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2025年11月28日金曜日

22年 巨人vs金星 12回戦

8月2日 (土) 桐生新川

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 0 1 0 2 0 5 巨人 32勝32敗1分 0.500 川崎徳次
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金星 24勝40敗1分 0.375 内藤幸三 三富恒雄

勝利投手 川崎徳次 11勝8敗 
敗戦投手 内藤幸三   7勝9敗

二塁打 (巨)呉、川上 (金)内藤

勝利打点(巨)呉新亨 2

猛打賞 (巨)田中資昭 2


巨人、桐生で勝率5割復帰

 本日より地方遠征がスタート。

 当ブログの実況中継クルーが桐生に遠征するのは昭和20年11月24日の東西対抗第2戦と翌日の東軍vs全桐生戦以来のことになる(2019年7月15日及び19日の実況中継参照)。

 第16節3日目、桐生新川球場の第1試合は川崎徳次と内藤幸三の先発で午後0時56分、西垣球審の右手が上がりプレイボール。7月24日の後楽園で審判デビューした円城寺満審判員も桐生遠征に帯同して三塁塁審を務める。

 巨人は2回表、一死後中島治康が四球を選んで出塁、呉新亨が右中間にタイムリー二塁打を放ち1点を先制、武宮敏明の左前打で一死一三塁、川崎の左前タイムリーで2-0とする。

 巨人は6回表、先頭の平山菊二が中前打で出塁、中島の左前打で無死一二塁、ワンストライクからの2球目がワイルドピッチで二者進塁、カウントワンボールワンストライクの場面で金星ベンチは先発の内藤に代えて三富恒雄をマウンドに送り、呉は四球を選んで無死満塁、この場合の与四球は三富に記録され、武宮の左犠飛で1点追加、3-0とリードを広げる。

 巨人は8回表、一死後呉新亨、武宮、川崎が3連続四球で満塁、トップに返り山川喜作が三塁にタイムリー内野安打を放ち4-0、なおも続く一死満塁から田中資昭の遊ゴロ併殺崩れの間に三走武宮が還って5-0とダメ押す。

 川崎徳次は4安打1四球1三振で今季6度目の完封、11勝目をマークする。

 川崎の力投に応えて先制、中押し、ダメ押しと着々と加点、巨人は5割に復帰した。

 昨年は北陸、北海道、九州に遠征したが、今年は桐生、徳島、長野に遠征することになる。

 戦前はシーズン中にもオープン戦が行われており、桐生新川球場でも何回かプロ野球の試合が行われた。

 終戦直後に行われた東西対抗第2戦と東軍vs全桐生の2試合は、プロ野球復活の象徴として歴史に名を刻んでいる。

2025年11月24日月曜日

代走の代走

 昭和22年8月1日、太陽ロビンスの藤本定義監督は、1点ビハインドの9回裏の攻撃で、四球で出塁した佐竹一雄に代走として石田良雄を送り、石田が三塁に進んだ時点で蔵本光夫を代走に起用してダブルスチールを狙うという奇策を講じて同点に追い付いた。 

 佐竹一雄は捕手と一塁手を兼務する選手で足は速くない。9回裏に同点のランナーが出れば足の速い選手を代走に送るのはセオリーである。石田良雄は城東商業の出身でこの日がプロ入り初出場。藤本監督は同点を狙って佐竹に代えて若手の石田を代走に起用した。そして石田が三塁に進む展開となり、ダブルスチールを狙うために石田よりも経験豊富の蔵本光夫を「代走の代走」として起用してダブルスチールを敢行、これがショート小林悟楼の悪送球を誘って同点に追い付いたのである。

 確認できる範囲ではあるが、これがプロ野球史上初の「代走の代走」であった。

 「代走の代走」はこの後も2事例が確認されている。

 2003年頃に横浜の山下大輔監督は、一塁に出塁したタイロン・ウッズに代えて代走に河野友軌を起用、河野が二塁に進むと「代走の代走」に田中一徳を起用した。強打のウッズは「通算2940打数で三塁打0本」の日本記録保持者であることから分かるように足は遅かった。山下監督はまず若手の河野を代走に出して様子を見てから、スコアリングポジションに進んだ場面で「足のスペシャリスト」であった田中一徳を「代走の代走」に起用したのである。PL学園時代の田中一徳は1998年夏の甲子園で歴史的名勝負となった横浜高校戦で松坂大輔から4安打を放ってドラ一でプロ入りした。165cmと小柄ながら俊足好打を評価されてプロの世界に飛び込んだのである。

 2011年には阪神の真弓明信監督が一塁に出塁した桧山進次郎に代えて代走に野原将志を起用し、野原が二塁に進んだ場面で「走の切り札」であった大和を「代走の代走」に起用したのである。この頃の桧山は「代打の切り札」として活躍しており走力は衰えていたので若手の野原を代走に起用し、スコアリングポジションに進んだところで大和を「代走の代走」に起用した。

 プロ野球史上で確認できる「代走の代走」は上記の3つの事例だけであるが、共通点は多い。

①足の遅い選手が一塁に出塁する。

②足の速い若手を代走に起用する。

③スコアリングポジションに進んで勝負の場面となったところで経験豊富なスペシャリストを「代走の代走」として起用する。

 そして、この策を選んだ監督が藤本定義、山下大輔、真弓明信だった点にも注目したい。

 藤本監督は自伝のタイトルが「覇者の謀略」だったように知略に長けた監督として知られており、山下大輔と真弓明信は現役時代は「名遊撃手」であった。「遊撃手」が最も広い視野で野球を見るポジションであることは言うまでもなく、監督としても広い視野で野球を見ていたことが分かる。

 なお、石田良雄はこの試合がプロでの唯一の試合出場であった。通算1試合で0打数0安打であったことはネット上でも確認できるが、その1試合の出場が「代走で出て代走を送られて引っ込んだ」という事実は、当ブログの読者以外で知る者はいない。真実は当ブログにある。


2025年11月23日日曜日

22年 南海vs太陽 12回戦

8月1日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 2 0 0 0 0 0  1  3 南海 34勝28敗3分 0.548 中谷信夫 
0 0 0 1 0 0 0 0 1  0  2 太陽 25勝38敗2分 0.397 井筒研一

勝利投手 中谷信夫 7勝9敗 
敗戦投手 井筒研一 5勝6敗

二塁打 (南)堀井 (太)藤井

勝利打点(南)田川豊 5


田川豊が延長10回決勝打

 西宮の第2試合は中谷信夫と井筒研一の先発で午後3時25分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 南海は4回表、先頭の河西俊雄が三塁線にヒット、田川豊が送りバントを決めて一死二塁、井筒の牽制悪送球で一死三塁、山本一人監督が四球を選んで二盗を決め一死二三塁、飯田徳治が中前に先制の2点タイムリーを放ち2-0とリードする。

 太陽は4回裏、先頭の辻井弘が四球で出塁、藤井勇の一ゴロの間に辻井は二進、森下重好の中飛で二走辻井がタッチアップから三進、中谷順次は四球を選んで二死一三塁、伊勢川真澄の中前タイムリーで1点返して1-2とする。

 南海は9回表、一死後飯田が中前打で出塁、飯田は二盗を試みるがキャッチャー伊勢川の強肩に刺されて二死無走者、堀井数男の遊ゴロをショート松井がエラー、筒井敬三に代わる代打別所昭が左前打を放って二死一二塁、しかし中谷は遊飛に倒れて無得点。

 太陽は9回裏、先頭の佐竹一雄が四球を選んで出塁、代走に石田良雄を起用、荒川昇治は右飛に倒れ、松井信勝に代わる代打湯浅芳彰が四球を選んで一死一二塁、湯浅はこの回から代打を出されて引っ込んで筒井に代わってマスクを被る坂田清春からの一塁牽制に刺されて二死二塁、井筒の三塁内野安打で二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行、井筒は二塁に達して盗塁が記録され、ショート小林悟楼からの本塁送球が逸れて2-2の同点とする。

 この時ホームに滑り込んだのは石田良雄の代走に起用された蔵本光夫であった。もう一度整理すると、四球で出塁した佐竹に代わって代走として石田良雄が起用され、二塁に進んだ時点か三塁に進んだ時点かは不明であるが代走石田の代走に蔵本光夫が起用されてダブルスチールを敢行し、ホームはタイミングアウトであったが悪送球でセーフとなって最終回で2-2の同点となった。一走井筒には盗塁が記録されたが、三走蔵本の生還は悪送球によるもので本盗は記録されていない。

 太陽は10回表の守備から、代打を出されて引っ込んだショート松井に代わってファースト佐竹の代走に出た石田の代走に出た蔵本がショートに入り、松井の代打に出た湯浅に代わって藤村隆男が入ってライト、ライトの辻井弘がファーストに回った。この守備変更が試合に大きく影響を与えることになる。

 南海は10回表、二死後河西が中前打で出塁、井筒からの一塁牽制をこの回ライトからファーストに回った辻井が後逸、この間に河西は二塁に進み、田川豊が左前にタイムリーを放ち3-2と勝ち越す。

 太陽は10回裏、先頭の藤井が右越えに二塁打を放って無死二塁と同点のチャンス、しかし期待の主砲森下は力が入ったか捕邪飛、四番中谷も捕邪飛に倒れ、最後は伊勢川も二ゴロに倒れて万事休す。

 中谷信夫は5安打6四球3三振の完投で7勝目をマークする。

 両チーム終盤の選手起用が微妙に試合結果に影響したゲームであった。

 田川豊が延長10回表に決勝打を放った。田川は6月2日の金星戦でも延長10回表に決勝打を放ち、近畿グレートリングから南海ホークスに球団名を変更してからの初勝利に貢献した。

2025年11月19日水曜日

22年 阪急vs大阪 9回戦

8月1日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 0 0 2 0 4 阪急 31勝34敗2分 0.477 天保義夫 
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 大阪 44勝20敗2分 0.688 若林忠志

勝利投手 天保義夫   5勝9敗 
敗戦投手 若林忠志 13勝7敗

二塁打 (急)田中 (大)玉置

勝利打点 (急)青田昇 5

猛打賞 (急)青田昇 4


天保のナックルにダイナマイト打線沈黙

 第16節2日目、西宮の第1試合は天保義夫と若林忠志の先発で午後1時32分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は4回表、先頭の田中幸男がライト線に二塁打、田中は前節21打数7安打で敢闘賞を獲得したが好調を持続、一死後青田昇の右前タイムリーで1点を先制する。

 阪急は5回表、先頭の日比野武が三塁線にヒット、下社邦男が送りバントを決めて一死二塁、荒木茂の遊ゴロの間に二走下社は三進、天保のライト線タイムリーで2-0とリードを広げる。

 大阪は7回裏、先頭の金田正泰が四球を選んで出塁、一死後土井垣武の右前打で一死一三塁、土井垣が二盗を決め、武智修に代わる代打本堂保次の右前タイムリーで1-2と1点差、しかし玉置玉一に代わる代打富樫淳の当りは一塁ファウルグラウンドへの小フライ、エンドランが掛かっていたのか一走本堂は戻れずダブルプレーで同点のチャンスを逃す。

 天保義夫は6安打1四球1三振の完投で5勝目をマークする。天保は戦時中の勤労奉仕で工場勤務の際、右手に大けがを負ったが、独特のナックルボールを習得して戦後も活躍を続け、今西錬太郎と共に阪急投手陣を支えていくことになる。

 強打を誇るダイナマイト打線も天保のナックルに沈黙した。

 大阪7回の攻撃、代打本堂のタイムリーで1点差に迫った一死一三塁で玉置玉一に代えて富樫淳を代打に起用して併殺でチャンスを潰した。このところ当りの止まってきているダイナマイト打線に、テコ入れ策としてこの日は打順を大きく変えてきた。三番を打っていた富樫はベンチスタートとなり、勝負所で玉置の代打に起用したが、玉置はここまで2打数2安打と一番当たっていた。結果論ではあるが、当たっている玉置の代打に富樫を起用した策が裏目に出たのである。

 首位独走の大阪であるが、ここ10試合は4勝5敗1分と負け越している。原因は自慢のダイナマイト打線に当りが止まってきていることである。そこで若林監督は大幅に打順を変更して気分転換をはかったが機能しなかった。

 根本原因は長打力不足にある。確かに打線がつながっての波状攻撃で得点力が高かったことからこの時期に「ダイナマイト打線」と名付けられたのが歴史的事実であるが、長打力が見劣りするのも歴史的事実であることを当ブログは伝えている。例えば、前日の太陽戦は延長12回2対2の引分けであったが、太陽の得点は全て長打を絡めてのものであったのに対して、大阪は8本のヒットが全てシングルであった。ダイナマイト打線の長打力不足解消は、別当の加入とラビットボールの導入まで待たなければならないのである。

2025年11月18日火曜日

ピンポン外交

 高市総理の発言を巡って、日中関係が悪化している。今こそ先人の叡智を見習い対処すべき時であろう。

 1971年の卓球世界選手権は名古屋で開催された。世界最強の中国チームは文化大革命の影響で世界選手権には2大会連続で出場しておらず、6年ぶりの世界選手権復帰となった。

 この大会での偶然のハプニングが世界を動かした。某アメリカ人選手が誤って中国チームのバスに乗り込んでしまった。当時の中国選手団はアメリカ選手との接触を禁じられていたが、中国選手団のリーダーであった荘則棟はそのアメリカ選手を暖かく迎えたのである。このニュースがきっかけとなって大会後にアメリカ卓球チームが中国に招待され、キッシンジャーが中国を訪問するなど米中関係が急接近することになった。当時の中国は隣国のソ連(現ロシア)との関係が悪化しており、外交戦略の見直しを模索していた。

 1972年7月に総理大臣に就任した田名角栄は、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた行動力で電光石火の動きを見せ、同年9月に日中国交回復が実現した。更に中国は1か月後、日中親善の使者としてパンダのランランとカンカンを上野に派遣したのである。

 他の多くの方々の努力もあったが、偶然バスに乗り込んでしまったアメリカ選手に対する荘則棟の対応が世界を動かしたのである。なお、卓球に詳しくない方のために説明すると、卓球界における荘則棟の存在は、日本野球史における沢村栄治、長嶋茂雄、王貞治、大谷翔平に匹敵する歴史的名選手であった。

 筆者の父親は卓球でインターハイ優勝、国体出場のカットマンだった。小学校時代の筆者は、週末には市川市立真間小学校の体育館に連れて行かれてトップアマの下回転のカットボールを上回転のドライブで打ち返していた。1971年世界選手権は中学1年生の時で、中国の6年ぶり復帰で荘則棟が来日するというニュースはよく覚えている。中国チームは「友好第一」の態度で、どんな試合でも相手選手に1ゲームを与えるという試合運びであった。卓球では10対0の場合、スコンクゲームにしないように相手に1点与える慣習がある。近年では容赦なく11対0で勝つケースも出てきているが。

 なお、現在では「日中国交正常化」という表現が使われているが、NHKアーカイブで誰でも見ることのできる当時のニュースでも「国交回復」という表現が使われているように、当時は「日中国交回復」と呼ばれていたので本稿でもそれに従った。ご了承願いたい。


2025年11月16日日曜日

訂正のお知らせ

 昭和22年7月31日「太陽vs大阪6回戦」の両チームの勝敗と勝率が間違っていましたので修正しました。

 ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。

 

22年 7月 月間MVP

月間MVP

投手部門
 中日 藤本英雄 通算2度目 
 今月は9試合に登板して77回3分の1を投げて4勝3敗1セーブ、防御率0.93、WHIP0.74という安定した投球が光りました。

 別所昭は11試合に登板して93回3分の1を投げて7勝2敗、防御率1.25、WHIP0.90。勝星で藤本を上回りますが、投球内容で少し劣る。7月12日の大阪戦でリリーフに失敗して1回3分の0で自責点4。この試合が大きく響きました。仮にこのリリーフ失敗が無ければ防御率0.88、WHIP0.90になるので別所が受賞したでしょう。

 藤本と別所の対決は7日、25日、28日の3回で、対戦成績は1勝1敗1引分け。七夕決戦となった7月7日の延長12回0対0引分けの投げ合いは圧巻でした。

 大きく成長した今西錬太郎は8試合に登板して68回3分の1を投げて5勝2敗、防御率1.58、WHIP1.08。藤本と別所に肉薄してきました。

打撃部門
 太陽 森下重好 初受賞
 今月は75打数24安打、打率3割2分、13得点、14打点。二塁打3本、三塁打1本、本塁打は3打数連続を含む6本。文句なしの受賞と言えます。

 月間首位打者は金田正泰で打率3割6分。27安打と18得点もトップでした。
 打点は小松原博喜と平山菊二が18打点でトップ。二人とも打率は3割に届きませんでしたが勝負強さが際立ちました。

 大下弘が調子を上げてきて74打数25安打、打率3割3分8厘、10得点、13打点。二塁打4本、三塁打2本、本塁打3本。

 7月末時点での首位打者は3割2分1厘の川上哲治。1分差で金田正泰と大下弘が追う展開となっています。


2025年11月14日金曜日

22年 太陽vs大阪 6回戦

7月31日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 1 0 1 0 0 0 0  0   0   0  2 太陽 25勝37敗2分 0.403 真田重蔵 
0 0 0 0 0 0 0 2 0  0   0   0  2 大阪 44勝19敗2分 0.698 梶岡忠義

二塁打 (太)藤井
三塁打 (太)真田、荒川

勝利打点 なし


真田と梶岡の投げ合いで引き分く

 西宮の第2試合は真田重蔵と梶岡忠義の先発で午後3時23分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、二死後好調富樫淳が中前打で出塁、藤村富美男の遊ゴロをショート松井信勝が一塁に悪送球して二死二三塁、しかし当たっている土井垣武は中飛に倒れて無得点。

 太陽は3回表、一死後辻井弘が中前打で出塁、藤井勇が左中間にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。更に第一打席で連続打数本塁打記録が途切れた森下重好が左前打を放って一死一三塁とするが、森下の二盗を土井垣が刺してチャンスを潰す。

 太陽は5回表、先頭の松井が四球を選んで出塁、真田がセンター右奥にタイムリー三塁打を放ち2-0とリードを広げる。

 太陽は6回表、一死後荒川昇治が右中間に三塁打を放ってチャンス到来、しかし後続が倒れて追加点はならず。一死三塁で打席が回ってきた松井はワンボールから3球連続ファウル、2球目か3球目はスクイズ失敗だったのではないか。ここで追加点が取れなかったのは痛かった。

 太陽は8回表、先頭の中谷順次の当りは遊ゴロ、これを好守を誇るショート長谷川善三が一塁に悪送球、打者走者の中谷は二塁に進んで無死二塁、ここから梶岡が圧巻の投球を見せ、三者連続三振でピンチを凌ぐ。

 梶岡の力投に応えたい大阪は8回裏、先頭の呉昌征が中前打で出塁、金田正泰が四球を選んで無死一二塁、富樫淳の三塁線ヒットで無死満塁、一死後土井垣の二ゴロは「6-4-3」と転送されるが二塁はアウトで一塁はセーフ、併殺崩れの間に三走呉はホームイン、更に二走金田も三塁ベースを蹴ってホームに突っ込みセーフ、2-2の同点に追い付く。

 土井垣の二ゴロが併殺だったら大阪は無得点であったが、併殺崩れとなって2点が入った。この二ゴロで土井垣には2打点が記録された。土井垣はプロ通算654打点を記録することになるが、その中に金田の好走塁による1打点も含まれている。

 この後も真田と梶岡の力投は続き、2対2のまま延長12回引分け。

 真田重蔵は144球を投げて8安打5四球2三振。

 梶岡忠義は155球を投げて5安打6四球5三振。

 1時間44分の激闘であった。
 

2025年11月8日土曜日

午前3時

高市総理が午前3時に国会答弁に備えた勉強会を行ったことが物議を醸しているそうな。

野党の議員からの質問は鋭いところを突いてくるので、担当の官僚が慎重を期して徹夜で答弁書を作成するなんてのはざらにあります。

私はサラリーマンを20年やってから国家公務員を20数年やって定年退職しましたが、午前3時からの海外機関との電話会議に駆り出されたこともありました。

時代に逆行する?

公務なんだから当り前田のクラッカーですね(笑)。

みんな使命感で仕事してるんですよ。

誰かがやらなければ世の中回らない。ただそれだけのこと。

当ブログが書かなければ一リーグ時代の真実は伝わらない。ただそれだけのこと。


22年 南海vs阪急 8回戦

7月31日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 2 3 南海 33勝28敗3分 0.541 別所昭 
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 阪急 30勝34敗2分 0.469 今西錬太郎

勝利投手 別所昭        18勝10敗 
敗戦投手 今西錬太郎 14勝7敗

二塁打 (南)堀井、飯田 (急)日比野

勝利打点(南)坂田清春 2

猛打賞 (南)飯田徳治 4


別所が今西に投げ勝ちハーラートップ

 第16節初日、西宮の第1試合は別所昭と今西錬太郎の先発で午後1時33分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 今節から地方巡業が始まるが、南海と阪急は残留組で5試合を行うことになる。

 南海は2回表、一死後飯田徳治が左前打で出塁、堀井数男が三塁線を破る二塁打を放って一死二三塁、別所は四球で一死満塁、坂田清春の左犠飛で1点を先制する。

 阪急は4回裏、一死後坂元義一が左前打で出塁、日比野武のライト線タイムリー二塁打で1-1の同点に追い付く。

 中盤から後半は別所と今西の投げ合いが続いて試合は同点のまま最終回へ。

 南海は9回表、先頭の山本一人監督が中前打で出塁、一死後堀井の右前打で一三塁、堀井が二盗を決め、別所はこの試合3個目の四球で歩かされて一死満塁、ここで坂田が二前にプッシュバント、これがタイムリー内野安打となって2-1と勝越し、小林悟楼の一ゴロの間に三走堀井が還って3-1とする。

 別所昭は最終回も2三振を奪う力投、7安打1四球6三振の完投で17勝目をマークする。

 別所、今西の新時代エース同士の対決は別所が投げ勝ち、ハーラートップ独走態勢を築くことになった。

 坂田清春が先制の犠牲フライと決勝のスクイズバントを見せる活躍。

 坂田の決勝スクイズが何故プッシュバントだと分かるかについて解説しよう。プロ野球が採用している慶應式スコアカードには打球方向が記載される。坂田の記録は二塁へのゴロでバントを表す「BN」と内野安打を示す二重線が記されている。これは二塁前へのスクイズバントがタイムリー内野安打になったことを示しているため、二前プッシュバントと判断した。

*9回表、坂田清春が二前にプッシュバントスクイズを決めた場面。拡大鏡を使わないと見えないが、バントを表す「BN」と内野安打を示す二重線が記されている。

2025年11月6日木曜日

地方遠征

 第16節、第17節、第18節では地方遠征が行われる変則開催となります。

 各節とも、西宮と後楽園残留組は5試合、地方遠征組は2試合を行うことになりますので、各節毎の週間MVPの選出は困難となります。

 したがって、週間MVPの選出は、16節、17節、18節をまとめて行います。

 この間、42試合が行われますが、各チームの試合数は、

 南海、阪急、太陽、大阪が12試合。

 中日、東急、金星、巨人が9試合。

となりますのでご了承ください。


2025年11月5日水曜日

22年 第15節 週間MVP

週間MVP
投手部門
 阪急 今西錬太郎 2勝1完封。 ハーラー争いでは雲の上の存在だった別所と藤本に迫ってきた。

打撃部門
 太陽 森下重好 18打数9安打8得点6打点、4本塁打。 27日の阪急戦最終打席から28日の巨人戦にかけて、3四球を挟んで4打数連続本塁打を記録する。

殊勲賞
 中日 加藤正二 19打数6安打1得点4打点。V打2個で「加藤の乱 」。
 太陽 中谷順次 22打数6安打3得点7打点、2本塁打。 MVPの森下より打点が多い。
 大阪 金田正泰 23打数7安打。28日の東急戦で10回裏サヨナラ二塁打。 
 東急 黒尾重明 25日の大阪戦でダイナマイト打線を完封。 
 金星 大友一明 27日の阪急戦で決勝本塁打。今季4本のホームランは全て決勝本塁打。 

敢闘賞
 太陽 藤井勇  23打数8安打3得点2打点。 
 大阪 土井垣武 18打数7安打4得点5打点。 
 阪急 田中幸男 21打数7安打2得点1打点。 
 中日 三村勲  12打数6安打。 
 金星 酒沢政夫 18打数6安打2得点2打点。 

技能賞
 太陽 伊勢川真澄 25日の巨人戦で初回に2補殺。 
 中日 清水秀雄  27日の東急戦でゴロアウト18個。 
 金星 小前博文  18打数6安打。無安打が3試合と猛打賞が2試合。

2025年11月3日月曜日

22年 太陽vs巨人 11回戦

7月28日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 1 3 2 0 0 1 1 9 太陽 25勝37敗1分 0.403 真田重蔵
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 巨人 31勝32敗1分 0.492 中尾輝三 諏訪裕良

勝利投手 真田重蔵 9勝12敗 
敗戦投手 中尾輝三 8勝7敗

本塁打 (太)森下重好 7号、8号、9号 中谷順次 4号

勝利打点(太)荒川昇治 4 

猛打賞 (太)森下重好 3


森下重好、4打数連続本塁打

 第15節最終戦。甲子園の第2試合は真田重蔵と中尾輝三の先発で午後3時20分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、二死後森下重好がレフトスタンドに第7号先制ホームラン。前日最終打席から2打席連続本塁打となった。更に中谷順次、伊勢川真澄の連打で二死一二塁とするが後続なくこの回は1点止まり。

 巨人は1回裏、一死後田中資昭がセンター右にヒット、この日三番に入った多田文久三の右前打で一死一二塁、川上哲治の投ゴロで多田が二封されて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて1-1の同点に追い付く。

 巨人は今季初の重盗で田中資昭が本盗を記録。これでチーム重盗なしは阪急だけとなった。

 太陽は3回表、先頭の森下が四球を選んで出塁すると二盗に成功、一死後伊勢川真澄の遊ゴロで二走森下は三塁に向かい、ショート田中が三塁に送球するがセーフ、野選が記録されて一死一三塁、佐竹一雄が四球を選んで一死満塁、荒川昇治の右前タイムリーで2-1と勝ち越す。

 太陽は4回表、先頭の真田が中前打で出塁、二死後森下の打席でカウントツーボールツーストライクとなったところでワイルドピッチで真田は二進、一塁が空いたので森下は歩かされて二死一二塁、ここで中谷順次がレフトスタンドに第4号スリーランを叩き込んで5-1とリードを広げる。巨人ベンチはここで先発の中尾から諏訪裕良にスイッチ。

 大洋は5回表、先頭の佐竹が左前打で出塁、荒川も右前打で無死一二塁、松井信勝がセオリー通り三前に送りバントを決めて一死二三塁、真田のピッチャー強襲ヒットが2点タイムリーとなって7-0、トップに返り辻井弘がレフト線にヒット、レフト平山菊二がファンブルする間に二者進塁して一死二三塁、藤井勇は浅い左飛に倒れて二死二三塁、森下は敬遠気味に歩かされて3打席連続四球、中谷は遊ゴロに倒れて追加点はならず。

 太陽は8回表、先頭の森下がレフトスタンドに第8号を叩き込んで8-0とリードを広げる。一死後伊勢川、佐竹が右に連打、荒川昇治化も四球を選んで一死満塁とするが後続なくこの回は1点止まり。この粘りの攻撃が大記録に結び付く。

 太陽は9回表、二死後8回に続いて打席が回ってきた森下がレフトスタンドにこの日3本目となる第9号を叩き込んで9-0として試合を決める。

 真田重蔵は3安打3四球3三振の完投で9勝目をマークする。調子が上がらなかった真田もこのところ状態は上がってきている。

 巨人は千葉茂に続いて好調小松原博喜も欠場となって元気なく4回以降はノーヒット。

 森下重好は前日最終打席で第6号本塁打。本日は第1打席で第7号。そこから3打席連続四球が続いて8回に第8号。味方打線の頑張りで9回二死後に打席が回って来て9号本塁打。大谷翔平並みの活躍を見せた。

 一試合3本塁打は岩本義行以来の記録でタイ記録。前日からの4打数連続本塁打は空前絶後の大記録となった。

 「4打数連続本塁打」を検索してみると、ネット上には数多くの達成者リストが掲載されているが、どのサイトを見ても森下重好の記録は抜けている。当ブログが調べ切れていないだけかもしれないが、誰かの間違った記述がコピペされて出回っているだけのようだ。

 こう書くと、「二リーグ分裂後じゃぁ~~」という間抜けな言い訳をする輩が登場する。更に、「分裂」と書くと「分立じゃぁ~~」と駄々をこねる輩が登場するのも常である。

 当ブログからは、「真実は当ブログにある」という当り前田のクラッカーな事実をお伝えするだけである。

2025年10月31日金曜日

22年 南海vs中日 11回戦

7月28日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 0 0 0 0 0 0  0  0 南海 32勝28敗3分 0.533 別所昭 
0 0 0 0 0 0 0 0 1X 1 中日 37勝24敗1分 0.607 藤本英雄

勝利投手 藤本英雄 16勝10敗 
敗戦投手 別所昭     17勝10敗

三塁打 (中)加藤

勝利打点(中)加藤正二 4


藤本が完封、加藤がサヨナラ三塁打

 後楽園の第2試合は別所昭と藤本英雄の先発で午後3時7分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 25日の10回戦に続いて両エースの対決となった。

 南海は初回、先頭の安井亀和がライト線にヒットから二盗を決めるが、二死後藤本の二塁牽制にタッチアウト。

 中日は1回裏、先頭の古川清蔵の当りは遊ゴロ、これをショート小林悟楼がエラー、金山次郎の投前送りバントは別所が二塁に送球して古川は二封で失敗、続く大沢清の右打ちはファーストライナー、一走金山は戻れず飯田徳治がベースを踏んでゲッツー。

 2回、3回と南海は三者凡退。

 中日は2回裏、先頭の加藤正二がストレートの四球で出塁、小鶴誠の中前打で無死一二塁、杉浦清監督が送りバントを決めて一死二三塁と先制のチャンス、しかし藤本は力んだか二飛に倒れ、藤原鉄之助は遊ゴロで無得点。

 中日は3回裏、先頭の三村勲が中前打で出塁、トップに返り古川が送って一死二塁、金山の左前打で一死一三塁と再び先制のチャンンス、ここでダブルスチールを試みるが、キャッチャー坂田清春からの送球をキャッチしたショート小林がホームに好返球して三走三村の本盗は失敗、大沢の右打ちも一ゴロに終わって無得点。

 序盤戦は中日が押し気味だったが中盤戦は南海が反撃した。

 南海は6回表、先頭の別所がレフト線にヒット、坂田が送りバントを決めて一死二塁、しかし後続が倒れて無得点。

 南海は7回表、先頭の河西俊雄が中前打で出塁、二死後飯田が四球を選んで一二塁とするが、堀井数男は一ゴロに倒れて無得点。

 中日は4回以降ノーヒット。

 南海も8回、9回と三者凡退。

 中日は9回裏、先頭の大沢が四球を選んで出塁すると代走に杉江文二を起用、ここで加藤正二が左中間を破り、快足杉江は二塁、三塁を回ってホームに還り、加藤のサヨナラ三塁打で中日が接戦を制す。

 加藤正二は26日の決勝本塁打に続く勝利打点を記録。「加藤の乱」は続いている。

 藤本英雄は4安打1四球3三振で今季4度目の完封、16勝目をマークしてハーラートップの別所に1勝差と迫った。

 藤本と別所の対決は今季5度目。

 4月29日の2回戦は別所が4対1で完投勝ち。6月1日の5回戦は藤本が2対0で完封勝ち。7月7日の7回戦七夕決戦は延長12回0対0の引分け。7月25日の10回戦は延長11回2対1で別所が完投勝ち。そして、本日の11回戦は1対0で藤本が完封勝ち。

 5度の対決は全て両投手が完投している。

2025年10月29日水曜日

WS 1試合長打4本

 2025年ワールドシリーズ第3戦は延長18回にドジャースが6対5でサヨナラ勝ちする歴史的な激闘となりました。

 ドジャースの大谷翔平は第4打席までに本塁打2本、二塁打2本を記録。第5打席以降は4連続申告敬遠と四球で9打席連続出塁、「長打4本」を記録しました。

 ワールドシリーズでの「1試合長打4本」は、1906年にシカゴ・ホワイトソックスのフランク・イズベル(Frank Isbell)が記録してから118年間誰も達成していませんでしたが、119年目に大谷翔平が記録したのです。

 フランク・イズベルは1901年にアメリカン・リーグが創設された初年度に、ア・リーグ最初の盗塁王になった好選手でした。

 以降の記述は「Baseball Reference」より。

 フランク・イズベルは1875年ニューヨークに産まれ、身長は5フィート11インチ(約180cm)、体重は190LBS(ポンド:約86kg)、一塁・二塁・外野を守っていました。ニックネームは「Bald Eagle」(ハクトウワシ=白頭鷲)。

 「Bald Eagle」は日本では「ハゲタカ」とされているようですが、アメリカの「国鳥」ですから正確に訳さないとトランプ大統領に怒られちゃいますよ(笑)。「ハゲタカ」の一般的な英訳は「vulture」とされています。

*フランク・イズベルが1試合4長打を記録した証拠書類。洋書「The World Series」(筆者蔵)より。「2B」の項に「Isbell 4」の記述が見られます。1906年ワールドシリーズ第5戦で二塁打4本を記録しました。


*この試合の勝利投手は「大」エド・ウォルシュ。1908年には40勝を記録することとなり、通算防御率「1.82」」は歴代No1とされています。

写真は「大」エド・ウォルシュのベースボールカード(筆者蔵:無断転載を禁ず)



2025年10月27日月曜日

22年 金星vs阪急 12回戦

7月28日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 金星 24勝39敗1分 0.381 重松通雄 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 30勝33敗2分 0.476 野口二郎

勝利投手 重松通雄   9勝7敗 
敗戦投手 野口二郎 10勝11敗

二塁打 (金)中村
本塁打 (金)大友一明 4号

勝利打点(金)大友一明 4


大友一明、今季4本目の決勝本塁打

 甲子園の第1試合は重松通雄と野口二郎の先発で午後1時35分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は6回まで1安打無得点。阪急は6回まで2安打無得点。

 重松と野口二郎の投げ合いで試合は0対0のまま終盤へと向かう。

 金星は7回表、先頭の大友一明がワンストライクからの2球目をレフトスタンドに第4号ホームラン、1点を先制する。

 重松通雄はこの1点を守り切り、3安打4四球1三振で今季5度目の完封、9勝目をマークする。完封数では、現在17勝でハーラートップ別所昭の6度に次ぐ二位である。

 大友一明が、この試合両軍唯一の得点となる決勝本塁打を放った。大友は6月1日の阪急戦でもこの日と同様、野口二郎から決勝の逆転ツーランを放った。この時の勝利投手も重松だった。

 大友は4個目の勝利打点を記録したが、全て決勝ホームランである。

 今季、ここまでリーグ全体で133本の本塁打が記録され、その内決勝本塁打は14本であるが、複数の決勝本塁打を打っているのは大友一明の4本だけで、残りの10本は10人が1本ずつを打っている。

 大友は昭和11年のプロ野球初年度から在籍しているが、昨年までの通算本塁打数は3本だけで、今季の4本塁打が全て決勝本塁打という神懸かり的な活躍を見せている事実は、当ブログが発掘するまで語られたことはない。

2025年10月26日日曜日

22年 東急vs大阪 11回戦

7月28日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 1 0 0 1 1  0  3 東急 24勝35敗2分 0.407 一言多十 白木義一郎 
0 0 0 0 1 0 0 0 2 1X 4 大阪 44勝19敗1分 0.698 御園生崇男

勝利投手 御園生崇男 13勝0敗 
敗戦投手 白木義一郎 12勝13敗

二塁打 (東)熊耳 (大)金田
本塁打 (東)熊耳武彦 4号、大下弘 5号

勝利打点(大)金田正泰 5 

猛打賞 (東)熊耳武彦 2 (大)土井垣武 4


御園生崇男、開幕13連勝

 第15節最終日、後楽園の第1試合は一言多十と御園生崇男の先発で午後1時6分、西垣球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は5回表、先頭の熊耳武彦がレフトスタンドに第4号ホームランを叩き込んで1点を先制する。

 大阪は5回裏、先頭の土井垣武が右前打で出塁、本堂保次の二ゴロをセカンド苅田久徳監督がエラーして無死一二塁、山口政信の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー、二死三塁から長谷川善三が中前に同点タイムリーを放ち1-1と追い付く。

 東急は8回表、一死後大沢喜好が左前打で出塁、二死後鈴木清一の右前打で二死一三塁、飯島滋弥の打席でダブルスチールを決めて2-1と勝ち越す。

 東急は9回表、先頭の大下弘が右越えに第5号ホームランを叩き込んで3-1とリードを広げる。

 東急が終盤に大技小技でリードを取って試合は決したかに見えたのだが・・・。

 大阪は9回裏、先頭の藤村富美男が四球を選んで出塁、東急ベンチはここで一言をセンターに回して白木義一郎がマウンドに上がり、土井垣の右前打で無死一二塁、武智修の二前プッシュバントが内野安打となって無死満塁、玉置玉一に代わる代打若林忠志がスクイズを決めて2-3と1点差として一死二三塁、キャッチャー熊耳からの三塁牽制が悪送球となる間に三走土井垣が還って3-3の同点、一死三塁から長谷川の右飛で三走武智がタッチアップからサヨナラのホームを狙うが、ライト長持栄吉からの好返球にタッチアウト、試合は延長戦に突入する。

 東急が白木をリリーフに送った際、先発の一言がセンターに入ってセンター長持はライトに回っていた。この布陣がサヨナラ負けを回避したのである。

 東急は10回表、先頭の大沢喜好の当りは二ゴロ、これをセカンド武智が一塁に悪送球、トップに返り苅田が送りバントを決めて一死二塁とするが、後続が倒れて無得点。

 大阪は10回裏、ここまで投げ続けている先頭の御園生が四球を選んで出塁、一死後御園生が二盗に成功、ここで金田正泰がレフト線にサヨナラ二塁打を放ち大阪が激戦を制す。

 御園生崇男は9安打無四球1三振で10回を完投、開幕13連勝を飾る。

 大下弘の今季の打撃は流し打ちが多いことを当ブログは伝えている。先日の第4号ホームランも左中間を抜くランニングホームランであった。この日は久々に右越えの一発だった。ホームランダービーは青田昇が8本で突っ走っているが、この一発で大下の打撃が変わってくると面白い展開になるかもしれない。

2025年10月24日金曜日

訂正のお知らせ

 集計ミスにより、青田昇の本塁打数が間違っていました。

 6月22日の太陽戦で放った第6号が抜けており、7月20日の巨人戦での6号→7号と、7月27日の太陽戦での7号→8号を訂正しました。

 その他、本塁打数に関する記述を訂正しました。

 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。


2025年10月23日木曜日

22年 阪急vs太陽 10回戦

7月27日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 0 1 0 1 4 阪急 30勝32敗2分 0.484 天保義夫 森弘太郎 
0 0 1 2 0 0 0 4 X 7 太陽 24勝37敗1分 0.393 井筒研一

勝利投手 井筒研一 5勝5敗 
敗戦投手 天保義夫 4勝9敗

二塁打 (太)森下
三塁打 (太)藤井
本塁打 (急)青田昇 8号、田中幸男 2号 (太)森下重好 6号

勝利打点(太)藤井勇 5

猛打賞 (急)田中幸男 2


藤井勇、決勝三塁打

 甲子園の第2試合は天保義夫と井筒研一の先発で午後3時30分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は2回表、先頭の野口明の当りは遊ゴロ、これをショート蔵本光夫がエラー、続く楠安夫も遊ゴロ、今度は蔵本が巧みに捌いて「6-4-3」のゲッツー。

 太陽は3回裏、先頭の荒川昇治が右前打で出塁、一死後井筒が三遊間を破り一死一二塁、トップに返り辻井弘の二ゴロは「4-6-3」と渡るが一塁セーフ、この簡に二走荒川が三塁ベースを蹴ってホームイン、荒川の好走塁で1点を先制する。

 阪急は4回表、先頭の上田藤夫が中前打で出塁、青田が左中間スタンドに第8号逆転ツーランを叩き込んで2-1と試合をひっくり返す。

 太陽は4回裏、先頭の森下重好が左越えに二塁打、続く中谷順次の中前タイムリーで2-2の同点、センター青田がこの当りを後逸する間に打者走者の中谷は三塁に進み、一死後佐竹一雄の右犠飛で3-2と再逆転。

 阪急は5回表、先頭の荒川が三塁に内野安打、天保の二ゴロでランナーが入れ替わり、山田伝の右前打で一死一二塁、トップに返り田中の三ゴロが「5-4-3」と渡ってゲッツー。

 阪急は7回表、二死後田中がレフトスタンドに第2号同点ホームランを叩き込んで3-3と追い付くシーソーゲーム。

 阪急は8回表、先頭の青田が三塁に内野安打、野口明も一塁内野安打で無死一二塁、続く日比野武の遊ゴロで三塁に走った二走青田が三塁ベースをオーバーラン、7回の守備から蔵本に代わってショートに入っていた松井信勝は一塁に送球せず青田の動きを見て三塁に送球、青田は三本間に挟まれ、サード中谷が追いかけてキャッチャー伊勢川真澄に送球し、伊勢川が青田を追いかけてタッチアウト、この間に一走野口明は二塁から三塁に向かっていたが、これを伊勢川が追いかけてタッチアウト、「6-5-2・2」のダブルプレーとなった。伊勢川には2刺殺が記録される。

 太陽は8回裏、先頭の辻井が中前打で出塁、藤井勇が左中間に勝越しのタイムリー三塁打を放ち4-3とリード、続く森下がセンター左奥に第6号ツーランを叩き込んで6-3とリードを広げ、一死後伊勢川が中前打で出塁、二死後荒川が四球を選び、松井の左前タイムリーで7-3と突き放す。

 阪急は9回表、一死後山田の当りは遊ゴロ、これをショート松井が一塁に悪送球、トップに返り田中の三塁内野安打で一死一二塁、上田の二ゴロが野選を誘って一死満塁、青田の遊ゴロを松井は二塁に送球してまずツーアウト、セカンド荒川が一塁に転送するがセーフ、併殺崩れとなって三走山田が還り4-7、二走田中は三塁ベースを蹴ってホームを狙うがファースト佐竹がキャッチャー伊勢川に送球、三本間に挟まれた田中が三塁に戻ると伊勢川はサード中谷に送球、田中は再びホームに向かうがカバーに入ったピッチャー井筒に転送されてタッチアウト、「6-4-3-2-5-1」の併殺でゲームセット。

 井筒研一は9安打4四球4三振の完投で5勝目をマークする。4奪三振は7回と8回に奪ったものであった。

 太陽は藤井と森下の長打攻勢で快勝した。実況のとおり2つの変則併殺を含む4併殺で阪急を抑え込んだ。

 伊勢川真澄は8回の併殺で2個の刺殺を記録した。

 色々あった試合で目立たないが、3回裏に荒川昇治が見せた好走塁も勝因の一つであった。荒川は後にキャッチャーに転向して、昭和27年には捕手としてプロ野球記録として現在でも残る35盗塁を記録することになる。その俊足ぶりは、プロ入り初年度から当ブログの実況中継で数多く伝えている。

2025年10月22日水曜日

22年 南海vs大阪 8回戦

7月27日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 1 0 0 0 0  1  南海 32勝27敗3分 0.542 丸山二三雄 松川博爾 山本一人 中谷信夫 
4 3 3 0 0 5 0 0 X 15 大阪 43勝19敗1分 0.694 若林忠志 野崎泰一

勝利投手 若林忠志   13勝6敗 
敗戦投手 丸山二三雄 8勝7敗

二塁打 (南)飯田2 (大)藤村、富樫2、土井垣
三塁打 (大)呉、本堂
本塁打 (大)土井垣武 1号

勝利打点(大)藤村富美男 7

猛打賞 (大)呉昌征 6、富樫淳 3、本堂保次 3 


山本一人、プロ入り初登板

 後楽園の第2試合は丸山二三雄と若林忠志の先発で午後3時14分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、先頭の呉昌征が右中間に三塁打を放って口火を切り、金田正泰と富樫淳は連続ストレートの四球で無死満塁、藤村富美男がライトに2点タイムリー二塁打を放ち2-0、土井垣武の遊ゴロの間に三走富樫が還って3-0、本堂保次が中前にタイムリーを放ち4-0とする。南海ベンチは早くも先発の丸山から松川博爾にスイッチ。

 大阪は2回裏、先頭の呉昌征が中前打で出塁、金田も中前打で続いて無死一二塁、富樫がレフト線にタイムリー二塁打を放ち5-0、南海はここで松川を下げてサードの山本一人監督がマウンドに上がり、藤村の強烈な当りはサードライナーとなって山本に代わってサードに入った朝井昇がキャッチしてからベースを踏んでダブルプレー、二死二塁となって土井垣が左中間スタンドに第1号ツーランを叩き込んで7-0、続く本堂も右中間に三塁打、玉置玉一は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 南海は3回から山本がサードに戻って中谷信夫がマウンドに上がる。山本は1イニングだけの登板だった。

 大阪は3回裏、先頭の長谷川善三が四球で出塁、若林は左前打、トップに返り呉は三前にバントヒットで無死満塁、金田の一塁線ドラッグバントがタイムリー内野安打になって8-0、富樫が左前に2点タイムリーを放ち3回で10対0と大きくリードする。

 南海は5回表、先頭の飯田徳治が遊失で出塁、一死後中谷の右前打で一三塁、坂田清春の中犠飛で1点を返す。

 大阪は6回裏、先頭の藤村が三遊間にヒット、土井垣が左中間にタイムリー二塁打を放ち11-1、本堂のライト線ヒットで無死一三塁、玉置玉一の中犠飛で12-1、一走本堂もタッチアップから二塁に進み、長谷川の二ゴロの間に本堂は三進、若林の左前タイムリーで13-1、トップに返り呉は四球で二死一二塁、金田の二ゴロをセカンド安井亀和が失して二死満塁、富樫のライト線2点タイムリー二塁打で15-1とする。富樫はこれで5打点。

 若林忠志は7回で降板するが4安打2四球2三振1失点、自責点ゼロの余裕の投球で13勝目をマーク、リリーフの野崎泰一が2イニングを無失点に抑えた。

 山本一人監督が鶴岡時代を含めてプロでは唯一となる登板となった。1イニングを投げて2安打、被本塁打1本、無四球無三振、失点1、自責点1の成績で、生涯通産防御率は9.00となった。

 土井垣武は鶴岡から本塁打を打った唯一の打者となり、本堂保次は鶴岡から三塁打を打った唯一の打者となったのである。

2025年10月20日月曜日

22年 金星vs巨人 11回戦

7月27日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 3 0 0 0 1 5 金星 23勝39敗1分 0.371 三富恒雄 内藤幸三 
0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 巨人 31勝31敗1分 0.500 近藤貞雄

勝利投手 内藤幸三 7勝8敗 
敗戦投手 近藤貞雄 0勝2敗

二塁打 (金)坂本 (巨)小松原、平山、宮下

勝利打点(金)酒沢政夫 6

猛打賞 (金)小前博文 2


酒沢政夫、逆転決勝打

 甲子園の第1試合は三富恒雄と近藤貞雄の先発で午後1時34分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は3回表、先頭の中村信一が右前打で出塁、一死後坂本勲がレフト線にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。

 巨人は3回裏、一死後小松原博喜がセンター左奥に二塁打、平山菊二がセンター右奥にタイムリー二塁打を放ち1-1の同点、一死後宮下信明が中越えにタイムリー二塁打を放ち2-1と逆転に成功する。

 金星は4回から先発の三富に代えて内藤幸三をマウンドに送る。

 金星は5回表、先頭の小前博文が左前打で出塁、中村の二ゴロをセカンド宮下がエラー、内藤は右飛に倒れるが、坂本が四球を選んで一死満塁、トップに返り酒沢政夫が中前に逆転の2点タイムリーを放ち3-2、一走坂本は三塁に進んで一死一三塁、大友一明の遊ゴロの間に三走坂本が還って4-2とリードする。

 金星は9回表、二死後小前が左前打で出塁、中村のゴロで抜ける中前打をセンター呉新亨が後逸する間に一走小前が還って5-2とリードを広げる。

 リリーフ内藤は6イニングを無失点に抑えて7勝目をマークする。

 巨人は初回、敵失と2四球で二死満塁のチャンスを迎えたが中島治康が二ゴロに倒れて無得点。中島はこの試合まで48打数7安打、打率1割4分6厘で出場も少ない。6月初旬には事実上監督も解任され、巨人不振の一因になっていた。このところチーム状態は上向いてきたが、2連敗で貯金を使い果たし勝率は5割となった。3回に3本の二塁打で一時は逆転したがあっさりと逆転負け。

 地味な酒沢政夫が6個目の勝利打点とは意外だが、6個のうち内野ゴロによるものが1個、スクイズが1個、押出し四球が1個と渋さは変わらない。この日は会心の逆転タイムリーであった。

2025年10月17日金曜日

22年 東急vs中日 8回戦

7月27日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0   0  1 東急 24勝34敗2分 0.414 黒尾重明 
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0 1X  2 中日 36勝24敗1分 0.600 清水秀雄

勝利投手 清水秀雄 8勝5敗 
敗戦投手 黒尾重明 7勝10敗

二塁打 (東)飯島 (中)小鶴

勝利打点(中)小鶴誠 7 


小鶴がサヨナラ二塁打

 第15節4日目、後楽園の第1試合は黒尾重明と清水秀雄の先発で午後零時59分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 清水は立ち上がりから好調で、東急打線に対して4回までパーフェクトピッチング。5回に長持栄吉に初ヒットを許し、黒尾にも中前打を打たれて二死一二塁とこの試合初のピンチを迎えるが無失点で切り抜ける。

 黒尾も好調なピッチングで、2回に2本のヒットを許しただけで5回まで2安打無失点。

 試合が動いたのは6回。

 東急は6回表、一死後鈴木清一が右前打で出塁、飯島滋弥が左中間にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。

 中日は6回裏、先頭の古川清蔵がストレートの四球で出塁すると二盗に成功、二死後昨日「加藤の乱」を起こして2試合連続四番に起用された加藤正二が右前に同点タイムリーを放ち1-1と追い付く。

 東急は7回、8回と三者凡退。9回は一死後飯島が四球で出塁するが、大下弘の一ゴロをファースト大沢清がベースを踏んで二塁に送球、この場合はタッチプレーとなるので二塁ベースカバーに入ったショート杉浦清監督が滑り込んできた飯島にタッチしてダブルプレー、記録は「3-6B」。

 中日は7回、8回、9回と走者を出しながら無得点。試合は延長戦に進む。

 東急は10回表、先頭の長持が左前打で出塁、鈴木圭一郎が送りバントを決めて一死二塁、黒尾の左前打で長持は三塁ストップ、打者走者の黒尾は一塁を回って二塁に向かうが、レフト小鶴誠からの返球をカットしたピッチャー清水が二塁に送球してタッチアウト、二死三塁となって上口政に代わる代打白木義一郎は三ゴロに倒れ無得点。

 東急は11回表、先頭の大沢喜好が中前打で出塁、トップに返り一言多十が送りバントを決めて10回に続いて一死二塁のチャンスを作るが、ここは清水が踏ん張って後続が倒れ無得点。

 中日は11回裏、先頭の大沢清が得意の右打ちを見せて右前打で出塁、加藤の投前送りバントをピッチャー黒尾が一塁に悪送球、犠打とエラーが記録されて無死一二塁、このチャンスに小鶴がレフト線にサヨナラタイムリー二塁打を放ち中日が激戦を制す。

 清水秀雄は7安打1四球4三振の完投で8勝目をマークする。

 戦前は剛球投手として鳴らした清水も兵役を経た戦後は技巧派に転向、この試合ではゴロアウトを量産した結果、ファースト大沢清は18個の刺殺を記録することになった。

 大沢清の18個の刺殺の内訳は、投ゴロが2個、一ゴロが2個、二ゴロが3個、三ゴロが7個、遊ゴロが2個、送りバント一塁アウトが2個で合計18個。東急打線は左打者は大下だけで、大下は二ゴロ1個と一ゴロが2個。今季は左方向への当りが目立つ大下が右方向にゴロを3個、右打者も清水の術中にはまって左方向に引っ掛けていたことが分かる。

2025年10月15日水曜日

22年 阪急vs巨人 12回戦

7月26日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 4 0 0 0 0 0 4 阪急 30勝31敗2分 0.492 今西錬太郎 
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 巨人 31勝30敗1分 0.508 川崎徳次

勝利投手 今西錬太郎 14勝6敗 
敗戦投手 川崎徳次     10勝8敗

二塁打 (巨)田中、川崎
三塁打 (巨)山川

勝利打点(急)日比野武 2

猛打賞 (急)日比野武 1


巨人キラー今西、巨人から8勝目

 甲子園の第2試合は今西錬太郎と川崎徳次の先発で午後3時32分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 3回まで毎回走者を出しながら無得点の阪急は4回表、先頭の野口明が右前打で出塁、坂元義一の右前打で無死一二塁、下社邦男の投前送りバントを川崎が三塁に送球するがセーフ、犠打と野選が記録されて無死満塁、日比野武が右前にタイムリーを放ち1点を先制、続く荒木茂の中飛をセンター多田文久三が落球する間に三走坂元が還って2-0、今西の遊ゴロ併殺の間に三走下社が還って3-0、二死三塁となってトップに返り田中幸男の三ゴロをサード山川喜作が一塁に悪送球、三走日比野が還って4-0とする。

 7回まで今西に2安打に抑え込まれてきた巨人は8回裏、先頭の山川がセンター右奥に三塁打、田中資昭の左犠飛でようやく1点返すが反撃もここまで。

 今西錬太郎は4安打4四球3三振の完投で14勝目をマークする。

 今西はチーム30勝の内約半分の勝星を重ね、特に巨人からは8勝目となって巨人キラーぶりを発揮している。

 阪急の打点は猛打賞の日比野武が放った先制タイムリーだけで、後は併殺の間の得点と相手エラーによるものだった。

 このところ順調に白星を重ねてきた巨人は多田と山川のミスが響いた。

 多田文久三は時々センターを守るが、本職はキャッチャーで今季はマウンドに上がることも多い。不慣れなセンターでの守備でタイムリーエラーを犯してしまった。

2025年10月11日土曜日

22年 大阪vs中日 12回戦

7月26日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 大阪 42勝19敗1分 0.689 武智修 梶岡忠義 
0 0 1 0 0 1 0 1 X 3 中日 35勝24敗1分 0.593 服部受弘

勝利投手 服部受弘 10勝3敗 
敗戦投手 武智修      4勝3敗

二塁打 (中)三村
本塁打 (中)服部受弘 2号、加藤正二 2号

勝利打点(中)加藤正二 3


加藤の乱

 後楽園の第2試合は武智修と服部受弘の先発で午後2時50分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 中日は3回裏、先頭の服部の当りは鋭いライナーでセンターに飛び、呉昌征が突っ込んでくるが捕れず、打球はセンター後方に抜けて行き服部はダイヤモンドを一周してホームイン、ランニングホームランとなって1点を先制する。

 大阪は4回表、先頭の富樫淳がチーム初ヒットを左前に運んで出塁、藤村富美男の三ゴロの間に富樫は二進、土井垣武は死球を受けて一死一二塁、本堂保次の二ゴロをセカンド金山次郎が一塁に悪送球する間に二走富樫が還って1-1の同点に追い付く。

 中日は6回裏、二死後今季初めて四番に起用された加藤正二がレフトスタンドに第2号ホームランを叩き込んで2-1と勝ち越す。

 中日は8回裏、先頭の古川清蔵が四球で出塁、金山が送って一死二塁、大沢清が珍しく引っ張って遊ゴロの間に二走古川は三進、加藤が右前にタイムリーを放ち貴重な追加点、3-1とリードを広げる。

 服部受弘は5回以降大阪打線を無安打に抑え、1安打2四球1死球4三振、自責点ゼロの完投で10勝目をマークする。

 加藤正二は強竜打線の中心選手であるが今季は余り目立っていなかった。今季初めて四番に座って決勝本塁打と追撃のタイムリーを放ち爆発した。

 2025年の政局は、高市早苗氏が初めて自民党の総裁となって史上初の女性総理誕生が期待されたが、公明党の連立離脱により混沌とした状況になってきた。株式市場は「高市トレード」に沸き返ったが一転、昏迷状態が予想されている。

 近年の政局でインパクトのある事件と言えば2000年11月に勃発した「加藤の乱」が印象的であった。森内閣に突き付けられた野党からの不信任案に加藤紘一氏が同調の動きを見せて政局が一気に混迷したのである。

 本日爆発した加藤正二も、今季終了後は赤嶺旋風に乗って球界に風雲を巻き起こすことになる。

2025年10月8日水曜日

第39回全日本還暦軟式野球選手権大会

 今週から神奈川県で「第39回全日本還暦軟式野球選手権大会」が開催されます。

 品川ビッグスターズから横浜ファイターズに移籍した直後にビッグイベントに遭遇しました。

 私もスタッフとして参加しますので、しばらく更新は休みます。


2025年10月4日土曜日

22年 太陽vs金星 10回戦

7月26日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 1 0 0 0 1 0 0 1 6 太陽 23勝37敗1分 0.383 真田重蔵 
1 0 0 1 0 0 0 0 1 3 金星 22勝39敗1分 0.361 江田孝

勝利投手 真田重蔵 8勝12敗 
敗戦投手 江田孝     5勝15敗

二塁打 (太)辻井、松井
本塁打 (太)中谷順次 3号 (金)清原初男 1号

勝利打点(太)中谷順次 1

猛打賞 (太)藤井勇 7 (金)酒沢政夫 2


中谷順次が決勝スリーラン

 甲子園の第1試合は真田重蔵と江田孝の先発で午後1時36分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、先頭の辻井弘の当りは二ゴロ。これをセカンド大友一明がエラー、辻井が二盗を決め、藤井勇の右飛で辻井がタッチアップから三進、森下重好はスリーボールツーストライクから2球ファウルで粘って四球で出塁し一死一三塁、ここで中谷順次がセンター左奥に先制のスリーランホームラン、3-0として試合の主導権を握る。

 金星は1回裏、先頭の酒沢政夫が右前打で出塁、大友が四球を選んで無死一二塁、坪内道則監督の左前タイムリーで1点返して1-3とする。

 太陽は2回表、先頭の荒川昇治が四球で出塁、一死後真田の三ゴロの間に荒川が一気に三塁に進む好走塁を見せ、トップに返り辻井のレフト線タイムリー二塁打で4-1とする。点を取られた直後に突き放す効果的な適時打であった。続く藤井勇も左前打を放って辻井は三塁ベースを蹴ってホームに向かうが、レフト小前博文からの好返球にタッチアウト。

 金星は4回裏、一死後清原初男がレフトスタンドにプロ入り初ホームランを叩き込んで2-4と追い上げる。

 太陽は6回表、二死後松井信勝が右中間に二塁打、真田は四球で二死一二塁、トップに返り辻井の左前タイムリーで5-2と再度突き放す。

 太陽は9回表、先頭の真田が中前打で出塁、トップに返り辻井が送りバントを決め、藤井の中前タイムリーで6-2とリードを広げる。

 金星は9回裏、先頭の大友に代わる代打内藤幸三が二遊間にヒット、代走に起用された門馬祐が二盗を決め、坪内は四球を選んで無死一二塁、一死後清原が左前にタイムリーを放ち3-6としてなお一死一二塁、しかし小前の二遊間ゴロををセカンド荒川がベースを踏んで一塁送球して「4B-3」のゲッツー、ゲームセットとなる。

 真田重蔵は7安打2四球6三振の完投で8勝目をマークする。

 第一の殊勲者は初回に先制の決勝スリーランを放った中谷順次であるが、辻井弘の2本の追撃タイムリーも効果的であった。

 金星の清原初男は昨年101打席で1三振、今季も開幕から103打席連続無三振を記録した巧打者であるが長打力には乏しい。本日の本塁打がプロ入り初ホームランであった。

 本日本塁打を放った清原初男は1950年に西鉄クリッパーズに、1951年には名称変更した西鉄ライオンズに所属することになり、中谷順次も1955~57年に西鉄ライオンズに所属することになる。

2025年10月3日金曜日

22年 東急vs南海 13回戦

7月26日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 2 3 東急 24勝33敗2分 0.421 白木義一郎 
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 南海 32勝26敗3分 0.552 中谷信夫

勝利投手 白木義一郎 12勝12敗 
敗戦投手 中谷信夫      6勝9敗

二塁打 (東)大下
三塁打 (南)堀井
本塁打 (東)鈴木圭一郎 3号

勝利打点(東)白木義一郎 4


白木が土壇場で決勝打

 第15節3日目、後楽園の第1試合は白木義一郎と中谷信夫の先発で午後1時1分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は初回、先頭の一言多十が一塁線にヒット、一死後飯島滋弥が死球を受けて一二塁、流し打ちが目立つ大下弘の当りは三ゴロ、これが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 南海は1回裏、先頭の安井亀和が中前打で出塁、河西俊雄が送りバントを決めて一死二塁、田川豊の当りは右翼への飛球で二走安井はスタートを切るがライト長持栄吉が捕球して二塁に送球、ダブルプレーでスリーアウトチェンジ。

 南海は2回裏、先頭の山本一人監督が左前打で出塁、飯田徳治の三ゴロの間に山本は二進、堀井数男の当りは遊ゴロ、二走山本はセオリーを無視して三塁に走り、ショート鈴木清一はサードに送球するがセーフ、野選が記録されて一死一三塁、筒井敬三の当りは真っ芯を捕らえるがピッチャー正面へのライナー、白木が捕球して素早くサードに送球、三走山本は戻れずダブルプレー。

 南海は4回裏、先頭の河西がストレートの四球で出塁、田川が送って一死二塁、山本が左前にタイムリーを放ち1点を先制、レフト大下からのバックホームの間に打者走者の山本は二塁を狙うがキャッチャー鈴木圭一郎からの送球にタッチアウト、飯田がレフト線ヒットで出塁するが二盗に失敗してこの回は1点止まり。

 東急は5回表、先頭の鈴木圭一郎がレフトスタンドに同点の第3号ホームランを叩き込んで1-1と追い付く。

 南海は7回裏、一死後堀井が右越えに三塁打、筒井敬三のレフトライナーで三走堀井はタッチアップからホームを狙うが、レフト大下からの返球を中継したピッチャー白木の本塁送球にタッチアウト。

 1対1の同点で迎えた最終回、東急は一死後飯島が四球を選んで出塁、大下がレフト線に流し打って二塁打、一死ニ三塁から長持は歩かされて一死満塁、二死後白木が右前に起死回生の2点タイムリー、3-1とリードする。

 白木義一郎は6安打1四球3三振の完投で12勝目をマークする。土壇場での決勝打が光った。
 南海は得意の機動力が本日は暴走気味であった。

 大下の流し打ちは、初回は三ゴロ併殺に終わったが最終回はチャンスを広げるレフト線二塁打になった。今期は昨年の本塁打王から一転して首位打者を狙っている。

2025年10月2日木曜日

22年 巨人vs太陽 10回戦

7月25日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 1 0 1 3 0 6 巨人 31勝29敗1分 0.517 多田文久三 
1 0 1 0 0 0 0 0 X 2 太陽 22勝37敗1分 0.373 池田善蔵

勝利投手 多田文久三 7勝4敗 
敗戦投手 池田善蔵    5勝10敗

二塁打 (巨)川上、宮下、平山、林 (太)森下、中谷

勝利打点(巨)多田文久三 2

猛打賞 (巨)川上哲治(4安打)4


多田が投打に活躍

 甲子園の第2試合は多田文久三と池田善蔵の先発で午後3時15分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 巨人は初回、一死後田中幸男がストレートの四球で出塁、しかし田中の二盗は伊勢川真澄からの送球に刺されて失敗、山川喜作がストレートの四球で出塁、川上哲治の右前打で二死一二塁、ここで重盗を試みるが伊勢川の三塁送球に山川も刺されてスリーアウトチェンジ。キャッチャー伊勢川は初回に2補殺を記録した。

 太陽は初回、先頭の辻井弘がストレートの四球で出塁、藤井勇の三ゴロでランナーが入れ替わり、森下重好の中前打で一死一三塁、中谷順次の二ゴロをセカンド宮下信明がエラーする間に三走辻井が還って1点を先制、中谷には打点が記録された。

 巨人は3回表、一死後田中が中前打で出塁、山川の一ゴロでランナーが入れ替わり、川上の右中間タイムリー二塁打で1-1の同点に追い付く。

 太陽は3回裏、一死後藤井はキャッチャーファウルフライを打ち上げるが武宮敏明が落球、武宮に失策が記録され、生き延びた藤井は一二塁間に内野安打、セカンド宮下の悪送球も加わり藤井は二塁に進み、森下の左中間タイムリー二塁打で2-1と勝ち越す。

 巨人は5回表、一死後山川が四球で出塁、川上の右前打で一死一三塁、小松原博喜の中前タイムリーで2-2の同点に追い付く。

 巨人は7回表、先頭の川上が中前打で出塁、小松原が送りバントを決め、当たっている平山菊二は歩かされて一死一二塁、多田が中前に勝越しのタイムリーを放ち3-2とリードする。

 巨人は8回表、先頭の田中が三塁線にヒット、二死後小松原はストレートの四球で二死一二塁、平山が右中間にタイムリー二塁打を放ち4-2、二死二三塁からパスボールの間に三走小松原に続いて二走平山も還って6-2とする。

 多田文久三は7安打3四球7三振の完投で7勝目をマークする。決勝打も放つ活躍であった。

 巨人は千葉茂の欠場を全員野球で埋めて貯金2をキープした。

2025年10月1日水曜日

22年 中日vs南海 10回戦

7月25日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 0 0 0 0 1  0   0  1 中日 34勝24敗1分 0.586 藤本英雄 
0 0 0 1 0 0 0 0 0  0 1X  2 南海 32勝25敗3分 0.561 別所昭

勝利投手 別所昭     17勝9敗 
敗戦投手 藤本英雄 15勝10敗

二塁打 (中)加藤
三塁打 (南)山本

勝利打点 なし


別所がライバル対決を制し、南海は中日に1.5ゲーム差と迫る

 後楽園の第2試合は激しく最多勝を争う藤本英雄と別所昭の先発で午後2時55分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 中日は序盤ヒットが出ず4回まで無安打。

 南海は4回裏、一死後山本一人監督がライト線に三塁打、飯田徳治の二ゴロの間に三走山本が還って1点を先制する。

 1点を追う中日は5回表、一死後加藤正二がチーム初ヒットとなるレフト線二塁打、藤本の二ゴロで加藤は三進、藤原鉄之助は四球で二死一三塁、しかし三村勲に代わる代打清水秀雄は遊ゴロに倒れて無得点。

 中日は9回表、先頭の大沢清の右打ちは右飛、これをライト田川豊が落球して打者走者の大沢は二塁に進み、大沢の代走に杉江文二を起用、二死後藤本が起死回生の同点タイムリーを左前に放ち代走杉江が還って土壇場で追い付く。

 南海は9回裏、先頭の山本が左前打で出塁、飯田徳治の二遊間ヒットで無死一二塁とサヨナラのチャンス、堀井数男に代わる代打朝井昇の送りバントを藤本が三塁に送球して二走山本は三封、別所の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 最終回の藤本と別所の打者対決は藤本が勝った。

 中日の10回表は三者凡退。

 南海は10回裏、先頭の坂田清春が中前打で出塁、しかし小林悟楼の遊ゴロは6-4-3」と渡ってダブルプレー。南海は終盤に2イニング連続併殺でチャンスを潰す。

 中日は11回表、先頭の杉浦清監督が四球を選んで出塁、古川清蔵の三ゴロの間に杉浦は二進、しかし別所が踏ん張り杉江と小鶴誠は連続三振。

 南海は11回裏、先頭の河西俊雄が三塁線にヒット、田川豊の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、山本が送りバントを決めて一死二三塁、飯田徳治の三ゴロをこの回からサードに入った浜崎忠治がサヨナラタイムリーエラー、あっけなく勝負が決した。

 別所昭は最多勝を争う藤本との投げ合いを制し、3安打5四球6三振、自責点ゼロで11回を完投して17勝目をマークする。負ければ勝ち数が並ぶところであったが、ライバルを2勝差と引き離して最多勝に向けて突っ走ることになった。

 強竜打線は別所の前に3安打と沈黙。気が付けば南海に1.5ゲーム差と迫られてきた。

2025年9月29日月曜日

阪急vs金星 11回戦

7月25日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 阪急 29勝31敗2分 0.483 野口二郎 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金星 22勝38敗1分 0.367 重松通雄

勝利投手 野口二郎 10勝10敗 
敗戦投手 重松通雄   8勝7敗

二塁打 (急)荒木、山田 (金)内藤

勝利打点(急)山田伝 2


両軍無四球無失策

 甲子園の第1試合は野口二郎と重松通雄の先発で午後1時34分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 重松は快調なピッチングで7回まで3安打無四球無失点。

 野口二郎も7回まで5安打無四球無失点の好投。

 阪急は8回表、一死後荒木茂が三塁線にヒット、山田伝が中越えにタイムリー二塁打を放ち均衡を破り、トップに返り田中幸男の左前打で一死一三塁、上田藤夫の右前タイムリーで1点追加して2-0とリードする。

 金星は8回裏、二死後山本秀男に代わる代打内藤幸三が左中間に二塁打を放ってチャンスを作るが後続なく無得点。

 野口二郎は最終回を三者凡退に抑えて6安打無四球1三振で今季2度目の完封、86球の投球でマダックスを達成した。

 重松通雄も97球で無四球完投の好投を見せた。

 両軍無四球無失策、下位チーム同士の対戦であったが引き締まった試合だった。

2025年9月28日日曜日

22年 大阪vs東急 10回戦

7月25日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 大阪 42勝18敗1分 0.700 渡辺誠太郎 若林忠志 野崎泰一 
1 0 5 1 0 0 0 0 X 7 東急 23勝33敗2分 0.411 黒尾重明

勝利投手 黒尾重明     7勝9敗 
敗戦投手 渡辺誠太郎 2勝3敗

三塁打 (東)鈴木清一、大下、鈴木圭一郎
本塁打 (東)大下弘 4号

勝利打点(東)大下弘 8

猛打賞 (大)金田正泰 5 (東)鈴木清一 1、大下弘 4


大下が5打点の爆発、首位独走の大阪を粉砕

 第15節2日目、後楽園の第1試合は渡辺誠太郎と黒尾重明の先発で午後1時1分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は初回、先頭の一言多十が右前打で出塁、鈴木清一も中前打で続いて無死一二塁、飯島滋弥の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー、二死三塁となって大下弘が左中間に先制三塁打を放ち1-0とリードする。

 東急は3回裏、先頭の鈴木清一が右前打で出塁、飯島も中前打で続いて初回に続いて無死一二塁、大下のセンター左へのライナーが左中間に抜ける間に鈴木と飯島が生還、打者走者の大下もホームに還るランニングスリーランとなり3点追加して4-0、続く長持栄吉は四球で出塁、大阪は先発の渡辺に代えて若林忠志をマウンドに送り、鈴木圭一郎がセンター左奥にタイムリー三塁打を放ち5-0、二死後大沢喜好の遊ゴロをショート長谷川善三がファンブル、三走鈴木圭一郎は三塁ベースからハーフウェイで様子見、長谷川は鈴木のリードが大きいと見てサードに送球するが悪送球、鈴木がホームインしてこの回5点目となって6-0、名手長谷川にWエラーが記録される。

 東急は4回裏、先頭の鈴木清一が右中間に三塁打、一死後大下の二ゴロの間に三走鈴木が還って7-0と大きくリードする。

 鈴木清一は昨年日本記録となる14本の三塁打でリーグ最多であったが、今季はこれが最初の三塁打であった。

 東急は6回以降は1安打だけで無得点。

 黒尾重明は10安打2四球3三振で首位独走の大阪を完封、7勝目をマークする。

 大下弘は昭和21年6月2日の中部戦以来となる5打点を記録。大下は三塁打、ランニングホームラン、シングルを打って4打数3安打の猛打賞。前日甲子園第2試合の小前博文と同じく惜しくもサイクルヒットを逃した。1本足らずでサイクルを逃したケースは多々あるが、小前は逃した1本が中飛で少し抜けていれば二塁打となってサイクル達成の可能性があったが、大下の唯一の凡退は二ゴロで二塁打になる可能性は低く、小前の惜しさよりは惜しさの程度が低い。

 大下の三塁打とランニングホームランが左方向への当りであったことは注目に値する。大下は昨年20本の本塁打を放ったが、19本目までは右方向への当りで、20本目に初めて左方向に叩き込んだ。三振が多く振り回すだけの打撃は多くの守旧派の評論家には悪評であった。シーズン終盤に打撃スタイルを変えた結果が20本目のレフトスタンドへのホームランであった。

 今季はシーズン初めから左方向へのヒットが多く、打率は高いが本塁打は少ない。大下が首位打者になる可能性は高いが、本塁打王になる可能性は低いのではないか。当ブログでは、スコアカードから大下の打撃スタイルの変化を検証していく。