2014年8月26日火曜日

弾丸ホームラン




 大和球士が名付けた「弾丸ライナー」が川上哲治の代名詞であることはご存知のところです。2013年10月31日付けブログ「弾丸ライナー」でお伝えしたとおり、「弾丸ライナー」が初めて活字になったのは昭和15年11月18日付け都新聞誌上でのことです。この時は「三塁打」でした。

http://shokuyakyu.blogspot.jp/2013/10/blog-post_31.html


 昨日お伝えしたとおり、昭和17年3月30日に川上が川崎徳次から放った右中間へのホームランは「ライナー」でした。昭和15年11月18日以降に打った川上のホームランは全て「飛球」でしたので、7月30日の本塁打が史上初の「弾丸ホームラン」であった可能性があります。


 スコアカードの記載では、「・」はゴロ、「O」は飛球、「△」はライナーを表します。下の写真のとおり、川上の本塁打は「△」と記載されていますので、「弾丸ライナー」がスタンドに突き刺さったものと考えられます。


 もちろん、「飛球」と「ライナー」が明確に区別できないケースもありますので断定はできませんが、スコアカード上の記載では史上初の「弾丸ホームラン」でした。





*川上の本塁打は6球ファウルで粘った後、ライトスタンドにライナー「△」で突き刺さったものでした。







 

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