2011年11月27日日曜日

14年 ライオンvsジャイアンツ 5回戦


6月20日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 1 0 0 1 0 0 0  0  2 ライオン        14勝21敗4分 0.400 近藤久 菊矢吉男
2 0 0 0 0 0 0 0 0 1X 3 ジャイアンツ 29勝12敗        0.707 川上哲治 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 20勝6敗
敗戦投手 菊矢吉男     9勝9敗


川上哲治、敬遠球をサヨナラ犠飛


 ジャイアンツは初回、白石敏男、水原茂が連続四球で無死一二塁、千葉茂の投ゴロの間に二者進塁して一死二三塁、中島治康の二ゴロで三走白石がホームに突っ込むがタッチアウト、この間に打者走者の中島は二塁に進んで二死二三塁、川上哲治が右前に2点タイムリーを放って2-0とする。ここは敬遠もあったが続くアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)が暖かくなるに連れて当ってきているので初回ということもあって近藤久は勝負に行ったのであろう。

 ライオンは3回、先頭の近藤が左前打で出塁、トップに返り坪内道則が右前打、玉腰年男が死球を選んで無死満塁、水谷則一の二ゴロで一走玉腰が二封される間に三走近藤が還って1-2とする。水谷が二盗を決めて一死二三塁とするが鬼頭数雄は二飛、更に三走坪内がキャッチャー吉原正喜からの牽制に刺されてスリーアウトチェンジ。

 ライオンは3回から先発の近藤に代えて早くも菊矢吉男を投入してジャイアンツに追加点を許さない。

 ライオンは6回、先頭の水谷が四球で出塁、鬼頭が左前打で続いて無死一二塁、ここで水谷が三盗を試みると吉原の三塁送球が悪送球となって外野に抜ける間に水谷が還って2-2の同点に追い付く。

 ジャイアンツは7回から先発の川上に代えてスタルヒンを投入、菊矢、スタルヒンの投げ合いで試合は延長戦に突入する。

 ライオンは10回表、一死後玉腰が左前打で出塁、しかし水谷は二ゴロ、鬼頭は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 ジャイアンツは10回裏、一死後千葉が四球を選んで出塁、中島が三遊間を破り千葉が三塁に走って一死一三塁、翌日の読売新聞によるとショート松岡甲二が二塁ベースカバーに入った逆を突いたとのことでエンドランが掛かっていたということになる。中島が二盗を決めて一死二三塁、川上がサヨナラ左犠飛を打ち上げて3対2でジャイアンツが接戦を制す。


 翌日の読売新聞によると「菊矢が鉄則通り川上を敬遠して満塁策を採らんとしたノーストライクスリーボール後のウエスト・ボールに飛びかかって遂に左犠飛とし三塁の千葉を迎え入れて決勝の1点を印せしめた。」とのことで、川上は敬遠球に飛びついて左犠飛を打ち上げた訳である。

 1981年7月19日、日本ハムの柏原は西武・永射の投じた敬遠球を左中間スタンドに叩き込んだ。1999年6月12日、阪神の新庄が巨人・槙原の投じた敬遠球に左足がバッターボックスを飛び出すまで踏み込んでガラ空きの三遊間に転がしてサヨナラ打を放った。この時柏原は阪神のコーチであった。この二つの「敬遠球に飛びつく打撃」はユーチューブでも見ることができますが、「敬遠球に飛びつく打撃」の元祖は1939年6月20日の川上哲治のサヨナラ左犠飛であった。






*川上哲治が敬遠球を叩いてサヨナラ左犠飛を打ち上げた貴重な場面を伝えるスコアブック。



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