは笑顔での挨拶が多くなっていますが、当時は優勝チームでも泣きじゃくる選手が多かった時代、漁師町らしく猛者揃いで定評のあった銚子商業アルプススタンドから掛かった暖かい声をマイクが拾いました。
「顔上げろー」
当ブログが知る限り、史上最高のアルプスからの掛け声でした。
2025年8月19日火曜日
22年 中日vs巨人 8回戦
2025年8月18日月曜日
22年 金星vs太陽 9回戦
2025年8月17日日曜日
春の報徳 夏の東洋
地元では「春の報徳、夏の東洋」と言われているように、報徳学園は1974年と81年のセンバツ優勝、東洋大姫路は1977年夏の甲子園優勝の実績を誇ります。
千葉県市川市出身の当ブログの野球の原点が千葉県高校野球にあることは既報のとおりですが、生誕地は神戸なので兵庫は二番目に応援しています。
子供の頃は夏休みと春休みは須磨の実家に行っていて、姫路にも親戚があったのでしょっちゅう行っていました。庭から姫路城が見える所にあり、改装前の姫路城天守閣にも何度も登りました。
姫路の北方に「北条」という町があり、そこにも親戚がいて一度だけ行ったことがあります。大きな農家で、その日は偶然昭和44年夏の甲子園決勝の日でした。小学校5年生の当ブログのために、大きな部屋の真ん中にテレビが置かれてその前に座布団が用意されていました。当時から「野球狂」で有名だったようです。お蔭で、三沢と松山商業の決勝は延長18回引分けの試合と翌日の再試合27イニング全てをテレビにかじり付いて見ていました。と言うことで、現在の当ブログ資金運用ポートフォリオの中核は北条に本社がある「美樹工業」です。値動きはチャートでご確認ください。
今年の東洋は東洋大姫路野球部史上最強チームとも言われています。兵庫県予選決勝でライバル報徳を7対6の激戦の末破って14年ぶりに夏の甲子園に戻ってきました。惜敗した報徳のためにも、剛腕松本を擁して優勝した1977年以来48年振りの夏の甲子園制覇を期待しています。
22年 大阪vs中日 10回戦
2025年8月16日土曜日
22年 南海vs東急 12回戦
2025年8月13日水曜日
22年 阪急vs巨人 10回戦
2025年8月12日火曜日
22年 第13節 週間MVP
週間MVP
2025年8月11日月曜日
22年 巨人vs阪急 9回戦
2025年8月10日日曜日
22年 太陽vs金星 8回戦
2025年8月9日土曜日
「しりつ」か「いちりつ」か
今年の千葉県代表は県予選決勝で八千代松蔭を8対7で降して進出してきた市立船橋。
以前は誰もが「いちりつふなばし」と呼んでいましたが、近年のNHKは「しりつふなばし」と発言するようになりました。
確かに、正式には「しりつふなばし」が正解なのですが、NHKには「いちふな」では?の問い合わせが殺到しているようです。
千葉県の強豪校は伝統的に公立校が多く、1974年に全国制覇した銚子商業は県立校で1967年と1975年に全国制覇した習志野は市立校です。
習志野市には県立高校はありませんので「習志野高校」は「ならしの」又は「ならこう」と呼ばれるだけですが、船橋市には「市立船橋」と「県立船橋」がありますので、区別するために地元では「市立船橋」は「いちりつふなばし」又は「いちふな」、「県立船橋」は「ふなこう」と呼ばれています。
市立船橋が甲子園に出るようになって「市立船橋」が全国区になってからも、NHKの中継では地元で呼ばれている「いちりつふなばし」又は「いちふな」と発言されてきましたが、お堅いNHKのこと、近年では正式名称の「しりつふなばし」と発言するようになってから混乱が生じています。
NHKの中継では苦し紛れに「地元では『いちふな』の愛称で呼ばれている『しりつふなばし』」と発言するケースが目立ちます。だったら最初から「いちふな」にすればいいのに(笑)。
本日の中継でもアナウンサーは「地元では『いちふな』の愛称で呼ばれている『しりつふなばし』」とした上で「しりつふなばし」で通そうとしましたが、解説の飯塚智広氏は終始「いちりつふなばし」で通しました。後半はNHKのアナウンサーも諦めたようで「しりつふなばし、いちふな」と呼び方を変えていましたね。だったら最初から「いちふな」にすればいいのに(笑)。
飯塚氏は二松学舎沼南の出身で生粋の千葉県野球人です。「市立船橋」を「しりつふなばし」と呼ぶのは千葉県野球人のDNAが許さないというところでしょうか。市川市真間小学校出身の筆者は中学から東京に通って現在は横浜に住んでいますが、高校野球は千葉県です。「市立船橋」は「いちふな」ですよね(笑)。