既報のとおり、加藤正二が戦場から戻ってきました。
昭和18年の名古屋は、開幕から外野陣はレフト吉田猪佐喜、センター古川清蔵、ライト岩本章でしたが、ここまで3本で本塁打王の岩本がベンチに下がり、6月から帰還兵・加藤正二がライトに入ることとなります。
この年名古屋は、岩本章、古川清蔵、加藤正二が4本で3人並びの本塁打王となりますが、6月から加藤の復帰で試合出場が激減する岩本章は59試合で208打数41安打4本塁打、6月から復帰する加藤正二は58試合で216打数51安打4本塁打、古川清蔵はほぼフル出場して80試合で303打数59安打4本塁打と、三人三様の成績での並びの本塁打王となったのです。
ショートの金山次郎も昭和19年に3本で本塁打王となり、ファーストの小鶴誠は戦後昭和25年に51本で本塁打王と、昭和18年の名古屋打線には5人の本塁打王が並ぶこととなります。この打線で後半は吉田猪佐喜が不動の四番、終盤戦では小鶴がサードに回り、加藤正二がファーストに入って外野陣は吉田、古川、岩本に戻ることとなり、戦後打者に転向して昭和25年に46本塁打を記録することとなる西沢道夫が投手に入った時の名古屋打線は、5人の本塁打王に吉田猪佐喜、西沢道夫が加わる日本プロ野球史上空前の強力打線と言えるでしょう。
更に、石丸藤吉は昭和12年秋と昭和17年にフル出場してリーグ最多出場、藤原鉄之助は昭和19年に死球2個でリーグ最多死球、西沢道夫も昭和27年に打点王のタイトルを獲得することとなり、西沢が投げる試合では、四番の吉田猪佐喜以外の8人がリーグ最多記録保持者(5人の本塁打王を含む)という強力打線が可能となりますが、実際に、8月17日の阪神戦と10月26日の南海戦のスターティングラインナップはこの9人が並ぶこととなります。
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