2012年3月21日水曜日

インターグシケン、サクラショウリ、バンブトンコート、ファンタスト


 ちょっと脱線させていただきます。スポニチ版「私の履歴書」とも言える「我が道」(「私の履歴書」と同様、1ヶ月かけて半生を振り返る。人選は日経とスポニチの趣味の差が出ます。因みに先月は日経が佐久間良子でスポニチは松原智恵子でした。)の今月の主人公は具志堅用高です。第20回の本日は1978年5月7日に五度目の防衛戦でハイメ・リオスをKOした試合がテーマでした。具志堅らしく毎回オチをつけてくれるのですが、本日は「この試合と同じ日にさ、競馬のNHK杯でインターグシケンって馬が勝ったね。これは、菊花賞にも勝った強い馬だったねぇ。でも、馬券、買ってなかったんだよ。買えばよかったなぁ・・・」と掲載されています。


 と言うことで、昭和53年のクラシックロードを振り返ってみましょう。前年末の朝日杯3歳ステークス(馬齢表記は全て旧表記(すなわち現在よりプラス1)とさせていただきます。)は外国産馬のギャラントダンサーが圧勝したのでこの時点のクラシックの主役は函館3歳ステークス、デイリー杯3歳ステークス、阪神3歳ステーク(現在はジュベナイル・フィリーズとなって2歳牝馬チャンピオン決定戦となっています。)を三連勝したバンブトンコートと目されていました。

 この頃当ブログ(当然34年前にはブログはやっていませんでしたが)では関東のヤンチャな3歳馬に注目していました。未勝利と白菊賞を連勝し、朝日杯では3着。年明けの京成杯はタケデン、メジロファントムと僅差の3着、この時点で今年のダービーはこの馬で心中しようと決めました。その名はサクラショウリ。この馬との出会いがなければ私の人生は少し違ったものとなっていたでしょう。続く東京四歳ステークス(トキノミノル記念)で予想通り重賞初制覇を飾り一躍クラシックの主役に躍り出ます。

 一方、関西ではバンブトンコートが骨折し、きさらぎ賞を勝ったインターグシケンが主役となりますがちょっと小粒の印象は否めません。

 弥生賞はファンタストが2着のサクラショウリを制して良血を開花させました。但しどこかひ弱さがが漂っていました。良血馬にありがちなパターンです。

 スプリングステークスはタケデンが京成杯3歳ステークス、京成杯に続いて3つ目の重賞制覇を成し遂げました。競馬専門紙「一馬」の清水成駿は弥生賞5着敗退により人気を落としていたタケデンに敢然と◎を打ち、「自信の鞍」と記述していました。清水成駿は人気薄の馬に敢然と本命印を打ち“孤独の◎”の異名を持ちますが、私の知る限りこの時が最初だと思います。

 満開の桜の下で行われた皐月賞はファンタストが制し、2着にインターグシケン、3着は出遅れて追い込んできたサクラショウリでした。

 NHK杯は現在は「NHKマイル」に生まれ変わっていますが当時は皐月賞後のダービートライアルという位置付けでした。2000m戦ですが現在の青葉賞と同じ位置付けです。具志堅用高が述べているとおり、インターグシケンが制覇します。

 復活したバンブトンコートが一番人気に押されたダービーは杉本清アナウンサーが「小さな大鷲」と名付けたメジロイーグルの逃げで始まりました。好位に付けていたサクラショウリが直線で先頭に立ってそのまま押し切り、父パーソロンに牡馬クラシック初制覇をもたらしました。タケフブキ、ナスノチグサ、トウコウエルザで産駒がオークスを三連覇(騎手は全て嶋田功)したパーソロンも、牡馬クラシックはサクラショウリと「史上最強馬」シンボリルドルフしか輩出していません。

 神戸新聞杯はバンブトンコート、セントライト記念はサクラショウリが順当に制し、京都新聞杯ではサクラショウリの急襲をメジロイーグルがかわして迎えた菊花賞、この日筆者は自宅から市川駅に向かう途中に霊柩車と遭遇しました。一般に霊柩車と遭遇すると縁起がいいと言われていますが、サクラショウリが5着に負けて以来霊柩車と遭遇すると縁起が悪いと決めています。菊花賞は具志堅も述べているとおりインターグシケンが勝ちました。


 皐月賞馬ファンタストはダービーに惨敗し、函館記念に出走して3着となりました。その10日後、腸ねん転のため急死します。主戦の柴田政人騎手は「ダービーの時は走りたくなさそうだった。口が聞けるのであれば聞いてみたかった。」と語っていました。種牡馬になっていればソーダストリームの直系でありアローエクスプレスの甥という良血を活かして大活躍したものと考えられます。





*昭和53年ダービー馬・サクラショウリ。写真は全て昭和54年有馬記念のパドックで撮影したものです。







*昭和53年菊花賞馬・インターグシケン。馬名の由来はもちろん具志堅用高です。当時の日記に「チャンピオンになれと命名されたグシケンは、菊花賞を制してチャンピオンになった。」と書きました。









*サクラショウリの最大のライバルだったバンブトンコート。G1馬ではないのでこの写真は貴重でしょう。



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