2010年8月2日月曜日

12年春 名古屋vs阪急 7回戦

7月10日 (土) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 3 0 1 0 0 0 5 名古屋 20勝34敗    0.370 木下博喜
0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 阪急   26勝24敗2分 0.520 重松通雄 笠松実 石田光彦


勝利投手 木下博喜 4勝11敗
敗戦投手 石田光彦 6勝5敗


二塁打 (名)桝、白木


木下博喜、完投で4勝目
  阪急はジミー堀尾文人をセカンドに起用、山下好一をレフト、西村正夫をセンター、ライトには石田光彦を起用。

 阪急は2回、五番セカンド堀尾が二失に生き、六番ライト石田の左前打で堀尾は三塁へ、レフト前田喜代士からのバックサードの間に石田も二塁を陥れる。石田光彦は野手としてもなかなかやる。倉本信護の中前打で1点を先制してなお無死一三塁、川村徳久の中犠飛で2-0とする。このとき一走倉本もセンター桝嘉一のバックホームの隙をついてタッチアップから二塁を狙うがキャッチャー三浦敏一の送球に刺される。

 名古屋は3回、一死後石丸藤吉が四球で出塁、桝の中前打で石丸は三塁を狙うがセンター西村からの送球に刺されて一死一塁、しかしここから阪急先発重松通雄のコントロールが乱れて小島茂男、大沢清に連続四球を与えて一死満塁、続く白木一二のカウントがノーストライクスリーボール(なお、ストライクを先に、ボールを後にカウントするのは世界中で日本だけです。何故アメリカに倣ったベースボールにおいてカウントのコールのみが逆になったかについては佐山和夫氏の分析が参考になります。佐山氏は、氏の著書「ベースボールと日本野球」及び「明治5年のプレーボール 初めて日本に野球を伝えた男 ウィルソン」でこの点について分析されています。後者の中で佐山氏は、「アメリカ生まれのベースボールを、すべて本場を真似るのではなく、一度日本式に改良して自分たちのゲームに作り替えたとする証拠の意味があったと思うのだ。・・・・この点だけはアメリカ式に倣わなかったことにこそ、日本にとって意味があったのではないか。日本式コールが自分たち独自のものであることは承知のうえだった。自分たちのやり方が本場とは逆であることを十分に知っていて、あえてそれを続けているのである。」とされています。当ブログは佐山氏の説に賛同させていただくとともに日本式コールを貫くこととさせていただいております。)となったところで重松をあきらめて笠松実をマウンドに送る。笠松にとってはいい迷惑であっただろう。笠松の初球はボールとなり押出し四球で1-2。笠松は続く前田は三振に打ち取る。

 名古屋は4回、一死後今度は笠松のコントロールが乱れて木下博喜、三浦が連続四球、阪急は笠松をライトに回し石田光彦がライトからマウンドに上る、石丸の二塁内野安打で一死満塁、桝が左翼線に二塁打を放って二者生還して3-2と逆転、小島の左犠飛で4-2とする。阪急5回の攻撃で笠松に代打山下実が起用されてそのままライトに入ったので「ライト笠松」は3分の2イニングでお役御免となった。

 名古屋は6回、先頭の木下が中前打で出塁、三浦が送りバントを決めて一死二塁、石丸の遊ゴロに木下が三塁に走るとショート黒田健吾の三塁送球が野選となり一死一三塁、桝の投前スクイズは石田がバックホームするも又も野選となり5-2。桝には犠打が記録され、この回2犠打2野選を記録する。

 木下博喜は5回以降阪急打線をノーヒットに抑え、結局3安打7四球2三振の完投で4勝目をあげる。

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