2013年6月15日土曜日

15年 翼vs阪急 12回戦


11月3日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 翼     45勝35敗10分 0.563 浅岡三郎
0 0 0 0 1 3 1 0 X 5 阪急 56勝32敗5分 0.636 浅野勝三郎

勝利投手 浅野勝三郎 11勝6敗
敗戦投手 浅岡三郎     10勝9敗

二塁打 (翼)柳
本塁打 (翼)小林 3号 (急)浅野 1号

勝利打点 浅野勝三郎 3


浅野勝三郎、決勝スリーラン

 翼は2回、先頭の小林茂太がレフトスタンドに先制ホームランを叩き込んで1-0とする。

 更に柳鶴震が左前打を放って無死一塁、浅岡三郎は中飛に倒れて一死一塁、ここで柳が二盗を試みるが井野川利春からの送球にタッチアウト、しかし石井豊が四球を選んで二死一塁、阪急井野川監督はここで自らベンチに下がり日比野武がマスクを被る。石井が二盗を試みるが日比野が刺してスリーアウトチェンジ。

 阪急は5回、先頭の森田定雄が中前打、森田が二盗に成功、伊東甚吉が送りバント決めて一死三塁、ここで浅岡の投球をキャッチャー佐藤武夫が逸らして森田が生還し1-1の同点とする。

 阪急は6回、一死後黒田健吾が左翼線にヒット、日比野が中前打を放って一死一二塁、山下好一は二飛に倒れて一死一二塁、ここで浅野勝三郎が右翼スタンドに決勝のスリーランを叩き込んで4-1とする。

 阪急は7回、二死後中島喬の遊ゴロをショート柳が一塁に悪送球する間に打者走者の中島は二塁に進み、上田藤夫が右翼線にタイムリーを放って5-1とダメ押す。


 浅岡三郎は敗戦投手となったものの8回を完投して無四球であった。

 2回の守備で井野川利春監督がベンチに下がって日比野武がマスクを被った。この後しばらく阪急のキャッチャーは日比野が務めることとなるので井野川に何かアクシデントがあったのかもしれません。この頃になると物資の窮乏は顕著となってきて新聞の紙数も限られており、この試合を伝える読売新聞の記事は7行で終わっていますので、井野川がベンチに下がった理由は書かれていません。


 決勝スリーランを放った浅野勝三郎は投げても翼打線を7安打1四球3三振1失点に抑える完投で11勝目をあげる。浅野の“二刀流伝説”の中でも愁眉の試合でしょう。「こういうのを“二刀流”と言うんだよ」と大谷に語っているようなゲームでした。


 浅野勝三郎は明石中学時代は山田勝三郎として伝説の中京商業vs明石中学の延長25回の試合に一番センターとして出場しています。すなわち、明石中学ではエースの楠本保、中京商業戦で25回を完投した二番手ピッチャーの中田武雄の陰に隠れた存在ででした。この試合では10打席9打数2安打1四球を記録しています。


 楠本と中田は慶應義塾大学に進みエリートコースを歩みますが共に戦死しています。浅野は全明石を経由して阪急に入団して歴史的な“二刀流”としての記録を残すこととなりました。浅野は戦争の時代を生き抜きましたがその後の消息は不明です。楠本、中田、浅野の経歴が当時の東京六大学とプロ野球の世間的評価を如実に表しています。多くの中等野球のエリートは東京六大学に進みます。二番手三番手がプロ野球に進んでいた訳です。例外もありますがこれが一般的な評価基準でした。







                *浅野勝三郎は7安打完投で11勝目をあげる。












     *浅野勝三郎が決勝スリーランを放った阪急打線。












 

0 件のコメント:

コメントを投稿