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2024年12月31日火曜日

22年 大阪vs東急 3回戦

5月16日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 0 1 2 大阪 12勝4敗 0.750 野崎泰一 御園生崇男 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 東急 7勝10敗 0.412 黒尾重明

勝利投手 御園生崇男 4勝0敗 
敗戦投手 黒尾重明    1勝2敗

二塁打 (大)富樫

勝利打点(大)富樫淳 1

猛打賞 (東)長持栄吉(4安打)1 


野崎ー御園生の完封リレー

 後楽園の第1試合は野崎泰一と黒尾重明の先発で午後1時2分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪先発の野崎泰一は4回まで6安打を打たれながら何とか無失点で凌いできた。

 東急は5回裏、先頭の長持栄吉が右前打で出塁、大阪ベンチはここで御園生崇男にスイッチ、土井垣武が長持の二盗を刺し、御園生が大下弘と飯島滋弥を抑えて無失点。

 大阪は6回表、二死から呉昌征がライト線ヒットで出塁、富樫淳がレフト線にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。

 大阪は9回表、一死後金田正泰が中前打で出塁、土井垣は四球を選んで一死一二塁、山口政信に代わる代打玉置玉一の左飛で二走金田がタッチアップから三塁に進む好走塁を見せて二死一三塁、更にダブルスチールを決めて2-0とリードを広げる。

 御園生崇男は6回以降毎回ヒットを打たれるが、要所を締めて無傷の4連勝を飾る。野崎ー御園生の完封リレーであった。

 東急は毎回の12安打を放ちながら、大下、飯島の不振が響いて無得点に終わる。三番長持栄吉の4安打を活かせなかったのは痛い。

 この試合の結果、大阪は12勝4敗で首位、中日と近畿が12勝5敗で追うという、史上初の三つ巴による大混戦となった。最下位に沈む巨人がこの混戦を生んだ最大の要因である。

2024年12月30日月曜日

22年 金星vs太陽 3回戦

5月16日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金星 5勝12敗 0.294 三富恒雄 
0 0 0 0 0 1 0 3 X 4 太陽 7勝9敗 0.438 スタルヒン

勝利投手 スタルヒン 2勝3敗 
敗戦投手 三富恒雄     1勝1敗

二塁打 (太)森下、辻井
三塁打 (太)辻井

勝利打点(太)荒川昇治 2


スタルヒン、戦後初完封

 第5節2日目、甲子園の第1試合は三富恒雄とスタルヒンの先発で午後1時1分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は3回表、先頭の三富が二遊間にヒット、坂本勲の送りバントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り酒沢政夫の二ゴロで坂本が二封されて一死一三塁、酒沢が二盗を決めて一死二三塁、しかし大友一明は三振、坪内道則監督は7球ファウルで粘った末左飛に倒れて無得点。

 太陽は5回裏、先頭の中谷順次が右前打で出塁、佐竹一雄も中前打、ダブルスチールを決め、伊勢川真澄は四球で無死満塁、しかしスタルヒンの遊ゴロをショート酒沢がホームに送球、キャッチャー辻勇夫が一塁に転送して「6-2-3」のゲッツー、松井信勝も右飛に倒れて無得点。

 太陽は6回裏、先頭の辻井弘が左中間に三塁打、荒川昇治の右犠飛で1点を先制する。

 太陽は8回裏、先頭のスタルヒンが中前打、松井も中前打を放って無死一二塁、辻井が左中間に二塁打を放ち二者生還して3-0、藤井勇の左犠飛で4-0とする。

 スタルヒンは4安打無四球5三振で戦後初完封、2勝目をマークする。

 太陽の得点は全て流し打ちによってもたらされた。辻井の三塁打と2点タイムリー二塁打は左中間への当り、荒川の犠飛は右方向、藤井の犠飛は左方向で、全ての得点は逆方向への当りから生まれた。

 スタルヒンは戦前に62回の完封勝利を記録していた。本日の戦後初完封で通算63回目。最終的には83回まで記録を伸ばし、歴代第1位となる。2位は金田正一の82回である。金田に抜かれなかったので、永久に1位の座に就いているだろう。

2024年12月29日日曜日

22年 大阪vs中日 2回戦

5月15日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 大阪 11勝4敗 0.733 若林忠志 
1 0 0 0 0 0 0 0 X 1 中日 12勝4敗 0.750 藤本英雄

勝利投手 藤本英雄 6勝2敗 
敗戦投手 若林忠志 3勝2敗

二塁打 (中)小鶴

勝利打点(中)加藤正二 1


藤本英雄、スミ一を守り抜く

 後楽園の第2試合は若林忠志と藤本英雄の先発で午後3時36分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 中日は初回、先頭の岩本章がショートに内野安打、金山次郎の左前打で無死一二塁、古川清蔵の投ゴロを若林はサードに投げて二走岩本は三封、小鶴誠は三振に倒れるが、杉浦清監督が四球を選んで二死満塁、加藤正二も押出し四球を選んで1点を先制する。

 この後は重苦しい展開が続いた。

 大阪は3回、4回と併殺でチャンスを潰し、9回まで毎回走者を出しながらホームは遠かった。

 中日も2回以降6回まで1安打に抑えられて追加点は奪えず。

 藤本英雄は4安打4四球5三振で今季初完封、6勝目をマークしてハーラートップの別所に並んだ。

 中日の勝因は若林の投球に食い下がった粘りにあった。初回の古川は投ゴロに倒れたが6球ファウルで粘った末のものだった。小鶴の三振も2球ファウルの後。杉浦の四球もスリーボールツーストライクから2球ファウルで粘った末。そして、加藤の決勝押出し四球もスリーボールツーストライクから1球ファウルで粘って選んだものであった。

 この勝利で中日は大阪から首位の座を奪還。今節は後楽園に中日、大阪、近畿の三強が集結しており、連日首位攻防戦が繰り広げられることとなる。


2024年12月28日土曜日

22年 巨人vs太陽 2回戦

5月15日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 0 2 0 1 5 巨人 5勝11敗 0.313 中尾輝三 
1 0 0 0 0 0 0 1 0 2 太陽 6勝9敗 0.400 真田重蔵

勝利投手 中尾輝三 1勝3敗 
敗戦投手 真田重蔵 3勝3敗

二塁打 (巨)川上 

勝利打点(巨)内堀保 2


内堀保が逆転の決勝打

 甲子園の第2試合は中尾輝三と真田重蔵の先発で午後3時10分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、先頭の辻井弘が中前打で出塁、荒川昇治の右前打で無死一三塁、藤井勇はストレートの四球で無死満塁、森下重好の二ゴロをセカンド千葉茂がベースを踏んで一塁転送、併殺の間に三走辻井が還って1点を先制する。

 巨人は4回表、一死後千葉が中前打で出塁、川上哲治はストレートの四球、二死後多田文久三も四球を選んで二死満塁、内堀保が中前に逆転の2点タイムリーを放ち試合をひっくり返す。

 巨人は7回表、先頭の内堀が左前打で出塁、中尾も左前に流し打ち、呉新亨が四球を選んで無死満塁、トップに返り古家武夫が左前に2点タイムリーを放ち4-1と突き放す。

 太陽は8回裏、先頭の辻井が四球を選んで出塁、荒川も中前打、藤井の三ゴロで荒川が二封されて一死一三塁、森下の左犠飛で1点返して2-4とする。

 巨人は9回表、一死後呉新亨が四球から二盗に成功、二死後山川喜作が左前にタイムリーを放ち5-2と再度突き放す。

 太陽は最終回、先頭の佐竹一雄の当りは三ゴロ、これをサード山川がエラー、続く伊勢川真澄が中前打、伊勢川に代走湯浅芳彰を起用、一死後真田の二ゴロをセカンド千葉がエラーして一死満塁、しかし最後は中尾が踏ん張り、辻井は三振、荒川は遊ゴロに倒れて巨人が逃げ切る。

 中尾輝三は7安打4四球4三振の完投で今季初勝利を飾る。

 千葉茂は初回に続いて4回の守備でも「4B-3」の併殺を決め、6回も「5-4-3」の併殺を成功させた。最終回にエラーはあったものの、苅田に衰えが見られる現在、二塁守備ではNo1の座に就いている。

 巨人は主力陣に調子が出ず低迷しているが、この日は内堀が逆転打、古家が追撃打、山川がダメ押し打と、伏兵陣の頑張りで久々の快勝であった。

2024年12月27日金曜日

22年 近畿vs東急 2回戦

5月15日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
3 0 0 0 0 2 0 0 0  0   0  5 近畿 11勝5敗 0.688 中谷信夫 
0 0 1 0 0 0 2 0 2  0  1X 6 東急 7勝9敗 0.438 白木義一郎

勝利投手 白木義一郎 3勝4敗 
敗戦投手 中谷信夫    3勝2敗

二塁打 (近)堀井、河西 (東)白木
本塁打 (東)鈴木圭一郎 1号、苅田久徳 1号

勝利打点(東)苅田久徳 1

猛打賞 (近)田川豊 1、山本一人 1


苅田がサヨナラホームラン

 後楽園の第1試合は中谷信夫と白木義一郎の先発で午後1時3分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 近畿は初回、先頭の安井亀和が四球で出塁、河西俊雄の遊ゴロをショート鈴木清一が失して無死一二塁、田川豊が三遊間に先制タイムリーを放ち1-0、山本一人監督も右前にタイムリーを放ち2-0、田川は三塁に進んで無死一三塁、一死後堀井数男の遊ゴロが野選を誘う間に三走田川が還ってこの回3点を先制する。

 東急は3回裏、先頭の白木の当りは二ゴロ、これをセカンド安井がエラー、清水喜一郎はストレートの四球で無死一二塁、トップに返り鈴木清一もストレートの四球と中谷のコントロールが乱れて無死満塁、一死後長持栄吉の右犠飛で1点返して1-3とする。

 近畿は6回表、一死後朝井昇が四球を選ぶと二盗に成功、安井が送って二死三塁、河西が左中間にタイムリー二塁打を放ち4-1、田川も中前にタイムリーで続いて5-1と突き放す。
 敗色濃厚の東急は7回裏、先頭の一言多十が四球を選んで出塁、ここで久々先発マスクの鈴木圭一郎がレフトスタンドにツーランを叩き込んで3-5と追い上げる。

 息を吹き返した東急は9回裏、先頭の鈴木圭一郎が四球を選んで出塁、白木のレフト線二塁打で無死二三塁、清水に代わる代打黒尾重明は四球で無死満塁、トップに返り鈴木清一のところで、この日ベンチスタートの苅田久徳監督が「代打オレ」を宣告して打席に立つと、3球目にキャッチャー筒井敬三が二塁に牽制、これが悪送球となる間に三走鈴木圭一郎が還って4-5と1点差、苅田は三振に倒れて一死二三塁、ここで横沢七郎がスクイズバントを決めて土壇場で5-5の同点に追い付く。

 延長11回裏、二死から苅田が中谷の152球目をレフトスタンドにサヨナラホームラン、劇的な幕切れとなった。

 白木義一郎は粘りのピッチングで11回を12安打5四球4三振で完投、3勝目をマークする。

 中谷信夫も10回3分の2を6安打7四球2死球8三振の完投であったが、最後は苅田の一発に泣いた。

2024年12月26日木曜日

22年 阪急vs金星 3回戦

5月15日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 0 2 0 4 阪急 6勝10敗 0.375 野口二郎 
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 金星 5勝11敗 0.313 内藤幸三

勝利投手 野口二郎 2勝2敗 
敗戦投手 内藤幸三 0勝3敗

二塁打 (急)野口明、坂井 (金)坪内
三塁打 (金)酒沢

勝利打点(急)野口明 2


トップの田中が出て二番上田が送る

 第5節初日、甲子園の第1試合は野口二郎と内藤幸三の先発で午後1時1分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 前半戦は両ベテラン投手の投げ合いで5回まで両軍無得点。

 阪急は6回表、先頭の田中幸男が右前打で出塁、上田藤夫の二ゴロが進塁打となって一死二塁、青田昇は四球で一死一二塁、ここで野口明が左中間に二塁打を放ち二者を迎え入れて2点を先制する。

 阪急は8回表、再び先頭の田中が左前打で出塁、上田が送りバントを決めて一死二塁、青田の中前打で一死一三塁、期待の野口明は二飛に倒れて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて3-0、野口二郎が左前にタイムリーを放ち4-0と突き放す。

 金星は8回裏、先頭の酒沢政夫が右中間に三塁打、大友一明の中犠飛で1点を返すが反撃もここまで。

 野口二郎は8安打1四球2三振の完投で2勝目をマークする。

 野口明は2試合連続で決勝打を放った。

 阪急は6回と8回にトップの田中幸男に先頭打者が回って来る好循環、田中がヒットで出塁すると二番上田が進塁打と送りバントで二塁に進め、野口兄弟のタイムリーに重盗を絡めて試合を決めた。

 阪急はシーズン当初7連敗で最下位街道を突っ走ていたが、ここに来てようやく順位を上げてきた。

2024年12月25日水曜日

22年 第3、4節 週間MVP

週間MVP

投手部門
 阪急 重松通雄 1
 5月8日の近畿戦、別所との投げ合いで完封勝利 。

打撃部門
 近畿 飯田徳治 1
 27打数13安打4得点9打点。仏の徳さんが鬼神の活躍。

殊勲賞
 大阪 武智修 1
 18打数9安打5得点6打点 。5月5日の金星戦でサヨナラ打。
 阪急 青田昇 1
 5月4日の東急戦でサヨナラ二塁打 
 中日 清水秀雄 1
 5月8日の太陽戦で代打決勝満塁走者一掃二塁打 
 大阪 梶岡忠義 1
 5月9日の中日との首位攻防戦で完投勝利

敢闘賞
 金星 西沢道夫 1
 29打数12安打5得点5打点 
 太陽 藤井勇 1
 23打数10安打5得点3打点 
 中日 杉浦清 1
 23打数10安打3得点7打点
 大阪 藤村富美男 1
 24打数10安打10得点2打点

技能賞
 近畿 河西俊雄 1
 5月4日の金星戦で1安打ながら4得点

2024年12月23日月曜日

22年 巨人vs近畿 4回戦

5月11日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 0 0 0 1 0 3 巨人 4勝11敗 0.267 小松原博喜 
3 0 0 0 0 2 0 0 X 5 近畿 11勝4敗 0.733 別所昭

勝利投手 別所昭   6勝2敗 
敗戦投手 小松原博喜 2勝2敗

二塁打 (近)山本
三塁打 (巨)川上

勝利打点(近)田川豊 1


近畿、大阪に食らい付く


 後楽園の第2試合は小松原博喜と別所昭の先発で午後2時54分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 近畿は初回、一死後河西俊雄が左前打から二盗に成功、田川豊の中前タイムリーで1点先制すると田川も二盗に成功、山本一人監督が左中間にタイムリー二塁打を放ち2点目、センター平山菊二からの返球が悪送球となる間に山本は三塁に進み、飯田徳治の遊ゴロの間に山本が還ってこの回3点を先制する。

 巨人は2回表、先頭の川上哲治がライト線に三塁打、平山菊二の三ゴロで川上がホームに突っ込み、サード山本がホームに悪送球して1-3、平山には打点は記録されず、多田文久三は四球を選んで無死一二塁、小松原の遊ゴロで多田は二封されて一死一三塁、内堀保の二ゴロ併殺崩れの間に三走平山が還って2-3と1点差に追い上げる。

 近畿は6回裏、一死後田川が右前打で出塁、山本の右前打をライト多田が後逸、バックアップしたセンター平山からの返球をショート古家武夫がエラーする間に一走田川は一気に生還して4-2、山本は三塁に達し、二死後堀井数男の三塁線タイムリーで5-2と突き放す。

 巨人は8回表、古家、川上の四球と平山のタイムリーで1点を返すが時すでに遅し。

 別所昭は完投でハーラー単独トップに立つ6勝目をマークする。

 近畿は初回、得意の機動力を活かして試合の主導権を握り快勝。中日と共に、首位を行く大阪に半ゲーム差で食らい付いている。

 一方、巨人はこの日も守備の乱れから敗れて最下位の座が定着している。

2024年12月22日日曜日

22年 金星vs阪急 2回戦

5月11日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 3 0 0 0 0 1 4 金星 5勝10敗 0.333 江田孝 
1 1 0 1 0 0 0 4 X 7 阪急 5勝10敗 0.333 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 1勝1敗 
敗戦投手 江田孝    1勝6敗

二塁打 (急)下社、日比野、坂井

勝利打点(急)野口明 1


森弘太郎、今季初勝利

 第4節最終日、甲子園は本降りの雨のため中止となった。

 後楽園の第1試合は江田孝と森弘太郎の先発で午後零時45分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 江田と森は阪急で同僚だった1941年8月2日、二人の継投でノーヒットノーランを記録した仲である。

 阪急は初回、一死後上田藤夫が四球で出塁、青田昇の中前打で上田は三進、野口明のセンターライナーが犠飛となって1点を先制する。

 阪急は2回裏、先頭の下社邦男が左中間に二塁打、日比野武も左中間に連続二塁打を放ち2-0とする。

 金星は4回表、先頭の坪内道則監督の当りは遊ゴロ、これをショート田中幸男がエラー、西沢道夫はストレートの四球、清原初男の三前バントが内野安打となって無死満塁、小前博文の一ゴロの間に三走坪内が還って1-2、一死二三塁からパスボールで三走西沢が還って2-2の同点、辻勇夫の左前タイムリーで3-2と逆転する。

 阪急は4回裏、一死後日比野がストレートの四球で出塁、二死後山田伝の一ゴロをファースト西沢がエラー、トップに返り田中の中前打で二死満塁、上田が押出し四球を選んで3-3の同点に追い付く。

 5回から東京でも雨が降り出し、18,005人の観客は雨中での観戦となった。

 阪急は8回裏、先頭の森が四球を選んで出塁、坂元義一の送りバントはピッチャーへの小飛球となって失敗、トップに返り田中が中前打、上田の遊ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、青田は敬遠気味に歩かされて二死満塁、ここで野口明が右前に2点タイムリーを放ち5-3と勝越し、坂井豊司がレフト線に2点タイムリーを放ち7-4と突き放す。

 金星は最終回、先頭の小前が左前打、辻に代わる代打内藤幸三も左前に流し打って無死一二塁、一死後坂本勲に代わる代打重松通雄が中前にタイムリーを放ち4-7とする粘りを見せたがここまで。

 森弘太郎は完投で今季初勝利を飾る。森は戦前に90勝をマーク、戦後はこれで3勝目となる。


2024年10月22日火曜日

21年 近畿vs阪急 3回戦

5月10日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 3 0 0 2 6 近畿 10勝4敗 0.714 丸山二三男 
0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 阪急 4勝10敗 0.286 天保義夫

勝利投手 丸山二三男 2勝1敗 
敗戦投手 天保義夫    1勝5敗

二塁打 (急)森田
本塁打 (近)河西俊雄 1号

勝利打点(近)飯田徳治 3

猛打賞 (近)河西俊雄 1、筒井敬三 1


河西が同点本塁打、飯田が決勝打

 後楽園の第2試合は丸山二三男と天保義夫の先発で午後3時13分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は2回裏、先頭の坂井豊司がピッチャー強襲ヒット、森田定雄のレフト線二塁打で無死二三塁、坂元義一がライト線に2点タイムリーを放ち2-0とリードする。

 近畿は5回表、一死後堀井数男が四球で出塁、二死後筒井敬三が中前打、朝井昇が中前にタイムリーを放ち1点返す。

 近畿は6回表、先頭の河西俊雄が左越えにホームランを叩き込んで2-2の同点、田川豊が四球から二盗、山本一人監督の三ゴロの間に田川は三進、飯田徳治が中前に勝越しタイムリーを放ち3-2、飯田が二盗を決め、堀井のセンターライナーで飯田がタッチアップから三進、丸山が中前にタイムリーを放ち4-2とする。

 近畿は9回表、先頭の安井亀和が中前打で出塁、河西の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、田川の投ゴロの間に二者進塁、二死後飯田が四球を選んで二死満塁、堀井が中前に2点タイムリーを放ち6-2と突き放す。

 丸山二三男は緩いカーブが冴えて7安打3四球2三振の完投、2勝目をマークする。

 飯田徳治は5月に入って3個目の勝利打点と勝負強さを見せている。

 この結果、昭和22年ペナントレースは首位大阪を0.5ゲーム差で中日が追い、更に0.5ゲーム差で近畿が続く展開となった。

2024年10月18日金曜日

22年 中日vs太陽 3回戦

5月10日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 4 0 0 0 3 0 0 0 7 中日 11勝4敗 0.733 久野勝美 服部受弘 
0 2 0 1 0 0 0 0 0 3 太陽   6勝8敗 0.429 池田善蔵 湯浅芳彰

勝利投手 服部受弘 4勝0敗 
敗戦投手 池田善蔵 2勝2敗

二塁打 (太)中谷、佐竹

勝利打点(中)金山次郎 2

猛打賞 (中)杉浦清 1


両軍合わせて8併殺

 第1試合は大阪が17得点であったが試合時間は1時間26分だったため第2試合も甲子園が先にスタート。

 久野勝美と池田善蔵の先発で午後3時6分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、先頭の辻井弘が三塁にヒット、しかし荒川昇治の二ゴロが「4-6-3」と渡るゲッツー。

 初回に満塁のチャンスを逃した中日は2回表、先頭の三村勲が四球を選んで出塁、一死後久野も四球、トップに返り岩本章も四球を選んで一死満塁、金山次郎が中前にタイムリーを放ち1点を先制、再度の一死満塁で古川清蔵の初球ボールの時に三走久野が飛び出しておりキャッチャー伊勢川真澄からの送球にタッチアウト、走者がスクイズのサインと間違えたのか打者のサイン見逃しかは不明。古川は四球で二死満塁、小鶴誠が押出し四球を選んで2-0、杉浦清監督が中前に2点タイムリーを放ち4-0とする。

 太陽は2回裏、一死後中谷順次が右越えに二塁打、佐竹一雄の中前タイムリーで1-4、伊勢川真澄の右前打で一死一三塁、蔵本光夫の左犠飛で2-4とする。

 中日は3回表、先頭の三村がストレートの四球で出塁、ここでま8個の四球を与えた先発の池田から湯浅芳彰に交代、一死後久野に代わる代打井上嘉弘が中前打を放って一死一二塁、トップに返り岩本のショートライナーに二走三村が戻れずダブルプレー。

 中日は4回表、先頭の金山が四球で出塁、しかし古川の打席で三振ゲッツー。

 太陽は4回裏、先頭の中谷が中前打で出塁、佐竹の遊ゴロ併殺で中谷は二進、伊勢川の投ゴロで中谷は三進、蔵本の左前タイムリーで3-4と1点差に迫る。

 中日は6回表、一死後岩本が9球粘って四球で出塁、二死後古川の中前打で岩本は三進、送球の間に打者走者の古川も二塁に進み、小鶴は四球で二死満塁、杉浦の中前2点タイムリーで6-3、加藤正二の左前タイムリーで7-3と突き放す。

 3回から久野をリリーフした服部受弘が7イニングを1失点の好投で、無傷の4連勝を飾る。
 両軍合わせて8併殺。中日は5併殺であったが効率よく加点して快勝、首位大阪に食らいついている。

2024年8月17日土曜日

22年 金星vs巨人 2回戦 

5月10日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
5 0 0 0 0 1 1 0 0 7 金星 5勝9敗 0.357 重松通雄
0 0 0 0 1 2 0 0 0 3 巨人 4勝10敗 0.286 近藤貞雄 川崎徳次

勝利投手 重松通雄 3勝1敗 
敗戦投手 近藤貞雄 0勝1敗

二塁打 (金)重松、小前
三塁打 (巨)千葉
本塁打 (金)西沢道夫 3号

勝利打点(金)清原初男 1

猛打賞 (金)西沢道夫 3 (巨)千葉茂 1


西沢道夫、本塁打と猛打賞でトップに立つ

 後楽園の第1試合は重松通雄と近藤貞雄の先発で午後1時7分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は初回、先頭の酒沢政夫が左前打で出塁、大友一明の遊ゴロでランナーが入れ替わり、坪内道則監督の遊ゴロをショート田中資昭が一塁に悪送球、続く西沢道夫の三ゴロをサード山川喜作がエラーして一死満塁、清原初男が中前に2点タイムリーを放ち2-0、小前博文の投ゴロで清原が二封されて二死一三塁、重松のレフト線タイムリー二塁打で3-0、辻勇夫が左前に2点タイムリーを放ちこの回5点、5-0とリードする。

 巨人は5回裏、不振の中島治康がバントヒットを試みるが一塁アウト、平山菊二は四球、内堀保の投ゴロを重松が二塁に送球するがセカンド大友が落球、近藤は四球で一死満塁、田中資昭が押出し四球を選んで1-5、しかしトップに返り山川喜作の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 金星は6回表、先頭の清原の当りは遊ゴロ、これをショート田中がこの日2個目のエラー、小前がレフト線に二塁打を放って無死二三塁、一死後辻の三ゴロをサード山川が2個目のエラーとなる本塁悪送球して6-1とする。

 三遊間が2個ずつのエラーでは苦しい。

 巨人は6回裏、先頭の黒沢俊夫が中前打で出塁、千葉茂がライトにタイムリー三塁打を放ち2-6、川上哲治の左犠飛で3-6と追い上げる。

 金星は7回表、二死後西沢がレフトスタンドに第3号ホームラン、7-3と突き放す。

 これが止めの一発となった。

 重松通雄は7回以降巨人打線を1安打に抑え、5安打3四球2三振で完投、3勝目をマークする。

 西沢道夫は本塁打と猛打賞でトップに立った。リーグを代表するスラッガーに成長してきたのである。

 この時点で巨人は単独最下位に転落した。

 巨人低迷の原因としては
 ①名手山田潔が国民リーグに移って内野陣が弱体化したこと(この日も三遊間が2個ずつエラー)。
 ②中島治康がバントヒットを試みるほど往年の打棒が見られなくなったこと。
 ③藤本英雄が抜けて被本塁打が全20本塁打中6本と投手陣が弱体化したこと。
などがあげられる。

*中島治康は第2打席でバントヒットを試みるが失敗。低迷巨人を象徴するシーンであった(上の「BH」がバント失敗を表す)。



2024年8月16日金曜日

22年 東急vs大阪 2回戦

5月10日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   東急 6勝9敗 0.400 北川桂太郎 上口政 
0 6 4 2 0 1 2 2 X 17 大阪 11勝3敗 0.786 御園生崇男 野崎泰一

勝利投手 御園生崇男 3勝0敗 
敗戦投手 北川桂太郎 1勝2敗 
セーブ     野崎泰一  2

二塁打 (大)本堂、御園生2、藤村、武智、玉置、富樫
三塁打 (東)大下 (大)金田

勝利打点(大)金田正泰 1

猛打賞 (大)呉昌征 2、藤村富美男 2


ダイナマイト打線爆発

 第4節3日目、甲子園の第1試合は北川桂太郎と御園生崇男の先発で午後1時4分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は2回裏、若林の監督就任で一兵卒に戻った藤村富美男が中前打で出塁、金田正泰の右越えタイムリー三塁打で1点を先制、山口政信は四球、御園生がライトにタイムリー二塁打を放ち2-0、小林英一の右前タイムリーで3-0、小林は二盗に成功、武智修の二ゴロエラーで走者動かず無死満塁、トップに返り呉昌征の投ゴロで三走御園生は本封、パスボールで三走小林が還って4-0、富樫淳は四球で一死満塁、本堂保次が左中間に2点タイムリー二塁打を放ち6-0、一走富樫も三塁を回ってホームを狙うがレフト大下弘、サード横沢七郎の中継で本塁タッチアウト、送球の間に本堂は三塁に達し、続く藤村の打席で北川の投球をキャッチャー熊耳武彦が弾くと本堂はホームに突っ込むが、北川がホームベースカバーして「2-1」と送球されてタッチアウト。

 大阪は3回裏、仕切り直しとなった藤村が中越えに二塁打、金田は四球、山口の中前打で無死満塁、御園生の三ゴロ併殺の間に三走藤村が還って7-0、小林は四球、武智の左中間タイムリー二塁打で8-0、トップに返り呉が中前に2点タイムリーを放ち10-0とする。

 大阪は4回裏、一死後藤村の当りは三ゴロ、これをサード横沢がエラー、金田は四球、二死後御園生がレフト線に2点タイムリー二塁打を放ち12-0とする。

 先発の御園生は4回で降板、5回から野崎泰一がリリーフのマウンドに上がる。

 大阪は6回裏、藤村の左前打と玉置玉一のタイムリー二塁打で1点追加。

 大阪は7回裏、先頭の小林が四球で出塁、一死後呉が右前打、富樫の左前打で一死満塁、藤村が押出し死球を受けて14-0、金田も押出し四球を選んで15-0とする。

 大阪は8回裏、一死後土井垣武が三塁にヒット、武智が左前打、トップに返り呉が中前にタイムリー、富樫も左中間にタイムリー二塁打を放ち17-0とする。

 大阪は御園生崇男と野崎泰一の完封リレー。実況のとおり先発御園生は4回で降板したが勝利投手は御園生に記録された。先発投手が5回を投げずに勝利投手となるケースは戦前に多く見られたが、昭和22年にもまだ見られていたのである。

2024年8月15日木曜日

22年 大阪vs中日 1回戦

5月9日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 1 2 4 大阪 10勝3敗 0.769 梶岡忠義 
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 中日 10勝4敗 0.714 清水秀雄

勝利投手 梶岡忠義 4勝1敗 
敗戦投手 清水秀雄 2勝1敗

二塁打 (大)富樫、武智、呉

勝利打点 なし


梶岡の完投で大阪が首位

 甲子園の第2試合は序盤戦の天王山とも言える首位攻防戦。梶岡忠義と清水秀雄の先発で午後3時10分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 大阪は初回、先頭の呉昌征がストレートの四球で出塁、富樫淳の三ゴロの間に俊足呉は一気に三塁に進み、山口政信は四球を選んで一死一三塁、藤村富美男の右犠飛で1点を先制する。

 中日は2回裏、先頭の杉浦清監督が右前打で出塁、一死後杉浦が二盗、しかし二死後梶岡からの二塁牽制に刺される。

 大阪は4回表、一死後藤村の打球は遊ゴロ、これをショート杉浦がエラー、二死後本堂保次の左前打で一二塁とするが、土井垣武は二ゴロに倒れる。

 中日は4回裏、先頭の古川清蔵が四球で出塁、一死後杉浦の三塁線ヒットで古川は三塁に進んで一三塁、加藤正二の一塁線タイムリーで1-1の同点に追い付く。

 大阪は5回表、二死後呉と富樫の連打で二三塁のチャンスを作るが、山口は三振に倒れて無得点。

 大阪は6回表、藤村の四球と金田正泰のヒットで無死一二塁のチャンスを作るが後続なく無得点。

 大阪は8回表、先頭の山口に代わる代打塚本博睦が死球を受けて出塁、藤村の遊ゴロでランナーが入れ替わり、二死後本堂の遊ゴロをショート杉浦が一塁に悪送球、この間に一走藤村が一気にホームに還って2-1と勝ち越す。

 大阪は9回表、一死後武智修が左中間に二塁打、トップに返り呉がレフト線にタイムリー二塁打を放ち3-1、二死後玉置玉一の三塁線タイムリーで4-1と突き放す。

 梶岡忠義は6安打4四球5三振の完投で4勝目をマークする。

 梶岡は今季がルーキーシーズンであるが、戦前に阪神入りが決まりかけていたところ学徒出陣のためプロ入りが遅れていたのである。

 この勝利で大阪は首位に躍り出た。半ゲーム差で中日、更に半ゲーム差で近畿が続く。少し離れて4位に東急、半ゲーム差で太陽、4勝9敗で阪急、金星、巨人が同率最下位。

 昭和22年度ペナントレースは3強2中3弱の様相を呈してきた。

2024年8月14日水曜日

22年 近畿vs巨人 3回戦

5月9日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 3 1 1 0 0 2 0 8 近畿 9勝4敗 0.692 中谷信夫
0 0 0 0 0 0 0 2 2 4 巨人 4勝9敗 0.308 中尾輝三 諏訪裕良

勝利投手 中谷信夫 3勝1敗 
敗戦投手 中尾輝三 0勝3敗

二塁打 (近)筒井、安井2、飯田、堀井 (巨)田中、多田、中島
本塁打 (近)飯田徳治 1号、山本一人 1号

勝利打点(近)飯田徳治 2

猛打賞 (近)安井亀和(4安打)1、飯田徳治(4安打)2


巨人最下位転落

 近畿は2回表、一死後強打を見せ始めてきた飯田徳治がレフトスタンドに先制ホームラン。

 近畿は3回表、先頭の朝井昇が四球から二盗に成功、安井亀和が三前にセーフティバントを決めて無死一三塁、安井の二盗で無死二三塁、河西俊雄が中前に2点タイムリーを放ち3-0、田川豊の二ゴロで河西は二進、山本一人監督の右飛で田川は三進、飯田の三塁タイムリー内野安打で4-0とする。

 近畿は4回表、二死後朝井が再び四球から二盗に成功、トップに返り安井が左中間にタイムリー二塁打を放ち5-0とリードを広げる。

 近畿は5回表、一死後山本がレフトスタンドにホームランを叩き込んで6-0とする。

 近畿は8回表、7回から朝井に代わってショートに入った小林悟楼が4球ファウルで粘って四球で出塁、トップに返り安井の左中間二塁打で無死二三塁、河西に代わる代打岡村俊昭が中前に2点タイムリーを放ち8-0と突き放す。

 巨人は8回裏、一死後田中資昭がレフト線にヒット、トップに返り山川喜作の遊ゴロをショート小林がエラー、ダブルスチールを決めて一死二三塁、黒沢俊夫に代わる代打多田文久三がライト線に2点タイムリーを放ち二塁打を放ち2-8とする。

 巨人は9回裏、先頭の平山菊二に代わる代打小松原博喜が打撃妨害で出塁、中島治康が左中間に二塁打を放って無死二三塁、内堀保に代わる代打川崎徳次が中前にタイムリーを放ち3-8、諏訪裕良に代わる代打呉新亨はストレートの四球で無死満塁、田中は捕邪飛に倒れて一死満塁、トップに返り山川が押出し四球を選んで4-8と一発出れば同点の場面まで詰め寄るが、林清光は三振、千葉茂は左飛に倒れて試合終了。

 中谷信夫は6安打5四球6三振の完投で3勝目をマークする。

 先制本塁打の飯田徳治は5日の巨人戦に続いてこの日も4安打の活躍、軌道に乗ってきた。

 巨人は金星、阪急と並ぶ最下位に転落した。

 近畿はこの時点で首位中日に1ゲーム差であるが、現在甲子園で大阪vs中日の首位攻防戦が行われており終盤まで接戦となっている。

マダックス

試合前に大阪桐蔭の負けを予想した評論家は皆無でしたね(笑)。

しかも92球のマダックスで完封負け。

当ブログは昨夏、今春の優勝校を1回戦終了時に当ブログで公表して予想的中させましたが、今夏はやりません。予想の難しさをよく知っているからです。

馬鹿の一つ覚えのように外れ予想を繰り返す評論家とは一線を画しています。

 

2024年8月13日火曜日

22年 東急vs太陽 3回戦

5月9日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
1 4 0 0 0 0 1 0 0  6  東急 6勝8敗 0.429 白木義一郎 
2 3 1 4 2 0 0 0 X 12 太陽 6勝7敗 0.462 スタルヒン

勝利投手 スタルヒン 1勝3敗 
敗戦投手 白木義一郎 2勝4敗

二塁打 (太)中谷、スタルヒン2、森下、辻井
三塁打 (東)一言、長持 (太)藤井

勝利打点(太)伊勢川真澄 1

猛打賞 (太)藤井勇 2、中谷順次 1


太陽打線、全員安打の猛攻

 甲子園の第1試合は白木義一郎とスタルヒンの先発で午後1時4分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は初回、先頭の一言多十が右中間に三塁打、ライト辻井弘からの送球を中継したセカンド荒川昇治の三塁送球が悪送球となって一言が生還、1点を先制する。

 太陽は1回裏、一死後荒川が三塁線にヒット、藤井勇の中前打で荒川は三進、送球の間に打者走者の藤井も二塁に進み、二死後中谷順次がレフト線に逆転の2点タイムリー二塁打を放ち2-1とリードする。

 東急は2回表、先頭の飯島滋弥が四球で出塁、白木は中前打、熊耳武彦が送りバントを決め、苅田久徳監督は四球を選んで一死満塁、清水喜一郎が三塁にタイムリー内野安打を放ち2-2の同点、一死後横沢七郎の遊ゴロをショート蔵本光夫がエラーして3-2と逆転、長持栄吉が右前に2点タイムリーを放ち5-2とリードを広げる。

 太陽は2回裏、先頭の伊勢川真澄が右前打で出塁、蔵本の遊ゴロをショート清水がエラー、スタルヒンが右越えにタイムリー二塁打を放ち3-5、一死後荒川がライトにタイムリーを放ち4-5と1点差、藤井の左犠飛で5-5の同点に追い付く。

 太陽は3回裏、先頭の佐竹一雄が四球から二盗に成功、伊勢川が右前に勝越しタイムリーを放ち6-5とリードする。

 東急は4回表、先頭の苅田が四球から二盗に成功、一死後一言が死球を受けて一二塁、横沢の遊ゴロは「6-4-3」と転送されるが一塁はセーフ、二走苅田が三塁を回るとファースト佐竹はサード中谷に送球、中谷がキャッチャー伊勢川に送球してタッチアウト。

 観客を意識する苅田らしい走塁であった。白木はこの年、開幕戦から投ゴロをキャッチャー熊耳に送球してから一塁に刺す「1-2-3」のプレーを何度か見せているが、苅田監督の理解と協力が無ければあり得なかったであろう。

 太陽は4回裏、先頭の藤井が右中間に三塁打、森下重好がレフト線にタイムリー二塁打を放ち7-5、中谷が右前にタイムリーを放ち8-5、送球の間に中谷は二塁に進み、佐竹の左前打をレフト大下弘がエラーする間に中谷が還って9-5、この間に佐竹は二塁に進み、一死後蔵元の中前打をセンター柴田繫雄もエラーして佐竹が生還、10-5とする。

 太陽は5回裏、二死後藤井が右前打で出塁、森下の投ゴロを白木がエラー、中谷が中前に4打点目となるタイムリーを放ち11-5、センター柴田のエラーで森下は三塁に進み、佐竹の遊ゴロをショート清水がエラーして12-5とする。

 東急は7回表、長持の三塁打と大下の左犠飛で1点返すが焼け石に水。

 スタルヒンは6安打5四球1死球3三振の完投で今季初勝利、戦後2勝目をマークする。打っては二塁打が2本、戦後になっても相変わらずバッティングはいい。

 白木義一郎は17安打を打たれながら完投。12失点であったが味方が7失策で自責点は7であった。

 太陽打線は全員安打の猛攻。トップの辻井弘以外の8人が得点を記録した。

2024年8月12日月曜日

22年 阪急vs金星 1回戦

5月9日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 8 0 0 0 0 0 8 阪急 4勝9敗 0.308 溝部武夫 野口二郎 
1 0 1 0 0 0 0 2 X 4 金星 4勝9敗 0.308 江田孝 内藤幸三

勝利投手 野口二郎 1勝2敗 
敗戦投手 江田孝    1勝5敗

二塁打 (急)青田 (金)西沢
本塁打 (金)江田孝 1号、西沢道夫 2号

勝利打点(急)野口二郎 1

猛打賞 (金)西沢道夫(4安打)2


阪急、金星と並ぶ7位に浮上

 第4節2日目。後楽園の第1試合は溝部武夫と江田孝の先発で午後1時丁度、島球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は初回、一死後大友一明が四球で出塁、坪内道則監督の左前打で一死一二塁、西沢道夫が左前にタイムリーを放ち1点を先制する。

 金星は3回裏、江田がレフトスタンドにホームランを放ち2-0とリードする。

 阪急は4回表、先頭の野口明が右前打で出塁、坂井豊司、森田定雄が連続四球で無死満塁、下社邦男の中前タイムリーで1点差、溝部に代わる代打野口二郎が右前に逆転の2点タイムリーを放ち3-2、山田伝は三ゴロで一死二三塁、トップに返り田中幸男のレフト線タイムリーで4-2、一走野口二郎は三塁に進み、打者走者の田中も送球の間に二塁に進んで再度一死二三塁、上田藤夫の二ゴロで三走野口二郎がホームに突っ込み、セカンド大友がバックホームするが野選となって5-2、一死一三塁から青田昇の左前タイムリーで6-2、野口明の遊ゴロで青田が二封されて二死一三塁、坂井の三ゴロをサード清原初男がエラーする間に三走上田が還って7-2、森田の左前タイムリーでこの回8点、8-2と大きくリードする。

 阪急は4回から溝部の代打に出た野口二郎がそのままマウンドに。

 金星は8回裏、ヒットの酒沢政夫を一塁に置いて西沢がレフトスタンドにツーランを放ち4-8と追い上げるがここまで。

 リリーフの野口二郎が6イニングを4安打1四球3三振、西沢の一発に抑えて今季初勝利をあげる。

 西沢道夫はこれまでシーズン最多本塁打が1本であったが、この日は自己最高となる第2号を放った。西沢が戦後有数のホームランバッターに飛躍するきっかけとなる一発だったのである。

 阪急は開幕から最下位を独走していたが、ようやく7位金星に並ぶところまで回復してきた。

名前のない馬

AMIが優勝を決めた決勝最終ラウンドで流れてきたのはヒップホップ調にアレンジされた「名前のない馬」。

中学2年の時に聞きまくった楽曲が52年後のブレイキンで勝負曲に使われる。抑揚を抑えたメロディは当時とても斬新でしたが、今でも十分通用する。長く生きてみるもんですね。

ということで、実況中継を再開します。

名前のない馬 - アメリカ America [ A Horse With No Name ] (youtube.com)


 

2024年6月2日日曜日

22年 太陽vs中日 2回戦

5月8日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 2 0 0 4 太陽 5勝7敗 0.417 井筒研一 真田重蔵 
0 0 1 1 0 1 1 3 X 7 中日 10勝3敗 0.769 服部受弘 藤本英雄

勝利投手 藤本英雄 5勝2敗 
敗戦投手 真田重蔵 3勝2敗

二塁打 (太)森下、辻井、佐竹 (中)古川、加藤、清水
三塁打 (太)真田 (中)杉浦

勝利打点(中)清水秀雄 1


代打清水秀雄が満塁走者一掃決勝二塁打

 甲子園の第2試合は井筒研一と服部受弘の先発で午後3時35分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 中日は3回裏、先頭の上林繁次郎がレフト線にヒット、トップに返り岩本章はストレートの四球、金山次郎の中前タイムリーで1点を先制する。

 中日は4回裏、先頭の杉浦清監督が右越えに三塁打、一死後三村勲の左犠飛で2-0とする。

 太陽は6回表、先頭の井筒が右前打で出塁、トップに返り辻井弘の右中間二塁打で無死二三塁、ここでパスボールがあり三走井筒が還って1-2、荒川昇治が中前に同点タイムリーを放ち2-2と追い付く。

 中日は6回裏、先頭の古川清蔵がセンター左奥に二塁打、ここで太陽ベンチは先発の井筒から真田重蔵にスイッチ、大沢清が得意の右打ちで右前打を放ち無死一三塁、杉浦の二ゴロに三走古川は動かず一死二三塁、ここで加藤がスクイズを決めて3-2と勝ち越す。

 リードしたところで中日ベンチは先発の服部に代えて7回から藤本英雄をマウンドに送り、キャッチャーも上林から藤原鉄之助に代えてバッテリーを入れ替える。

 太陽は7回表、二死から佐竹一雄が左越えに二塁打、蔵本光夫に代わる代打湯浅芳彰はストレートの四球、ここで真田が右越えに逆転の2点タイムリー三塁打を放ち4-3と再び試合をひっくり返す。

 中日は7回裏、先頭の藤本が中前打で出塁、藤原が一二塁間を抜くヒット、これをライト辻井が後逸する間に藤本が一塁から長駆本塁に還って4-4の同点に追い付く。

 7回に代わった途端に逆転を許したバッテリーが意地を見せた。

 中日は8回裏、一死後加藤が右中間に二塁打、代走に笠石徳五郎を起用、三村に代わる代打小鶴誠は四球で一死一二塁、藤本が三遊間を破り、二走笠石は一旦三塁に止まるがホームに突進、レフト藤井勇からの本塁返球に笠石はタッチアウト、この間に小鶴は三塁に進んで二死一三塁、藤原が四球を選んで二死満塁、トップに返り岩本に代打清水秀雄を起用、清水が期待に応えて右越えに満塁走者一掃の3点タイムリー二塁打を放ち7-4として試合を決める。

 藤本英雄は最終回の太陽の反撃を3連続二ゴロに抑えてリリーフで5勝目をマーク、別所昭と並びハーラートップに立つ。

 中日は依然として首位をキープしているが、大阪と近畿が迫ってきている。

2024年6月1日土曜日

22年 巨人vs阪急 1回戦

5月8日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 0 2 巨人 4勝8敗 宮下信明 多田文久三  
2 0 0 0 0 0 2 0 X 4 阪急 3勝9敗 今西錬太郎 

勝利投手 今西錬太郎 2勝2敗 
敗戦投手 宮下信明     0勝2敗

本塁打 (急)青田昇 2号

勝利打点(急)上田藤夫 1


阪急、大技小技で巨人を倒す

 後楽園の第2試合は宮下信明と今西錬太郎の先発で午後3時5分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 甲子園の第2試合の開始時間は午後3時35分と後楽園とは大きく異なるが、これは、甲子園の第1試合で若林忠志が148球、一言多十が171球を要して試合時間が当時としては珍しく1時間48分もかかったためであった。

 阪急は初回、先頭の田中幸男が四球を選んで出塁、上田藤夫の二ゴロでランナーが入れ替わり、上田がワイルドピッチで二進、ここで青田昇がレフトスタンドに第2号先制ツーランを叩き込んで2点をリードする。

 巨人打線は今西のシュートにてこずり凡ゴロを重ねて6回まで無得点。

 宮下も2回以降立ち直り、阪急は6回までゼロ行進を続ける。

 巨人は7回表、一死後田中資昭が四球で出塁、トップに返り山川喜作も四球を選んで一死一二塁、古家武夫のレフト線タイムリーで1点返して1-2、平山菊二は左飛に倒れるが、川上哲治がライトに同点タイムリーを放ち2-2と追い付く。

 阪急は7回裏、先頭の今西が中前打で出塁、山田伝の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り田中の三塁線バントも内野安打となって無死満塁、上田が押出し死球を受けて3-2と勝ち越し、巨人ベンチはここで先発の宮下から多田文久三にスイッチ、青田の遊ゴロで三走山田が本封されて一死満塁、続く野口明の投ゴロを多田が本塁に送球して三走田中はフォースアウト、キャッチャー内堀保がゲッツーを狙って一塁に転送するが悪送球となって二塁から上田が生還し4-2とリードする。

 今西錬太郎は8回、9回と巨人打線を三者凡退に抑え、9安打6四球3三振の完投で2勝目をマークする。

 阪急は青田の本塁打とバント攻勢の小技を織り交ぜて巨人に快勝。

 内野手出身の今西が2安打を放つ巧打を見せて決勝のホームを踏んだ。

2024年3月31日日曜日

4度目の退職

2024年3月末で4度目の退職。

1度目は1997年末。1981年に入社した会社が自主廃業したためでした。1996年2月に債券トレーディング部から関連会社の新規事業立ち上げのため出向。新しいマーケットを創る仕事でした。2年の出向期間の予定でしたが、ゼロから始めたマーケットが1年半で40兆円市場に急成長してしまい引くに引けず状態となり、97年夏に1年間の延長要請を受諾。そしたら11月に出向元が自主廃業しちゃいました(笑)。

97年11月は22日(土)、23日(日)、24日(月)(振替休日)の三連休。友人と23日のジャパンカップに行く約束でしたが「何かあったらやめておこう」と言っていました。そしたらその「何か」が起こったのです。

22日早朝、テレビ各局は「Y證券経営破綻」のニュースを伝えていました。午前7時頃、出向先の上司から電話があり「大変なことになったな。君はうちで働いてもらいから。」ということで、三連休初日の午前7時に再就職が決まっちゃいました。なので、当ブログは再就職活動をしていません。

24日の「社員は悪くありません。」の会見は「当り前田のクラッカーじゃろが~~~」と聞いていましたね。「悪い~のはテメーらじゃろが~~~、ボケ!」。

まあ、誰も知らない最後の一週間の出来事はここでは言えません。墓場まで持っていきます。当ブログがやっていたのが資金調達関連の仕事であった、とだけヒントを与えておきましょう(笑)。

出向から転籍に変わって元・出向先の正社員になって年収も4割ほど増えました。ところがぎっちょん、ゼロ金利に向かって鞘抜きが難しくなりその業界も6社から3社に業界再編。早期退職に応募して2001年3月末で2度目の退職。

退職金と失業保険でビジネススクールに通いながら半年ほどプー太郎生活を満喫しました。2002年1月に国家公務員にトラバーユ。今度は市場監視の仕事です。不安定なサラリーマン生活には興味がありませんでしたね(笑)。

2019年3月末、60歳で定年となり3度目の退職。某スポーツ紙でMLB関連のアルバイト生活を満喫していたところ、元職場から「帰ってこいよ~~~」(←松村和子か!)ということで2020年11月から再任用。

2024年3月末、65歳の定年となって4度目の退職を達成しました。「思えば遠くに来たもんだ~~~」(←海援隊か!)てなもんですが、5度目はありませんので悪しからず(笑)。 


予言的中

当ブログの予想どおり健大高崎が優勝。

大谷の60本は厳しそうですが・・・。

最終回、一塁線へのイレギュラーなゴロをファースト森山がベースに飛び込み執念のベースタッチ。あれが効きましたね。


2024年3月30日土曜日

最低限のノルマ

当ブログが3月20日付けで優勝を予言した健大高崎が決勝進出。

まあ、最低限のノルマは達成というとこでしょうか。

相手は当ブログ出生地県 の報徳学園か、当ブログ出身地県の中央学院か。報徳有利とは見ていますが、中央学院の粘りに期待。

因みに群馬も当ブログが転勤で初めて経験した地方支店勤務県なので、どこを応援すべきか迷うところ。



2024年3月20日水曜日

初登板

松井裕樹がメジャー初登板。

桐光学園で甲子園に出てきた時、神奈川予選から評判の好投手であることは聞いていましたが見たことはなかったので、NHKの中継で甲子園初登板を見ました。

この日は上野の美術館に行く予定だったので1イニングだけ見て家を出ようと思っていたのですが、1球見て「こりゃ20三振行くな」と思って上野行きの予定を変更して最後まで見た事実は当ブログでもお伝えしたとおりです。

当時の録画も残っていますので、「ウソだろ~~」とお嘆きのそこのあなた、証拠物件として裁判所に提出しますので訴えて頂戴ね。慰謝料をがっぽり稼げます(←城島か!!!)。

城島のメジャー挑戦に際しての記者会見での発言が「がっぽり稼いできます」だったのを覚えている人もほぼ絶滅しているでしょうね(笑)。

メジャー初登板でも甲子園初登板の時と同じように「緊張」しているのは画像を通じても伝わってきました。松井裕樹は投げ込んで調子を出してくるタイプなので本番はこれからです。

世の中は「大谷じゃぁ~~」、「山本じゃ~~」と騒いでいる昨今ですが、当ブログは「松井裕樹じゃ~~」と騒ぎ続けますのでよろしく。

 

60発

MLBが開幕しました。

大谷は60本と予想します。

 

機動破壊

センバツ高校野球が開幕しました。

ロースコアの今大会、健大高崎の優勝と予想します。

 

2024年1月13日土曜日

22年 大阪vs東急 1回戦

5月8日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 1 0 0 0 2 1 6 大阪 9勝3敗 0.750 若林忠志 
2 0 0 0 0 0 0 1 0 3 東急 6勝7敗 0.462 一言多十

勝利投手 若林忠志 3勝1敗 
敗戦投手 一言多十 2勝1敗

二塁打 (大)武智 (東)苅田、飯島
三塁打 (東)一言

勝利打点(大)武智修 2

猛打賞 (大)武智修 1 (東)一言多十 1


虎が竜の尻尾を捕える

 甲子園の第1試合は若林忠志と一言多十の先発で午後1時5分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は初回、先頭の苅田久徳監督がレフトに二塁打で出塁、横沢七郎の右前タイムリーで1点を先制、続く長持栄吉の三ゴロは「5-4-3」と渡ってゲッツー、大下弘が死球を受けて出塁、飯島滋弥の中越えタイムリー二塁打で2-0とする。

 大阪は3回表、先頭の若林が四球で出塁、武智修も死球を受けて無死一二塁、トップに返り呉昌征が送りバントを決め、塚本博睦はストレートの四球で一死満塁、山口政信がストレートの押し出し四球を選んで1-2、藤村富美男は右直で二死満塁、金田正泰が押し出しの死球を受けて2-2の同点とする。

 大阪は4回表、先頭の土井垣武が三遊間ヒットで出塁すると二盗とワイルドピッチで三進、一死後武智の中前タイムリーで3-2と勝ち越す。

 東急はその裏、先頭の一言が右中間に三塁打、二死後苅田が四球を選んで二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行するが「2-4-2」と転送されて三走一言はタッチアウト、ここがこの試合の勝負を分けた瞬間であった。

 大坂は8回表、先頭の武智がレフト線に二塁打、トップに返り呉の一塁へのヒットで武智は動けず無死一二塁、塚本の左前打で無死満塁、7回の守備から山口に代わってファーストに入っていた玉置玉一がレフトに2点タイムリーを放ち5-2とする。

 東急は8回裏、二死後熊耳武彦が左前打で出塁、一言が一塁線ヒット、柴田繫雄が四球を選んで二死満塁、清水喜一郎の中前打で1点返して3-5、トップに返り苅田は三振に倒れて追加点はならず。

 大阪は9回表、先頭の土井垣が三塁内野安打から二盗に成功、若林が二ゴロで土井垣を進塁させ、武智の一二塁間タイムリーで6-3として東急の戦意を喪失させる。

 若林忠志は11安打を許しながら3四球1死球4三振の完投で3勝目をマークする。

 武智修が決勝打とダメ押し打を放ち、猛打賞と勝利打点の活躍を見せた。

 大阪はこの時点で9勝3敗として首位中日に並んだ。中日はこの後の第2試合で太陽と対戦する。

2024年1月8日月曜日

昭和22年 金星vs近畿 2回戦

5月8日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 0 2 0 4 金星 4勝8敗 0.333 重松通雄 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 近畿 8勝4敗 0.667 別所昭

勝利投手 重松通雄 2勝1敗 
敗戦投手 別所昭    5勝2敗

二塁打 (金)清原

勝利打点(金)中村信一 1

猛打賞 (金)中村信一 1


重松通雄、西の仇を東で討つ

 第4節初日、後楽園の第1試合は重松通雄と別所昭の先発で午後1時2分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 前半は両投手の投げ合いで5回まで両軍無得点。

 金星は6回表、一死後清原初男が右中間に二塁打、二死後中村信一がライト線にタイムリーを放ち1点を先制、中継に入ったピッチャー別所の悪送球の間に打者走者の中村は三塁に進み、辻勇夫の遊ゴロをショート朝井昇が一塁に悪送球する間に中村が還って2-0とする。

 金星は8回表、一死後小前博文が中前打で出塁、中村の右前打で一二塁、辻の二ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、ここで重松が左前に2点タイムリーを放ち自らを助ける。

 近畿は8回裏、一死後筒井敬三のショートへの内野安打に酒沢政夫の一塁悪送球が重なり一死二塁、しかし朝井昇のカウントスリーボールツーストライクの場面でショート酒沢がスルスルと二塁ベースに入ると重松の牽制に筒井はタッチアウト、朝井は四球、トップに返り安井亀和もストレートの四球、河西俊雄の左前打で二死満塁、しかし田川豊は中飛に倒れて無得点。

 近畿は9回裏、先頭の山本一人監督が四球で出塁、飯田徳治の中前打で無死一二塁、堀井数男に代わる代打岡村俊昭の二ゴロで一死二三塁、別所は三ゴロに倒れて二死二三塁、筒井に代わる代打丸山二三男は投飛に倒れてゲームセット。

 終盤のピンチを凌いだ重松通雄は6安打5四球3三振で戦後初完封、勝利を決定付ける2点タイムリーも放った。

 金星は4日の甲子園で別所に2安打完封で敗れたが、後楽園でその雪辱を果たした。

 打のヒーローは猛打賞の中村信一。重松と共に昭和11年のプロ野球初年度から活躍を続ける最古参である。

 重松は戦前から通算7度目の完封勝利となるが、実際には8度目の完封である。昭和14年11月25日に行われた東西対抗第2戦で、重松通雄は1四球だけの無安打無得点を記録した。当時は下手からの速球派であったが、8年を経過した今では技巧派に転じている。

*昭和14年11月26日付け読売新聞。


*週間ベースボール昭和44年3月17日号。

せい・しょうなごん

 当ブログの読者の中にも大河ドラマ「光る君へ」 を楽しみにされている方は多いのではないでしょうか。

 吉高由里子演じる「紫式部」が主人公ですが、ファーストサマーウイカ演じるライバル「清少納言」がどのように描かれるかにも注目が集まります。

 さて、「清少納言」の呼び方ですが、どのように呼ぶべきなのでしょうか。

 「Wikipedia」には「語呂の関係からか今日では『せいしょう・なごん』と発音されることもあるが、上述しているように『清』は父の姓から、『少納言』は役職名が由来であるため、本来は『せい・しょうなごん』と区切って発音するのが正しいと思われる。」と書かれています。

 読者の方々は「せい・しょうなごん」が正しいのではないかという説をいつ頃お聞きになったでしょうか。

 当ブログが「それ」を知ったのは50年以上前の中学時代。

 2023年8月25日付けブログ「ぼくの好きな先生」でお伝えしたとおり、当ブログの「ぼくの好きな先生」は「古文」の教師でした。ある日の授業で「清少納言」についての講義があり、「清」が名で「少納言」は役職であるから「せい・しょうなごん」と呼ぶのが正しいと教えてくれたのです。

 「せいしょう・なごん」が正しいと信じていたクラスの40人は唖然としていましたね。当ブログがこの教師を「ぼくの好きな先生」と認定するきっかけともなった「コペルニクス的転回」でした。当ブログは「これ」を教訓として、世の中に喧伝される「大本営発表」を盲信することなく、自らの目で「真実」を追及することにしたのです。

 現在の「職業野球!実況中継」でも「それ」を踏襲していますのでよろしく(笑)。 


2024年1月7日日曜日

昭和22年 阪急vs中日 3回戦

5月5日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 2勝9敗 0.182 森弘太郎 
0 0 0 0 0 1 0 1 X 2 中日 9勝3敗 0.750 清水秀雄

勝利投手 清水秀雄 2勝0敗 
敗戦投手 森弘太郎 0勝1敗

勝利打点 なし

猛打賞 (中)金山次郎 1


金山の3盗塁が勝因

 後楽園の第2試合は森弘太郎と清水秀雄の先発で午後3時23分、沢球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は初回、2回と併殺でチャンスを潰し、中日も2回に併殺でチャンスを潰す展開。

 中日は6回裏、先頭の金山次郎が左前打で出塁、古川清蔵の三ゴロの間に金山は二進、金山が三盗に成功して一死三塁、大沢清の投ゴロで金山が三本間に挟まれ「1-5-2-1」と転送されタッチアウト、打者走者の大沢は三塁に進み、杉浦清監督の三ゴロをサード坂井豊司が一塁に悪送球する間に大沢が生還して1点を先制する。

 金山が挟殺プレーで時間を稼ぎ、鈍足大沢清が三塁まで進めたのが得点の要因であった。
 中日は8回裏、一死後金山が三遊間に内野安打、金山が二盗、三盗を決め、古川の三ゴロをサード坂井がエラーする間に金山が生還して2-0とする。

 清水秀雄は4安打3四球1三振で戦後初完封。

 森弘太郎も2失点ながら自責点ゼロの好投を見せた。

 実況でも分かるように、長打も勝利打点も無しという試合で金山次郎の3盗塁が勝因となった。野球においては投手や打者が脚光を浴びることが多いが、「走塁」が極めて重要な要素を占めていることを野球経験者であればよく理解している。

 筆者の過去2年間の還暦野球公式戦での記録は28試合で104打席97打数39安打23盗塁27得点。一番打者なので15打点と打点は少ないが足で勝利に貢献している(品川ビッグスターズホームページ参照)。

 プロ野球の歴史を見ても、現在実況している戦後一リーグ時代では河西俊雄が昭和21年~23年まで3年連続盗塁王でこの間、近畿・南海は2度の優勝。

 当の金山次郎は2リーグ分裂初年度の松竹で盗塁王となってセ・リーグ初年度制覇に貢献。

 巨人V9時代は王、長嶋の強打が喧伝されるが「赤い手袋」柴田の足が心象的だった。

 その巨人を脅かした阪急ではモーリー・ウィルスの盗塁世界記録を更新した福本の足が脅威であった。

 日本球界に革命を起こした「赤ヘル」広島の機動力野球を牽引したのは高橋慶彦であった。

 これらの歴史的事実に鑑みても、「足」が野球に占める意味は大きいのである。

 ということで、モーリー・ウィルスネタを一つ。

 週間ベースボール昭和41年11月14日号(60円)は、この年日米野球で来日したドジャースについて「夜のドジャース戦法」を詳報している。モーリー・ウィルスは日テレの女子アナを追いかけ回すなどの乱行を連発して「足も早いが手も早い」の見出しで伝えられているのである。

 大谷や山本が「夜のドジャース戦法」を踏襲しないといいんですけどね(笑)。


2024年1月5日金曜日

鈴木孝政とジャッキー・ロビンソン

 本日のタイトルの意味を理解できた方は経済通ですね。

 2024年大発会の日経平均終値は33,288.29円、2日目の本日は33,377.42円。

 これならお分かりでしょう。そう、小数点以下の数字は大発会が鈴木孝政の背番号、2日目はメジャー全30球団で永久欠番となっているジャッキー・ロビンソンの背番号。

 因みに、品川ビッグスターズでの当ブログの背番号は「42」(笑)

 当ブログが初めて鈴木孝政を知ったのはまだ全国的には無名だった成東高校時代。千葉県市川市国分に在住していた中学生の当ブログは読売新聞千葉版の高校野球の記事を全て把握しており、成東の鈴木孝政は銚子商業の根本よりも上であると確信していました。

 「Wikipedia」にも出ていない当時のエピソード。練習が終わると鈴木孝政は実家までの山道を毎日走って帰っていました。産業用トラックが走る山道でのランニングだったことから、名将・松戸健監督の発案で発行色のジャージを着て走っていました。それに気付いたトラックの運ちゃん達から、「頑張れ!鈴木」の声が飛んだのです。強豪、銚子商業と習志野の壁が厚く、夏の千葉県予選では4年連続銚子商業に1点差で敗れ続けた成東ファンの期待を一身に背負っていた頃のエピソードです。

 当ブログが初めてジャッキー・ロビンソンを知ったのは中学時代に読んだ読売新聞でジャッキー・ロビンソンの訃報を伝える記事。当時の記事で印象に残っているのは、今では「Wikipedia」でも消されていますが「息子が薬物中毒の末、交通事故で亡くなったように、晩年は不遇であった。」との記事。

 ジャッキー・ロビンソンの訃報は1972年10月24日。その約1か月後、1972年11月21日のドラフト会議で鈴木孝政は中日に1位指名されました。全国的には無名だっと思っていた当ブログはしてやったり、と感じたのですが、流石はプロのスカウトで鈴木孝政は上位指名候補だったのでした。中日の指名順では当時高校No1と言われていたジャンボ仲根が残っていたのに近藤投手コーチの決断で鈴木孝政に行ったエピソードは「Wikipedia」にも掲載されているのでご確認ください。

 2年目だったと思いますが、初めてプロでの姿を見た巨人戦のテレビ中継。王や長嶋を快速球とプロに入ってから覚えた鋭いフォークできりきり舞いさせたピッチングを見て、「当り前田のクラッカーじゃん」と快哉を叫んだのが懐かしい。当時の王のコメント「セ・リーグでスピードはNo1」が全てを物語っています。


品川ビッグスターズの背番号。メジャーから500億円でスカウトされたら付けられないので今、付けています(笑)。