2013年9月8日日曜日

東京オリンピック




 昭和39年の東京オリンピックの時は真間山幼稚園の年長組でした。お隣のうちと家族総出で市川駅前に聖火リレーを見に行きました。父親はいなかったので平日だったのでしょう。幼稚園は臨時休園だったのかもしれません。世紀の瞬間を見に行くのは当然という雰囲気でした。正に国民的行事でしたね。小雨が降っていたので傘を差したり閉じたりで、傘を差すと後ろから「見えねーぞ~」の声が飛んできます。歓声が上がり、煙が近付いてきました。人垣の間からちらっと聖火ランナーの凛々しい姿が見えましたが、また煙だけが走り去って行きました。東京オリンピックの聖火リレーというと、あの煙の軌道を思い出します。2020年も、聖火リレーだけはこの目で見てみたいものですね。



 競技も一度だけ見に行きました。格闘技だったのは確かですが、柔道だったかレスリングだったかは覚えていません。日本の選手が出てくると大歓声が起こるので「うるさいから日本は出てくるなぁ~」と思ったことを明確に覚えています。ということで、まだ競技レベルで見れるような歳では無かったようです。三宅の金メダルも、円谷の銅メダルも、東洋の魔女も、後からの映像が刷り込まれていって記憶として醸成されたものでしょう。野球の最初の記憶は翌年の甲子園で銚子商業が準優勝した時です。この時も阿天坊の名前が強烈な印象で、まだ競技として見ていた訳ではありませんが、50年が経過してもプロ野球より高校野球の方が好きな理由は間違いなく銚子商業にあります。この年高松商業のエースだった小坂敏彦が早稲田に進んでからのピッチングはよく覚えていますので、この辺から競技として野球を見始めたことになります。




 

2 件のコメント:

  1. 2020年の五輪開催に伴い、神宮球場が建て替えられる話が出ているようです。
    開場されてから90年近く経ち、時代の流れとはいえ、日本野球史、いや昭和史にかかせない神宮を簡単に潰すとは・・・。やはり、近代化遺産は軽視されていますね。

    戦前の雑誌「野球界」にあるお遊び記事の東西球場番付には、西横綱が甲子園なら東横綱は神宮と決まっていました。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 秩父宮ラグビー場と交互に改築して位置が入れ替わるようです。ということは外苑前の駅から近くなりますので便利になるとも言えます。

      2016年の時はオリンピック会場は晴海に新設される予定でしたが、今回は国立競技場の改修が目玉行事となっていますので神宮球場の改築は避けてとおれないところでしょう。私としては外野の芝生席が座席になった時や人工芝に替わった時の方がショックでした。ベース際のアンツーカーの色が何とも奇異に感じました。

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